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第二十一話 重なる手

 美緒の右肩に、鈍い痛みが走った。目の前がちかちかと光が点滅するように眩んだが、気が飛ばぬようにぐっと丹田に力を入れた。

 見ると、美緒の肩に喰らいついた妖狐の首と胴体に、巨大な山犬の姿の黒と、真っ白な虎の姿の白ががっちりと牙を剥いて噛みついていた。

 妖狐は

「ぐおぼうっ」

と鳴き声をあげて美緒の肩から大きな顎を離し、黒と白を振り解こうと必死にもがいている。しかし、黒と白は意地でもその牙を離すまいと必死の形相だ。

 今しかない、と美緒は痛む右肩を拒むこともせず、背に負った矢筒から一本の矢を取り出した。美緒がその矢の矢羽を唇に当てて、何やら呪文のようなものを唱えると、矢の先端に青白い炎が灯った。

 美緒は火矢を弓につがえ、ぐっと引いた。肩の傷のせいでその手は震え、目も霞んでいる。しかし、この矢を今当てなければ、妖狐を止めることは出来まい……

 その瞬間、誰かが美緒の後ろから抱くように腕を回し、弓と矢を持つ美緒の手に手を重ねた。その手は、美緒の手の震えを止め、一点へと狙いを定めさせた。涼やかな香りがして、優しい声が背後から美緒に囁いた。

「今だ。放つぞ」

 青白く輝く火矢は美緒の手元から真っ直ぐに妖狐の元へと飛んでゆき、そしてその獣の右目を刺し貫いた。

「ぎゃおん!」

 妖狐はそう声を上げるともはやもがくことをやめ、細かく震えながら床に倒れた。

「黒、白、もういい、離せ! 殺すわけにはいかない!」

 美緒はそう叫んで、自らも崩れるように倒れた。誰かが美緒を守るように抱え込んでいる。これでは逆ではないですか。美緒はそう言おうとしたが、次の瞬間にはもう気を失っていた。


 美緒が目を覚ますと、兄の晴平の不機嫌そうな顔が目の前にあった。このままでは若いのに眉間の皺が取れなくなってしまうと毎日のように言っているのに、兄はいつもしかめ面をしている。そんなことを考えていたら、右肩の激痛が蘇った。

「痛っ!」

「それは痛いさ。お前、千年は生きているだろう筋金入りの化け物に噛まれたのだぞ。黒と白に感謝しろよ。あいつらがいなかったら腕一本、いやそれ以上持っていかれていただろう。それに……」

 兄は少し言いづらそうに言葉を切りながら、ぼそりとつぶやいた。

「東宮様がいなければ、妖狐を破魔の火矢で仕留めることは出来なかった」

 ああ、やっぱり、と美緒は思った。あの時、美緒の後ろから手を添えて支えてくれたのは、東宮その人だったのだ。そして、美緒が倒れた後、守るように寄り添っていたのも……

「しかし、これに関しては我々も東宮様も全くもって褒められたものではない!

 東宮様をお守りするために妖狐と右大臣たちをおびき出して仕留めようとしたのに、あろうことか東宮様本人が出てきてお前を守ろうとなさるなど、古今東西聞いたことのない話だ」

 兄は、相当に怒っているようだ。無理もない。超がつくほどの真面目人間、曲がったことが大嫌いで、道理が通らないことは絶対に許さない男なのだから。

 その道理を東宮は曲げた。

「さて、お前も目が覚めたわけだし、そろそろ始末を着けにいかねばな」

 晴平はため息まじりに言った。

「とりあえずの手当しかできておらぬから、傷は痛むだろうが、お前も最後まで見届けたいだろう」

 美緒は黙って頷いた。


 東宮御所の中庭、陰陽寮の陰陽師が総出で作ったのであろう、大掛かりな「檻」の中に、右の眼に矢が刺さったままひゅうひゅうと喘ぐ金色の大きな狐と、両手両足を縄で括られた右大臣が転がされている。「檻」と言っても、榊の枝を四隅に立て、その間に縄を渡すとともに、その周りに塩と酒を撒いてある、そういう「檻」である。

 東宮御所の門から、門番の大きな声が聞こえた。

「陰陽頭、鴨居晴道殿、ご到着でございます!」

 中庭の「檻」を取り囲んでいた美緒と晴平、そして中庭を見下ろす南殿の中にいる東宮と行光が、一斉に門の方を見た。

 もう日も暮れかけた黄昏の薄闇の中を、一人の男——陰陽頭にして美緒と晴平の父——が、供を連れて歩いてきた。見ると、供の男は、ぐったりと眠っているように見える一人の少女を腕に抱えている。

「父上——」

 美緒が声をかけるのとほぼ同時に、陰陽頭は口を開いた。

「右大臣家の姫君、()()()華奈姫様を、お連れしました」


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