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第十五話 戯れ

「東宮様、あの、その、これは……」

 美緒は戸惑いながら東宮の胸をそっと手で押してみた。

「ああ、美緒殿、すまない。つい——」

 そう言って東宮は力を緩めたが、不意にもう一度力強く美緒を抱きしめた。えっ、と、美緒は声にならない声をあげる。

「いや…… こうしているのも、悪くないような……?」

 東宮は美緒の髪に手を伸ばし、愛おしむように撫でた。

「お、お戯れはいけません。こういうことは、東宮様の好いたお方になさってください!」

 美緒が焦ってそう囁くと、東宮はふふ、と笑った。

「美緒殿は、お嫌かな? そうであれば、すぐに止めよう。驚かせてすまなかった」

 その時、美緒は「嫌」の一言を言えない自分に気づいた。嫌と言えば、東宮は言葉通りすぐさま腕を解いてくれただろう。しかし、その一言が、喉のところにつかえて出なかった。それは、相手が高貴ゆえの遠慮や恐怖ではなく——

「東宮様、入ります」

 部屋の外から行光の声がした。東宮はすっと美緒から手を離し、美緒は慌てて髪や服を整えた。顔は、火を吹きそうに熱い。

 行光は部屋に入ると、東宮に駆け寄った。

「お怪我はありませんか? 先ほどから、泣き声の主を探しておりましたが、やはり姿は見えません。ひとまず声は止んだようですが、引き続き堅く警護させます」

 そして、美緒を見やると、

「美緒殿、この部屋での東宮様の守りを黒殿と白殿に任せて、美緒殿も私とともにこの屋敷の中を見回ってもらえますか」

と言った。

 その言葉を聞いて、東宮の両の袖からそれぞれ人差し指ほどの大きさに化けていた犬の黒と猫の白が飛び出し、しゅるん、といつもの大きさに戻って東宮を取り囲んだ。

 行光に促され、美緒は部屋を出た。行光は無言で暗い廊下を進んでいく。美緒は、外気に触れて頬の火照りが少しずつ冷めていくのを感じた。廊下の側には時折松明が灯され、その光で行光の影がくっきりと浮かび上がっては、再び暗闇へと溶ける。

 少し歩いたところで、すっと行光が歩みを止めた。先ほど通り過ぎた松明が、振り返った行光の顔を仄かに照らす。その表情は、見た事のないほどに冷たく、厳しい。

「美緒殿……」

 行光の声は、細く微かだが、美緒にはっきりと届いた。

「美緒殿は賢く、分別のある方でいらっしゃるので、このような助言は不要とは存じますが——」

 行光は、わざと持って回った言い方で、美緒に圧をかけているかのようだ。

「東宮様は、いずれ帝となり、国を治め、次の御代へと血を繋がねばならぬお方。その東宮様のお妃や御側室というのは、われわれ下々のものの妻とは違うのです。お妃や御側室は、そのご身分であるそのものが、重いお仕事なのです。

 東宮様をお助けし、後宮の女房たちを束ね、時には自らまつりごとに関わられる。

 そして何より——」

 行光は美緒の方に一歩進み出でた。

「優れたお世継ぎを産まねばなりません」

 鋭い目で美緒の瞳を覗き込むと、行光は美緒に背を向け、また暗い廊下を歩みはじめた。

「東宮様は、生まれた時からお世継ぎの候補として、厳しく育てられました。それゆえ、時折お寂しくお思いになることもおありでしょう。

 いつも聡明なお方ですが、東宮とはいえまだまだお若く、お戯れになることもございます。ですが——」

 行光は、美緒に一瞥をくれて、

「くれぐれも、勘違いなされませぬよう」

と、言った。


 行光と美緒は、出入りを許されている南殿の周囲の廊下をぐるりと一周し、東宮のいる部屋の側に戻ってきた。美緒の頬の火照りは、もうすっかり消えて、頭は冴えていた。

「何か、わかったかな」

 部屋の中から東宮が問いかけた。

「いえ、何も見つけられませんでした。美緒殿はいかがですか」

「わたしの方も、おかしなものは感じませんでした」

「引き続き、わたしと美緒殿、そして舎人たちで夜通し警護を続けますので、東宮様はお休みくださいませ」

 うむ、と東宮は答え、

「美緒殿、黒と白を貸してくれてありがとう。とても心強い。それにこうやって寄り添っていてもらうと、心が安らぐ。今日はよく寝られそうだ」

と言った。

 美緒は、無言で深々と頭を下げた。

 夜明けが来るまで、美緒は東宮の部屋の外であぐらをかき、夜空を眺めて過ごした。少し離れたところには、行光も刀を傍らにおいて座していた。その夜は、それ以上美緒と行光が話すことはなかった。

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