第一話 この女陰陽師、社畜すぎる
響国の都の西、大河が都とその外を隔てるところ、その大河にかかる橋のたもと。いつもなら都に地方の文物を運んでくる商人や旅人が往来し、道の両側には市が立つ賑やかな場所だが、今は何やら様子がおかしい。人通りはなく、近くの民家も人の気配がなくひっそりとしている。数人の武装したいかつい男たちが、遠巻きに橋を見つめている。
都の中心の方から、白い狩衣に弓を背負った一人の人物が橋へと近づいてきた。いかつい男たちのうち、いっそう大きな体格の、黒い着物の男が振り返り、その人物に大声で呼びかけた。
「おお、美緒か。ここだ」
呼ばれた白い狩衣の人物——よく見れば、男装した女である——が男の方へと駆け寄り、話しかける。
「九郎丸殿、あれか」
「うむ。初めて見たが、鵺というやつか」
検非違使の九郎丸が指さす方には、大の男三人分ほどの大きさの奇妙な獣が居座っていた。猿のような赤い顔だが、体は巨大な猫か虎のようであり、背には長い茶色の毛を逆立たせ、蛇のように鱗のある尾が意思をもつように動き回っている。
この巨大な妖がもう三日もこの橋に居座っているのだという。検非違使が呼ばれて矢を射かけてみたものの、びくともしない。そんなこんなでこの男装の女ーー美緒が呼ばれた。
「陰陽寮の陰陽師どの自ら出向いていただくなど、恐れ多いことだが」
と九郎丸が茶化す。
「やめてくれよ九郎丸殿。ここは都と外界の境だ。陰陽寮としても放っておくわけにはいかないよ」
「ふん、相変わらず親父殿にこき使われているようだな、美緒」
そう言われて美緒は苦笑した。図星か、と九郎丸も笑う。
「さて、こいつはどうするんだ、陰陽師どの」
「見立てどおりなら、そう大したことはないはずだ」
そう言って美緒は背負っていた弓を手に取って構えた。しかし、美緒は矢をどこにも持っていない。矢のないまま、弓の弦をぐっと引いて、そして、離した。
ピイイーン、と鋭い音があたりに響き、そして
「キュウッ」
という小動物のような鳴き声が聞こえた。その時にはもう、巨大な妖の姿はそこにはなかった。
九郎丸の部下の検非違使たちがあたりを見回す中、美緒は妖がいたあたりにつかつかと歩いて行き、
「やはり、こいつだ」
と、茶色い猫くらいの生き物を持ち上げて九郎丸の方に差し出した。
「ははあ、獺か」
美緒が持っているのは、ぐったりとした獺であった。気絶しているようだが、息はしている。
「おおかた、川をつたって街まで出てきてしまい、人の多さに驚いて妖に化けたのだろう。まだ若いが霊力が強い。うちに連れ帰ってしつければ式神にできるかもしれないな」
「こんな小さな獣があんな化け物のふりをしていたとはな。まあおかげで一件落着だ。今日はまだ仕事があるのか」
「いや、今日は陰陽寮に戻って報告書を書いたら終わりだ。久しぶりに明るいうちに帰れるよ」
しかし、そうはいかなかった。
陰陽寮に帰り、報告書を持って上司の陰陽頭に提出に向かった美緒は、陰陽頭に驚くべきことを告げられた。
「明日からお前は、東宮様の御所にお仕えしてもらう」——