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第15話 呉豆腐

お待たせしました。


 その日、厨房に一人の新人料理人の悲鳴が響き渡った。


「うぎゃーっす! な、ななな、なんでウチが国王陛下と王妃殿下の厨房へ行くことになったんすかぁー!? この国の料理人すべてが憧れる天上の厨房っすよ! そんなの恐れ多いっす! 恐れ多くて死んじゃうっす! ウチのような新人が足を踏み入れちゃダメなところっす!」


 うん。それは本当に申し訳ない。つい成り行きで……。

 顔を真っ青にしてガクガクブルブル震えているヨシノに、私は心の中で深く深く謝る。


 王妃サルビア様とのお茶会でいろいろあり、ヨシノは今度、新作和菓子を別の厨房へ教えに行くことになったのだ。


 正確には私から派遣を申し出たというか……私が言い出さなくてもサルビア様にお願いされたら和菓子担当のヨシノが行くことになっただろうし、きっと未来は変わらないと思う。


 ごめんなさい。諦めて! 王太子妃も王妃もそんなに変わらないと思うの! それにここ、この国で二番目に尊い厨房だから!


「ウチは一番の新人っすよ! 失敗したらどうするんすか!? く、首が物理的に飛ぶっす……! こんな下っ端(ペーペー)が赴くのは無礼っす! 不敬っす! なのでここはウチが尊敬する偉大なる先輩たちが行くべきっすよ!」


 その尊敬する偉大なる先輩たちは、新人に潤んだ懇願の眼差しを向けられて――スッと一斉に目を逸らした。絶対に行きたくないと言わんばかりに。


 無言で下ごしらえに集中する先輩。

 急に腹痛や頭痛を訴え出す先輩。

 棒読みで食糧庫の在庫確認に消えていく先輩。

 しゃがんで姿が見えなくなる先輩。


 わぁお。本当に素晴らしい先輩たちね! ヨシノが可哀そう! そして、私も同じ立場だったらそうしたかも!


「ヨシノ」

「りょ、料理長……!」


 唯一声をかけてきたのは、厳つい顔立ちの大柄な料理長。

 彼は大きな手をヨシノの肩にポンッと置き、


「諦めろ。これも経験だ」

「りょ、料理長……」


 僅かな希望で輝いていたヨシノの顔が、一瞬にして絶望に染まった。

 期待させたところを突き落とす――料理長、なかなかいい性格をしていますね。


「王妃サルビア様のご指名だ。これは大変光栄なことだぞ。お前の腕は俺が保証する。頑張ってこい」

「料理長……うっす! ウチ、頑張るっす!」


 料理長の励ましの言葉が『サルビア様のご命令なら俺たちではどうしようもない。だから、まあその、頑張れ……』という意味に聞こえたのは私だけですか?

 ヨシノのやる気が出ているなら気にする必要もないか。


「安心してください。私も一緒に教えることになっていますので」

「ありがたいっす……本当にありがたいっす……! 一人だったら死ぬほど心細かったっす!」


 できることなら私も行きたくない。でも、行かなかったらサルビア様の心証を大きく損なうことになるだろう。

 侍女アズアズが私、王太子妃アズキであることもバレているはずだし。

 あぁもう。考えただけで胃が痛い。


「教えるのが料理人なのが幸いですね。もしこれがサルビア様だったら……」

「お、恐ろしいことを言わないで欲しいっす。実際にそうなったらどうするつもりっすか」


 ハッハッハ! そんなことあるわけないじゃないですか! …………ないよね?

 もしそうなった場合は、


「……なんとか笑顔で乗り切る。それしかないです」

「そ、そうっすか……」


 ヨシノと強張った表情で笑い合い、即座に悪い考えを吹き飛ばす。

 冗談でも言うんじゃなかった……。反省してます。


「ちなみに、王妃サルビア様ってどんなお方っすか? 遠目にしか見たことないっすけど」

「……それを聞いちゃいますか」

「ね、念のためっす」


 そうね。サルビア様は――


「ヨシノは今までに人生を左右する試験を受けたことがありますか? 一つのミスも許されない、生きるか死ぬかくらいの試験を」

「そうっすね。王宮の料理人になるための試験っすかね」

「では、サルビア様は、その試験を監督する試験官みたいなお方ですよ。誰にでも平等で優しく、でも同時にとてもお厳しい。しかも抜き打ちの試験なので、どこで始まるかわからず、いつ始まったかもわからなくて、何気ない会話の一つも実は試験だったりして、一瞬でも気は抜けないっていう……」

「お、おっふぅ……」

「そして想像してみてください。その人生をかけた試験の試験官が姑、何度かしか二人きりで話したことのない、仲が良くもないけど悪くもない夫の母君だったら……」

「あ、聞いただけで胃がモヤモヤしてきたっす。もう聞きたくないっす! 想像したくないっす!」

「ハハハ。私は胃に穴が開きそうでしたよ――と、アズキ様はおっしゃっていました」


 思わず本音が漏れてしまったけれど、今のは私は侍女のアズアズということになっている。咄嗟に誤魔化せた、はず。

 なんだかすでに身分がバレてしまっている気がしなくもないが。


「カトレア。今のは聞かなかったことにしてください」


 ヨシノとの会話は、静かに侍っているカトレアには筒抜けだ。しかもカトレアとサルビア様は親友らしいので、今言ったことが伝わってしまう可能性がある。

 口止めしておかないと…………お願いですから黙っていてください、神様仏様カトレア様ぁ!


「ふふふ。よろしゅうございますよ。美味しい和菓子を日々頂いておりますゆえ」


 やった! これが和菓子の力なのです! 和菓子様、最高!


「ヨシノもサルビア様がどんなお方か軽く知ったところで、向こうの厨房に何を教えるか考えましょうか」

「今まで作った和菓子じゃダメなんすか?」

「餡子やみたらし団子、大福、あんころ餅など、これらの和菓子を教えるのは当然です。それに加えて、追加で新しい和菓子のレシピをお渡ししなければなりません……サルビア様にお出ししてもご納得いただける和菓子を」


 それが王侯貴族の面倒くさいところ。既存のものにプラスαが必要。

 プラスαがあったほうが心証もよくなると思うし、あのサルビア様のご要望だ。お茶会で用意されていた和菓子だけで納得されるはずがない。


 ――私は試されている。


 これはある種の交渉。試験……いや、サルビア様なりの練習なのだろう。

 サルビア様を交渉の相手と考えたら、既存のものだけだと足りない。あのお方を満足させるに足る()()が欲しいところ。


 今回の場合は、新しい和菓子がそれに該当する。

 しかし、何にしましょうかね。いくつか候補はあるけれど……。


「今、アズ様が作っているものじゃダメなんすか?」

「これですか? これはストレス解消と現実逃避のために作っている和菓子なので、サルビア様の厨房に教えるには物足りないかと」


 ずっと会話しながら私は新たな和菓子を作っていた。

 材料を全て混ぜ混ぜしている真っ最中。そろそろいいかしら?


「確かに葛粉、砂糖、豆乳だけっすもんね。全部混ぜたら……火にかけるんすか?」

「そうですよ。このままとろみが出るまで混ぜ続けます」


 混ぜ混ぜ混ぜっと! すぐに葛粉が固まっていく。


「水飴みたいなとろみっすけど、材料だけなら豆腐っぽいっすね」

「おっ! 正解です。今作っているのは『呉豆腐』って言います。一般的な豆腐はにがりで固め、呉豆腐は葛粉や片栗粉で固めます。プルップルになりますよ、プルップルに」

「豆腐の和菓子……? 豆腐が甘いんすか……? プルップルの豆腐……?」


 まあ、そうなりますよねー。困惑して当然。

 でも、美味しいんですよ、呉豆腐。


「とろみが出たので火を止めて、容器の中に流し入れ、これを冷蔵庫で冷やせば完成です。ほとんど甘みをつけていないので、黒蜜をかけて食べると美味しいですよ」

「黒蜜!? 豆腐に黒蜜っすか!? うわぁ……全然味が想像つかないっす!」

「お砂糖なしで作ってお醤油や味噌ダレをかけると、おかずになります」

「和菓子だけじゃないんすね。ほぇー!」


 すべて流し入れたので、トントンッと空気を抜き、表面を軽く整えたら冷蔵庫へ。

 うーむ。厨房の利用時間ギリギリには食べられますかね。結構強力な冷蔵機能がついている業務用魔導冷蔵庫だし。


「さて、呉豆腐を冷やしている間に何を作るか決めましょう。食糧庫の食材を見て考えてもいいですか?」

「もちろんっすよ」


 相変わらず大きくて広い食糧庫。美味しそうな食材が大量に保存されている。

 ふむふむ。いろいろありますねぇ。何を作ればいいのか迷っちゃう。

 しげしげと眺めながら歩いていると、


「あら。これは金時豆ですか」


 小豆に色が似ている赤茶色の金時豆。いわゆる『いんげん豆』と呼ばれる種類の豆だ。

 そして、お隣には同じいんげん豆でも色が真っ白な『白いんげん豆』が保存されていた。


「金時豆と白いんげん豆……これは使えそうですね」


 この二つの豆を使った和菓子が頭の中にパッと思い浮かぶ。


「ヨシノ。抹茶はありますか?」

「抹茶の粉っすよね? あるっすよ」


 抹茶もあるなら完璧ね。抹茶は餡子と同じくらい和菓子に必要不可欠なもの。これがあるだけで和菓子の幅が一気に広がる。


 金時豆。白いんげん豆。抹茶。


 これらを使った和菓子なら、サルビア様にお出ししても問題ないと思う。

 問題は、作るのに時間がかかること。最大3日くらい。


 ……悩むことではないわね。教える日まで時間はまだある。実質サルビア様への献上品なのだし、手を抜くわけにはいかないの! 作るのが面倒でも最高の和菓子を献上しないと!


「決めました。サルビア様の厨房には『浮島』を教えることにします!」

「浮島……? 想像できない名前っすね」


 前世でも知らない人は多いと思う。

『蒸しカステラ』と言われれば、ヨシノもなんとなく想像できますかね。

 ただ、今のままだと浮島は作れない。浮島を作るために、さらに別のモノを作る必要がある。


「浮島を作るために――『白餡』と『甘納豆』を作ります!」



 ……まあ、豆を水に一晩浸したほうがいいから、今日は作らないけど。



 この後、冷えた呉豆腐に黒蜜をかけて、みんなで試食しました。

 プルップルでとても美味しかったです。



お読みいただきありがとうございました。

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