第13話 王妃サルビア
お待たせしました。
王妃サルビア様から『夫婦そろってお茶のお誘い(強制的な命令♡)』という召集令状、もとい手紙を受け取って、プライベートなお茶会に指定された日付は、手紙を受け取った次の日であった。
その日、というかもう今日なのだけど、私も殿下も偶然何も予定が入っておらず、断る理由もない。そもそも断れない。
殿下曰く、『オレたちのスケジュールをすべて把握した上で誘ったのだろう』とのこと。
昨日の今日で急すぎる。正直、心の準備をする時間が欲しかった……。
「力を抜くといい。ただの家族の団欒だ。気負う必要はない」
……無理です。絶対無理です!
確かに家族になりましたが、嫁姑問題というものがあるのですよ。
しかも相手はただの姑ではなく、この国の王妃様。序列はナンバー2。
男爵令嬢だった頃は、同じ席に着くことすら許されていなかったほどやんごとなきお方だ。
殿下との結婚が決まってから何度もお会いしているけれど、未だ慣れることはない。
うぅ。胃が痛くなってきたかも。
でも、今日は殿下がいらっしゃるからまだマシ。これで二人きりだったら……うん、考えるのはやめましょう。胃に悪い。
「さて、ここが母上の私室だ」
王族のプライベートエリアのごくありふれた扉の一室――そこが王妃サルビア様の私室だった。
お隣はもちろん国王陛下の私室だし、近くには王太子夫婦の私室も用意されている。他にも王子殿下や王女殿下の私室もある。
ちなみに、私室=寝室ってわけではない。私たち夫婦の寝室は別の場所。
ここは、王宮内で王族が気ままに過ごすプライベートルームの意味合いが強い。泊まることも可能だけれど。
私はあまり使用したことがない。王太子妃になったばかりで忙しいということもあるし……厨房が遠いの。
殿下も執務室に缶詰め状態で私室はあまり使っていないらしい。
「知っているとは思うが、母上は悪巧みが得意だが基本的には無害だ」
悪巧みってなに!? 知らない! 私、そんな情報知らない! 才女とか女傑とかは知っているけど……無害って人間に使う言葉でしたっけ!?
「……余計に力を抜けなくなりました」
「カトレアを相手にしていると思え。母上はカトレアの元主であり、親友だからな」
「あっ……振り回されるのですね」
「さて、オレの口からは何も言えんな」
察した。すべて察してしまった。
何も言えないってことがもう既に答えですよ……。
今まで優しく接してくれていたのは、猫を被っていたんですね!?
「気が重いです……」
「諦めろ。オレは遥か昔に受け入れた……」
「でしょうね。お母上ですものね……」
はぁ、と私たちは深々とため息をつき、諦めという覚悟を決めて、王妃様の私室をノックした。
すぐに侍女が扉を開けて私たちは入室する。と、
「あらあら。いらっしゃい。待っていたのよ。座ってちょうだい」
うふふ、と微笑む貴婦人が早速出迎えてくれた。
外見年齢は30歳にも満たない天真爛漫な目の前の女性こそが、トワイライト王国の王妃サルビア様である。
想像を絶する超美魔女! 若さの秘訣をぜひご教授していただきたい!
「ずっとアズキさんとお喋りしたかったの。今日はゆっくりしていってね」
「はい。本日はお招きいただきありがとうございます」
平然を装ってはいるが、内心緊張してどうにかなってしまいそう。
あぁ、手汗がヤバい。
「で、オレたちを呼び出したのは何の用ですか?」
「いきなり直球できたわね。せっかちな男は嫌われるわよ? アズキさん、この子ったら無表情で言葉足らずなところがあるから大変でしょう? でも、誤解しないでね。意外と純情なところもあるから」
「母上ぇ!」
「どうしたの。せっかくフォローしてあげてるのに。あ、でも、私はアズキさんの味方だから。息子よりも嫁が可愛いの!」
「そんなのはどうでもいいですから!」
開幕早々、あの仏頂面殿下が振り回されている。
さすが、母は強し。殿下でも勝てないのね。
標的が殿下になっている間に私はお茶をいただく。
あら美味しい。疲れた胃に沁みるぅ……。
「母上と腹の探り合いをして勝てないのはわかっていますから、要件を教えてください!」
「最初から勝てないと諦めているならまだまだね。この先やっていけないわよ?」
コロコロと上品に笑うサルビア様を見て、私はようやく殿下が言った『悪巧みが得意』という意味を理解した。
昨日までのサルビア様の私のイメージは『天然で朗らかな女性』。でも、実際よくよく観察してみると、無防備そうに見えて一切の隙がない。
腹黒というか、狡猾というか、狐というか、このお方はどんな凄惨な修羅場でさえも、ニコニコ笑顔を浮かべて乗り越えてしまいそう。
私は、軽く聞いたサルビア様の前職を思い出す。
「サルビア様は元外交官とお聞きしました」
「そうよ。外交でブイブイ言わせてたの! そしたら当時王子だった陛下と外国を訪問することが増えて、気づいたらお互いに恋に落ちてたのよ」
「……陛下曰く、『言葉巧みに言いくるめられた。あれはもはや詐欺だ』とのことですが」
「詐欺だなんて酷い。ちゃんと口説き落としたのよ」
酷い、と嘆きつつも、サルビア様は先ほどから一切変化のない可憐なニコニコ笑顔である。
わぁお。どうして私は今までこの方のことを『天然で朗らかな女性』と思っていたのだろう。
「うふふ! 陛下とは後でお話をしないとね」
ずっと笑顔なのが逆に恐ろしい。
知れば知るほど『女傑』という言葉が相応しく思える。
「アズキ妃。教えておくが、今のこの国の外交のトップは母上だ。外務大臣は表向きで、実際は母上が裏の支配者だ」
ひょえっ!?
「あらやだ。ちょっと外国にコネがあるだけよ。うふふ! 今度アズキさんにだけ教えてあげるわね」
裏の支配者は否定されないのですね……。
王太子妃はお飾りの地位。実際は何も権限がない。サルビア様も同じだったはず。
なのにサルビア様は今、外交を任されている。
つまり、権限を与えるに相応しい才覚と実力を有し、認められたということ。
私には絶対無理。これから先、やっていけるかな……。
「とまあ、母上は外交で名を馳せ、陛下すらも口説き落としたズル賢い女傑だ。交渉事や策謀で勝てるわけがない」
り、理解しました……。
これくらいないと王妃という地位はやっていけないのかしら。
「もう。面白くないわね。それに『ズル』は余計よ」
ようやく表情を変えて不満げに口を尖らせたサルビア様。素の反応っぽいが、これも演技なのではないかと疑ってしまう。
「今日二人を呼んだ理由は、普通にアズキさんとお喋りしたかったからよ。夫婦仲も見ておきたかったし。アズキさん、そろそろ王太子妃には慣れた?」
「はい。それなりには慣れました。まだわからないことも多いですが」
「わからないことがあったら気軽に相談してちょうだい。私もその道を通ったから」
「ありがとうございます」
『気軽に相談できるかぁー!?』と思ったけれど、口には出さない。表面上平然と喉を潤す。
あ、お茶が美味しい……。
「アズキさんは今まで社交界に出ていなかったそうね」
「……はい。ダイナゴン男爵家は王都からも遠く、のどかな領地でしたから。お茶会や舞踏会も数えるほどしか参加していません」
突然なぜ社交界の話を? 男爵令嬢時代にほぼ参加していなかったことはご存じのはずなのに。
「先日、各国の大使との晩餐会が行なわれたでしょう? 大使たちが絶賛していたわよ。それを伝えておこうと思って」
うふっ、とサルビア様は笑顔のまま、突如、凜と張り詰めるような圧倒的な王妃としてのオーラを纏う。
「あえて王妃として述べましょう。王太子妃アズキ――よくやりました。外交は嘗められたら負けです。その点、晩餐会は国王と王妃の予想を遥かに超えた出来でした。国内外のあなたの評判は上々。その調子で王家の名に恥じぬよう毅然と振舞いなさい」
「はい。精進してまいります」
よろしい、と満足そうにサルビア様が頷き、息苦しい重圧が霧散した。
解放された私は、誰にも気づかれないよう密かに呼吸を整える。サルビア様の前じゃなかったら、膝を屈して息を荒げていたと思う。
冷や汗で服が肌に張り付いて気持ち悪い。表情筋が引き攣りそう。涙出そう。
正直、お説教されるかと思っだぁー! ごわがっだでずぅ……!
もう嫌……和菓子食べたい……!
「さて、軽いお喋りはこの辺にして、お茶会を始めましょうか。もう脅すようなことはしないから、安心してゆっくりしてちょうだいね」
『ゆっくりできるかぁー!?』とか『やっぱり脅していたの!?』とか、心の中で盛大に泣き叫んだ私は、ふとあることに気づいて愕然とする。
――お茶会はまだ始まっていなかったんですかっ!?
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