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優れた者が幸せになり、劣った者が不幸になる。
だからこの世界は、正しい。
「そうは思わないか。ビオ・ブラウンさん」
俺は、木に吊るされた女性に語りかけた。
4月。高校の体育館裏。放課後にて。俺は留学してきた黒人女性であるビオ・ブラウンの両手をロープで拘束し、そのまま桜の木に吊るし上げていた。
「人類の発展には、優れた遺伝子同士をマッチングさせていく必要がある。その過程において君のような劣った遺伝子は、ノイズでしかない。だから差別という行為で、淘汰していく必要がある」
俺は語りながら、ビオ・ブラウンを見る。高校規定の紺色の制服。そして制服の色と一見、見分けがつかないような黒い肌。チリチリの長い髪の毛。
「外見は、優れた遺伝子であるかどうかを位置づける一つの指標だ」
俺は彼女に近づく。そして、思いっきり下腹部を殴った。
「うぐっ!」
彼女のうめき声が上がった。そして、ぶらん、ぶらんと吊るされた彼女の身体が揺れた。
「君は醜い。淘汰されるべき存在だ。君は幸福になってはならない。何もせず、社会に迷惑を掛けずに、世界のために死ね」
さらに俺は、彼女の下腹部を殴った。同じように呻き声を上げ、吊るされた身体が揺れた。
「そういうのを、何と言うか知っていますか。犬養さん」
彼女が喋った。外国人にしては、流暢な日本語だ。犬養とは俺のことだ。犬養 英明が俺の名前である。
「優生思想って言うんですよ。沢山の人から批判されている思想です」
彼女は、強い意志を持った目で俺を見た。まだ心は折れていないと、そう訴えているようだ。
「愚かな奴だな。沢山の人が批判している。だから正しい、と。まさに劣った遺伝子の考え方だ」
俺は彼女の訴えを一蹴した。
「ヒエラルキーは常に壺型に分布するもの。上層に位置する限られた者たち。中間層に位置する多数派。淘汰対象である下層の者たち。そして下層の淘汰が完了すれば、次は中間層から下層に降ろされる者たちが選定される。つまり優生思想によって得するのは上層に位置する極わずかな者たちだ。多数決で決めてしまえば当然、否定派が多くなるに決まっている」
弱者は群れる。そして大群に有利に働く多数決は、弱者に都合よく扱われる。多数決は物事を決める手法であって、正しいか否かを確定させるツールではない。
「優生思想の否定は本当に愚かな考えだ。確かに得するのは一部の者たちに限られる。しかしそれは下層に位置付けられた原因を排除していくために必要なこと。例えば肌の色によるハンデがあるのならば、ハンデとなりえる肌色の者たちを全て排除してしまえば良い。そうすれば生殖行為はありふれた肌色の者たちだけで行われ、産まれてくる子供たちが肌の色で苦しむことが少なくなる。命の選定を徹底的に行えば、不幸になる人間は減るのだ。そして君たちの存在は、それを邪魔している」
俺はまた、彼女の下腹部を殴った。呻き声が上がり、身体が揺れた。
「あなたは、自分が同じ目に遭ったらと、考えないんですか」
彼女はなおも、くだらない戯言を言った。
「馬鹿はそうやって、ありもしない仮定を定義する。今、お前を殴っているのは誰だ? この先、この立場が逆転すると思うか?」
「あなたはもっと歴史を知るべきです。差別は時に、急に発生してきました」
「お前はもう少し現在を知るべきだ。このご時世で、価値観がそう簡単に変わるものか。だから今もなお、差別は続いているんだ」
俺は彼女に人差し指を向ける。
「だから、この世界は正しいんだ」
依然として彼女は、獰猛な目を向ける。俺は彼女が気絶するまで殴り続けた。気絶したのを確認すると、ロープだけ解いて、俺は帰宅した。