①
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
まだ序盤も序盤で面白い以前の問題かと思いますが、もし続きを読みたいと少しでも思っていただけたなら、コメントいただけると大変励みになります。
*************
私に記憶というものはない。視界に捕らえた生物を殺し、空腹であれば喰らい、そうでなければ、すぐさまに次の生物を探して森を徘徊する。血塗られた自身の醜い手を、足を、眺めながらひたすらに生きる。この森の生物である限り、いつか自分より強いものに遭遇し殺されることだろう。目の前に転がる死体のように殺されるのだ。それを恐れる気持ちも望む気持ちも、今はもう抱けない。ただ無心に、この森で生きている。それが私という存在であった。
*************
ジグルド=アグ=イルタは屋敷で開かれた祝いの席で少しの誇らしさと多大な退屈を抱えて、パーティーの様子を眺めていた。それは彼のコルト高等学院への入学を祝って催されたパーティーであり、各地の権力者や豪商、学院教授など多くの者が酒の入ったグラスを片手に談笑をしていた。
パーティーの主役であるはずのイルタの席は、彼らのいるフロアから少し高い所に設けられており、その席から離れてはならないと、父と母から厳命されていた。あくまで、フロアにいる彼らがイルタに祝いの言葉をかけに来るのが儀礼であるという説明を受けたが、真意としては、イルタの家系では及びもつかないほどの権力者たちが、自分の息子にかしずく様を思う存分味わいたいという両親のエゴによる命令だということをイルタは知っていた。
イルタの家系は平民ではないが、次々に祝いの言葉を述べては媚びるような目を向けてくる彼らを上から見下ろすことの出来る身分ではない、下級の貴族である。しかし、イルタが生を受けた瞬間から、ジグルド家は有数の権力を持つ大貴族と同等の扱いを受けるようになった。それもすべて、イルタの首筋に刻まれる、プライのディメンションが原因であった。
首筋の紋様はその人間の魔術の素養を示す。ディメンションと呼ばれ、ポイト、ライ、プライ、ソリド、コスムの五種類ある。生まれながらにして刻まれるその紋様は、生涯変わることはなく、その人間の魔術的素養の到達点を示すと言われていた。
多くは生来より首筋に、それぞれのディメンションに対応した紋様が顕れる。ポイトは点、ライは一本の線、プライはひし形として顕れ、後者ほど強力な魔力の素養を持つとされていた。
人界と魔界の千年に及ぶ戦乱から、この世界は強さが、全ての物事における優劣の基準となっている。より強いものが、より大きな権力を持ち、財をなし、より美しいものとして多くの子を設ける。今日パーティーに集まったものの多くも、彼ら自身、あるいはその家系の強さによってその地位を勝ち取った者達ばかりだった。
求められる強さは、端的に魔物との戦いに勝つための強さである。イルタの首筋に刻まれたひし形の紋様を持つ人間は世界でも指折りで数えられるほどであり、世界で有数の強さを得ることが出来るということを示していた。イルタが若干十五歳にして、多くの権力者にかしずかれている理由である。
ディメンションのうち、ソリドとコスムは、生存する人間には存在しないとされている。ソリドを授けられた子供は、強すぎる魔力によって歪められた異形の姿を持って、母の腹を食い破って生まれる。ソリドの子は十年に一人生まれ、プライを上回る魔術的素養を持つと言われるが、生まれた日のうちに必ず殺されてしまう。それは単純に、ソリドの子の醜さが、人間に本能的な恐怖を与えるものであるという理由もあったが、もっと大きな理由として、人類の大敵である魔物の始祖がソリドだと信じられていたのだ。ソリドは生まれた瞬間から全人類の憎しみに晒され、守ってくれる母もおらず無残に殺される。愛する女の腹を食い破って生まれた異形の子をあえて守ろうとする父もいなかった。
ソリドのさらに上位の存在であるコスムはその誕生すら確認されておらず、この世界を創った神がコスムのディメンションを持った唯一の存在であるとされている。それは、人の強さの尺度としてではなく、信仰の対象として人々に認識されていた。
つまり、プライの紋様を持つイルタは魔術において人類の最上位の存在であり、強さが全てのこの世界では、最も高い存在なのである。
イルタはため息をついて、会場を眺めた。彼らの多くはポイトであり、ライですら数人ほどだ。その数人は今ではふんぞり返って多くの者に囲まれているが、イルタの前ではこちらが申し訳なくなるほど、縮こまり地面に膝をついたまま、祝いの言葉を述べたのだった。
この世界はあくまで強さが人間の序列を決める。それはディメンションの序列よりも優先される。いくらプライのディメンションを持つイルタであっても、自分よりも強いライの人間の前では敬意を示す必要があるのだ。しかし、イルタは齢十五にして、このパーティーに集まる数々の権力者よりも強い。イルタは物心つく前から両親や先生から魔術の訓練を受けさせられ、物心つくころには、ポイトが人生をかけて修得するような魔術を無詠唱で扱うことが出来た。数年前まで、それが当たり前だと思っていたので、こうやって社交の場に出るようになり、両親よりも歳の上のいかにも偉そうな人間が、実は自分よりも弱いことを知って、愕然とした。
そこで初めて、ディメンションの実態、つまり自分より優れた魔術的素養を持つものがいないこと、同等の素養を持つものでさえ世界に数えるほどしかいないという事実を聞かされたイルタは、始めこそ誇らしかったが、すぐに今のような虚無感に似た退屈さを感じたのだった。
これから入学する学院に対しても、あまり興味を持つことは出来ていなかった。唯一、世界最強と言われる三人のプライの内の一人が理事を務めているという点にだけ興味をそそられて入学を決めたが、きっとその人以外は、今目の前にいるような、自分を化け物でも見るような目で恐れ敬う人間ばかりがいるところに違いない。そう思っていた。そう。今日までは。
「友達になってあげるわよ!」
突然、会場に響き渡るほどの声で叫んだ少女がいた。真っ赤な髪に真っ直ぐな青い瞳、年齢はイルタと同じくらいだろうか。退屈でぼーっとしていたから気がつかなかったが、その少女はテーブル幅の広いテーブルの向こう側から、テーブルを飛び越えんばかりに身を乗り出して、その真っ直ぐな瞳でイルタを見つめる。
「え?」
「だから、友達になってあげるって言ってるの!あんた、魔術の勉強ばかりで碌に友達もいないんでしょ。だったら私が友達にぃィっ!」
そこまで言って、少女は突然姿を消した。呆気に取られていると後ろからその子の父と思われる男と、これまた目を見張るように鮮やかな青い髪をした少女が申し訳なさそうに立っていた。
赤い髪の少女は父親に頭を殴られてテーブルの下に沈んだようだった。
「ジグルド様。私の娘が大変失礼をいたしました。」
そう言って、男は赤い髪の少女の首根っこを掴み持ち上げて、イルタに頭を下げさせる。
「私は国王近衛兵団所属のダイス=エル=ドルジと申します。この度はコルト高等学院へのご入学まことにおめでとうございます。」
男はそう言って、地に膝をつけて祝いの言葉を述べた。青い髪の少女は素直に父に従い、赤い髪の少女はしぶしぶと言った形で、父に膝をつけさせられている。
イルタは驚きの余り呆然としながら、何となく二人の少女を交互に観察した。赤い髪の少女は目の覚めるような青い瞳を持ち、青い髪の少女は燃えるような真っ赤な瞳を持っていた。強烈に印象的な対称であったが、顔や体の造形は似通っており、二人が姉妹、あるいは双子であることがうかがえた。
イルタの視線を読み取ったのか、ドルジが娘を紹介し始めた。
「こちらの赤い髪のがマキナ、青い髪のがティナと言います。来月より、イルタ様と同じコルト高等学院に入学します。本日は、その事前挨拶として参りました。」
「ご挨拶、ありがとうございます。ドルジさん。それにマキナさん、ティナさん、学院ではよろしくお願いします。」
そう言ってイルタがやっとの思いで言葉を返すと、マキナは「にーっ」と顔面全部で笑顔を作り、ティナは優しく微笑んでうなずいた。
どうやら学院には、少なくとも二人、自分に笑いかけてくれる人がいるのだ、と少しだけ、心が躍る思いがしたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
まだ序盤も序盤で面白い以前の問題かと思いますが、もし続きを読みたいと少しでも思っていただけたなら、コメントいただけると大変励みになります(切実)