無力
気づけば、瞼を閉じていた。
自分は眠っている最中なのか、はたまた眠ろうとしていたのかさえ、曖昧な境界にいる。
微睡んでいるようで、脳は段々と覚醒していくようで。そんな混沌も心地よいものだった。
熱くて、寒くて、そして…うるさい。
耳から入ってくる音。それは何かが燃えているような音、そして人々の絶叫。
咄嗟に目を開く。視界には燃える建物、倒れている人々、逃げる皆を残酷に殺していく魔物。
助ける。
そんな思いを抱くも体はピクリとも動かない。動かせない。
今なら救える筈なのに。僕はまた、救えない。
嗚呼、忌々しい。何が勇者だ。何が世界を救うだ。目の前の人を救えない奴に世界が救えるわけがない。
「やめろ!誰かっ!助け―」
鋭利な刃物が肉を切り裂く。それで助けを求める声が消えた。
「いやっ!来ないで…お願い―」
巨大な槌が肉を潰す。それで慈悲を求める声が消える。
「やめろ。やめてくれ。もうこんなものを見せないでくれ」
これが何なのかわかっている。夢だ。ただ―
「頼む。もういいから」
この夢はそう、まるで―
「サドラ…逃げて」
母の形をした幻想が、頭の中で囁いた。
「やめろぉぉぉーーーーー!!!!!!!」
まるで―過去の再演のようだった。
目を開く。すぐに周りを確認する。当たり前だが建物は燃えていない。
よかった、と心の底から安堵する。安堵の表れから思わず額に手をやると…尋常ではないほどの冷や汗をかいていた。額の汗を裾の部分で拭う。
ベット近くのテーブルに置かれた火が灯ったランプが、ゆらりと小さく揺れる。
気づけばもう、夜だ。
ランプの光は、夜の闇を祓ってくれるがそれは決して広い範囲とは言えない。少年は闇の中に潜む妄想の恐怖心に恐れを抱くと大きく身震いした。
だが、ほんのりと明るい光が、静かに天から降りてきたと思えば、闇からは次第に恐怖を感じなくなっていた。月明かりだ。
あれほど暗かった教会内部はいまや、うっすらではあるが見渡せるぐらいには明るくなった。
教会の中は昼間とは比べ物にならない程、荒廃の度合いが増している気がした。やはり夜の闇とは不思議なものだ。既知のものにさえ恐怖を孕ませる力がある。
しかし、少年の心にはもう恐怖心など一切無く、芽生えたばかりの冒険心がある。
―安静にしておいてください。
サーベイさんの言葉が頭の中で反芻される。だが体はすっかり元気になっており、もはや心配など無用といえる。おまけに竜に喰われてからというもの体を全く動かしておらず、少しウズウズしているのだ。
気持ちを抑えることはできず、足をベットから下ろす。
ヒタリと冷たい石床に足をつける。裸足であるために思わず足を床から離した。よく見ると、すぐそばに自分の靴が置いてあったのでそれを履き、ベットから完全に離れる。
少しの間瞼を閉じると、大きく深呼吸をする。口から肺へ、肺から全身へ。そんなイメージで酸素を取り込んでいく。
そして瞼を開くと一気に全身から力を抜く。
手のひらに架空の剣を握りしめて、一気に薙ぎ払う。
「(悪くない、鈍ってはいないな)」
久しぶりに動かす体は少し重たく感じたが問題はない。ただもう少し激しい運動がしたいと思い、周りを見渡す。教会は狭くはないが広くもないスペースしかないので、外に出ることにした。
「(そういえば、サーベイさんはどこに行ったんだ?)」
と何気なく思い、今は夜であることを思い出す。
「(きっともう寝てるんだろう。サーベイさんには悪いけど、今は少しでも腕を鈍らせるわけにはいかないからなぁ)」
コッ、コッと足音が進むたびに静かに反響する。
扉に手をかけようとしたその時だった。
「ッッッ!!!」
強烈な殺気。あまりに濃すぎる死の匂いに意識が沈みそうになるが、気を振り絞りなんとか耐える。
本能が"外に出るな"と危険信号を発している。姿こそ見えないがどのような容姿であれ関係ない。外にいるのは間違いなく化け物なのだから。
そしてふと白髪の彼女のことを思い出した。
「(彼女はまだ中にいるのか!?)」
急いで教会の中を隈なく捜索する。だが彼女の姿はついに見つからなかった。
もう思いつくのはただ一つ。外しかあるまい。
そう思い、扉の方へ振り返る...見えた。
それは、屋根の無い教会の中からこちらを見つめていた。
夜闇にクッキリと浮かんでいる怪物。
白い巨体にニ対の翼を携えて、赤い眼の竜はそこにいた。
「(また竜か!ついてないなぁ本当に)」
正直なところ、うんざりしている。これも勇者の運命とでもいうのだろうか?神様がいるのならばきっと、碌でもない奴なんだろう。
さて、状況は変わらず最悪だ。アレ相手に勝とうというのならデウス・エクス・マキナは必須だ。しかし、その在処がわからないときたものだからマズイ。
―チリィン…
背後から鈴の音のような音がした。
振り返ると、自分が寝ていたベットの横に、刀身から淡い赤光を放出している件のモノがある。
こんなところにあったのか、と自然に柄を握る。
するとソレはまるで、僕の心臓の鼓動に合わせるように光を強める。同時に瞳が突如として熱くなる。あの時と同じ...いやあの時よりもずっとずっと熱く。
光と熱は互いに高め合うように、その光量と熱量を増していった。苦しくない。むしろ光が、熱が高まるごとに高揚感が溢れ出る。戦いたくて、たまらない。自分で自分を抑えきれない。
―扉を蹴破る。気づけば、外へと駆け出していた。
「グオオオオオオオオオ!!!!!!」
白龍は疾走する少年を見るや否や、大きく咆哮した。そして隕石のように急降下し、地面と激突するギリギリで体を翻すと、そのまま少年目掛けて突っ込む。
「(…………………)」
少年は竜に怯えることなく段々と速度を上げる。
もう人間の出せる速度ではない。それを本人さえ自覚しないまま、風よりも速く駆け抜ける。
引きずっている剣に力を込め、唱える。
「第四拘束、解除」
勇者の剣、その刀身から眩い赤光と共に、大量の蒸気のようなものが放出される。
すると、刀身がバラバラになっていく。バラバラになったそれらは、落下する事なく浮遊し、辛うじて剣の原型を保っている。互いの距離を開き、その間を赤い光のような物が埋めていく。
元々、大剣だったが今はさらにそれを大きく上回るサイズだ。おそらく自分三人分の背丈はあるそれを引きずりながら更に速度を上げる。そして大剣を力任せに引っ張り上げて、また速度を上げる。
接敵まで、間もない距離。少年はその剣を大きく振りかぶると、速度を保ったまま竜にぶつける。
巨大な質量と圧倒的な速度を掛け合わせた一撃。
それが竜の側面に撃ち込まれ、そして―。
ガギイイィィィン!!
鋼と鋼をぶつけたような音が辺りに響き渡る。
刃は竜の体を断つ事はなく、弾かれた。そして竜は何事もなかったかのように、少年に向けて爪を振るう。
鉄すら、粘土のように引き裂くそれを見て、何もすることができない。
「(なんだ、ここで、終わりか)」
諦め。その感情を魂が受け止めた。
「(強くなると誓って、なんだか強くなった気になって。でもようやく、デウスの権能が使えるようになったのに)」
死が、すぐそこまでやって来た。
「ごめんなさい、みんな」
家族、あの人、村のみんな、世話になった騎士団の人たち。そしてあったばかりの僕に優しくしてくれたサーベイさん。
最後に、虚空に向けて別れを告げ、目を瞑る。
その爪は少年を引き裂き、辺りを血の海にするはずだった。
だがいつまで経っても痛みが、死が訪れない。
瞼を開く。そこにはあり得ない光景が広がっていた。
「え」
目の前に。竜の爪に脇腹を抉られて尚、立ち続ける一人の姿があった。
まだ少しの間しか関わっていないのに、その姿は鮮明に焼き付いている。
真っ白だった彼女は血に濡れて、赫く染まっていた。
「なに、やってるんですか…サーベイさん…?」
―嗚呼。嫌いだ。自分が嫌いだ。今、目の前で傷ついている人を助けることができない弱い自分が大嫌いだ。
「あ、あ。い、たいですね。これ」
彼女のすぐ下には血の海が広がっている。夜闇の中でさえ、クッキリとわかるほどに。
もう、無理だ。おそらく彼女は助からない。仮にここから生き残ったとしても、治療が間に合わない。
そんな、絶望的な状況でも依然変わりなく、彼女は優しい雰囲気を纏っていた。
僕の目から滲み出る涙の理由はなんだろう。
人を死なせてしまうこと?弱い自分への不甲斐なさ?彼女の優しさにあてられたから?
「あぁ、どうしましょう…とっても痛くて…凄く…イライラしてしまいます」
ピシリ。
彼女がそう言った途端、脇腹を抉っている竜の爪にヒビがはいった。
よく見ると彼女は手で爪に触れている。抑えているのかもしれないが、あまりにも優しすぎる触れ方なせいで抑えている様にはとても見えない。
ピシリ。
また爪にヒビがはいる。今度はより大きなものが。
「本当に、醜いですね。貴方。考え方は命の数だけあるとはいえ、命をそんな風に捉えているなんて…本当に醜い」
そして、竜の爪は粉々に砕け散った。
だが、彼女の怪我が治っているわけではない。まだ血が流れ続けている。
そして竜も異常を察したのかもう片方の爪を振り下ろす。
今度こそダメだと思った。振り下ろされる瞬間、反射的に目を瞑った。
恐る恐る目を開くとそこには振り下ろされた爪を、彼女が片手で受け止める非現実的な現実がそこにあった。
吠える竜。今度は確実に仕留めるつもりなのか―
「うるさいですね。黙って死んでろ」
いつ、持ったのか。彼女は剣を握っていた。
瞬間、三枚になる竜。嘘じゃない。三枚におろすようにして斬られたのだ。
刃を振るう動作すら見えなかった。ただ速いわけじゃない。
意識の外、斬りやすい箇所を瞬時に見抜き、刃を振るうのだ。
「貴方には送る言葉もありません」
ドバドバと滝のように溢れる竜の血が、大地に染み溶けていく。彼女の服はもう、彼女自身の血なのか竜の血なのかわからないぐらい鮮血に染まっている。
「サ、サーベイさん!」
彼女の元へと駆け寄る。竜は倒したが、怪我の深刻さは最悪だ。辛うじて立っているようなものだ。いつ死んでもおかしくはない。
「ん、あぁ。サドラ…君でしたっけ?申し訳ありませんが…肩をお借りしても…よろしいですか?」
僕は何も答えずに、彼女に肩を貸した。
ドッと体重がのしかかる。そして彼女はフラフラと歩み始めた。彼女の歩幅に合わせて自分も一歩ずつ歩く。




