アネモネの弱さ
週末が終わり、また授業が始まった。始まって早々憂鬱だ。さらに追い打ちをかけるように教師からこう告げられた。
「六月に学園でダンスパーティーが開かれます。そこで華麗な振る舞いを見せることができれば良い婚約者との出会いもあるでしょう」
学園は社交界の縮図。令嬢達は学園で婚約者探しをしているのだ。それと授業を少し受けて分かったが、授業で内容を理解させる気がない。というか、貴族のお家で幼少から学ぶ内容を習っていることが前提にある。学園でどういう人間関係を結び、卒業後に活かしていくか。学園とは学ぶ場ではなく、伝手を作る場だ。
だから、これは女性も教育を受けることができているという訳では無い。あくまでも良い妻となるために必要なことを学べるだけ。
「ですので礼儀作法、ダンスの授業により一層力を入れるように」
うわぁ、ダンス苦手だからなぁ。恥を晒すことになってしまう。えっ?戦闘できるのにダンス苦手なの?と思うかもしれないが、違うものは違うんだ!!などと心の中で言い訳した。
***
「礼儀作法としては基礎的なことですが、王家の家系について説明しましょう」
授業中に先生が私の方を見る。おい、何かやらかす前に教えておこうみたいな目で見るな。
「今の国王陛下、フリードリヒ様には弟がおられます。王弟殿下、オスカー様です。そして、国王陛下の息子は第一王子のフリージア様、第二王子のカルミア様がおられます。これが今の王家です」
あれ?思ったより王家少ないな?女性もいないし……あっ、そっか。隣国と関係を結ぶために王女を嫁がせるとかしなくていいから王女が必要ないのか。それで本当に女性が生まれないのもすごいが。あとは嫡子とその嫡子に何かあった時のための次男がいればいいと。無駄の無い構成をしているな。
そんなことを考えているとガァっというカラスの声をもっと野太くしたような鳴き声がした。この声は怪鳥!私は声がした方を見た。教室の窓から見えるのは中庭。そして向こうの棟。だがそこにはいない。そう思うと体が勝手に動いていた。私は窓を開けて枠に足をかけた。
「ヴィント」
空を飛び、声がする方に向かう。後ろの怒鳴り声は全く聞こえなかった。私の神経は怪鳥にだけ集中していた。声量的に怪鳥は多分向こうの棟のさらに向こうにいる。そこは確か……
"外にある武術指南のための場所"
飛んでいくとそこでは男子生徒たちがパニック状態になっていた。逃げ出す者、尻もちをついている者。それを収めきれぬ教師。間の悪いことに授業をやっていたのか!飛んでいる私に気がついた怪鳥がこちらに頭を向ける。
「危ない!」
その中で勇猛果敢に前へ出て剣を取っていたフリージアがそう叫んだ。怪鳥の注意がそっちに逸れる。危ないのはそっちだっての!叫んだりしたら怪鳥が攻撃しに行くだろうが!あぁ、もう!だがこの隙はでかい。
「ファイア」
フリージアめがけて飛び降りていく怪鳥に私は炎の魔法で剣を作り出し、攻撃した。剣を振り下ろす間に剣先が伸びていき、怪鳥の首を切り離した。
"ズドンッ、ズドンッ"
怪鳥の身体の方が先に地面に落ち、少しして首が落ちた。そこから血が広がっていく。フリージアは目を丸くさせ、後退りする。あ、この後どうするか考えてない。えーと、とりあえず教室に戻るか。私は一度も地面に降りることなく教室に戻っていった。その時にフリージアから感謝の言葉は一つもかけられなかった。それが雄弁にこの後の全てを物語っていた。
***
それから私はあからさまに避けられるようになった。生徒はもちろん教師からも。それはそうだろう。魔物を退治した、それはつまり魔物よりも強く恐ろしい存在ということでもある。一瞬で仕留めたこともその恐怖に拍車をかけていた。退治した人間がもしも男性だったら恐怖を上回る賞賛の声が上がったかもしれない。しかし、この状況は私にとっても恐ろしいことだった。
移動教室だったので、私は一人中庭を抜けようとする。その時私は聞いた、中庭の方からこんな言葉を。
「成り上がりの男爵令嬢が魔物を倒したって話は聞いたでしょう?直接見た人の話によると魔物を一撃で倒したそうよ」
「えぇ、私も聞いたわ。そんな力を持っているなんて恐ろしい」
私は柱の影で立ち止まった。表情が抜け落ち、思考の奈落に落ちていく。
"あぁ、もうダメだ"
私は生来の勘の良さからそう感じた。魔物を倒すということ自体は正しかったと思う。ただ学園の生徒が皆、私を恐れるならそれはもう罪人と同じだ。爪弾き、除け者にされる。
"人間の社会は大多数の人間が何を思うかで決まっている"
だから社会の小さな枠組み、学園の中でほとんどの生徒が私を恐れれば私の学園での居場所はなくなる。
"だが、それがどうした!前世から変わるって決めただろう!"
私には魔物退治がある。魔物と私、それだけの世界で命のやりとりをする。人間の社会での居場所なんて関係ない。あぁ、でも、それでも……
「アンスリウム令嬢」
そんなことを考えていると私は後ろから声をかけられた。あぁ、そうだ。私、アンスリウムだった。そのことに気がついて後ろを振り向く。そこにいたのは一番私に恐怖を感じているはずのフリージアだった。
「な、なんでしょうか?」
驚きを隠せたか自信がない。彼は情けないような、何とも言えぬ表情でこう言った。
「あの時助けてくださり、ありがとうございました」
そして、王族ともあろうお方が頭を下げたのだ。
「え、あ、え」
顔を上げてくださいと言うこともできず、私は動揺する。頭を下げているので、私の動揺には気がつかずに彼はまた喋り始めた。
「本当なら助けてくださったあの時にお礼を申し上げるべきだったんですが……情けないことにモンスターを倒したあなたが少し怖かったんです。でも、あなたが私の命を救ってくださったことに変わりはありません。今はとても感謝を感じています」
言い終わって頭を上げた時に彼から私への恐れは感じなかった。しかし、周りには他の生徒もいた。さっきのやりとりで一体どんな噂が流れるのかと思うと素直に喜ぶことはできなかった。
***
私、ルピナスは既視感のある光景を目撃した。
"これはフリージアとの確定イベント!!"
魔物を退治し、野蛮だと噂されるヒロインにフリージアが感謝の言葉をかける。そして、ヒロインは魔物を退治して良かったと思うことができるのだ。私は柱の影に隠れて様子を窺う。フリアネ(フリージア×アネモネ)の中でも名場面だ。それが見られて嬉しい気持ちと嫌な気持ちが矛盾するように存在する。
だがゲームとは違う点もある。ゲームでは侮蔑の目で見られていたが、実際には畏怖の目で見られている。何故そうなったのかは分からない。しかし、この世界はゲームとは違う世界なのだと強く感じさせる。きっとゲームの世界の平行世界なのだろう。エンディングなんかよりももっと多くの未来へと分岐する世界。そう思うと私とフリージアが結ばれる未来も……
いや、そう簡単には切り替えられない。やっぱりフリージアがヒロインを好きになる未来が頭にこびりついて離れない。あっ、話が終わったみたい。フリージアがこっちに向かってくる。逃げなきゃ。そう思って彼とは反対方向を向いた。
「ルピナス、さっきのはお礼を申し上げただけだよ。やきもちを焼くことはないんだよ?」
すぐ後ろで聞き覚えのある声がする。私が後ろを振り向くと笑顔のフリージアがいた。いや違う。笑顔の裏に意地の悪さが潜んだフリージアだ。
「別に。そんなことはありませんわ。自意識過剰では?」
私はフリージアから背を向ける。
"このバカ、バカ、バカ!フリアネが頭にこびりつくなら、なおさらフリージアとの仲を深めるべきなのに!"
悪役令嬢の役が抜けない。それだけじゃない。素直に照れることができない。うぅ、本当に私にフリージアを攻略するなんてことできるの?
「婚約者であるルピナスが一番だよ」
彼はいつのまにか私の目の前にいて手の甲にキスをする。ウッ、かっこいい。顔がいい。
"でもこれは婚約者だから"
体裁を整えているだけで本当に私が一番なわけじゃない。そういうフリージアだからこそ、体裁を装わないヒロインを好きになるのだ。好きなタイプは分かったけど、私とは程遠い。公爵令嬢で体裁を整えまくってるし。
***
私は夜中に寮を抜け出し、平日でありながらモリオンに会いに行った。モリオンをまるで心理カウンセラーのように扱うのは良くないと思っていても体が動いていた。私が取り繕わずにすむ相手はモリオンしかいなかった。
『……』
私は洞窟に辿り着くとモリオンに駆け寄って膝から崩れ落ち、モリオンの体に身を委ねた。モリオンは何も言わない。私ですら私が今何を思っているのかよく分かっていないのだからモリオンはもっと困惑しているだろう。それでもモリオンは言葉をかけてくれた。
『だ、大丈夫か?』
困惑は解けていないようだ。
『大丈夫じゃないな……えっと、その』
モリオンが初めて狼狽えている。私はそれが珍しくて軽く笑った。モリオンは安堵したのかこう言った。
『顔を見せてくれ』
私はモリオンの首元にいるので、私が見えない。だから、モリオンは心眼で心を読むことができない。そのためにここにいたのだが、私はモリオンに絆された。
「うん」
私は立ち上がり、モリオンの前に立つ。前の時と同じようにモリオンに噛まれて、とぐろへと座らされる。モリオンの赤い目が私を見つめている。私は縮こまるように体育座りをした。
『大丈夫、大丈夫だ』
モリオンは今まで聞いたことがない言霊、優しげな声色でこう言った。
「大丈夫って……誰がどう見ても大丈夫じゃないと思うけど?」
だが、モリオンの変化に喜ぶ余裕は今の私にはなかった。
『そうだな。確かにアネモネは大丈夫じゃない。だが、ここに来れば大丈夫になる。儂がここにいる』
あぁ、そうか。そういうことか。ストンと腑に落ちた。私が前世と変わらず、社会を恐れていることは仕方がない。怖くてたまらないのも仕方がない。でも、ここでなら私は何も恐れずに済む。彼は人間ではなく魔物なのだから。
"彼が私の心の拠り所になってくれる"
そう思うと心が軽くなった。息がしやすくなった。
『ところで寮を抜け出していていいのか?長居していたら朝になるぞ?』
モリオンは私の心を読み、もう大丈夫だと分かったのだろう。いつもの毒舌に戻っていた。
「やばい。もう大丈夫になったし、寮に戻るね!でも、もう一回だけ大丈夫って言って!そしたら頑張れる!」
私はとぐろから降りてこう言った。モリオンの優しさを堪能し損ねたからだ。
『はぁ……調子が良い奴だな。だが……そうだな。特大サービスだ。儂がついていってやろう』
ん?
「モリオンがついていく?学校に?」
『そうだ』
「えぇっ!!??」
私は一歩後ろに退いて叫んだ。