確信と王都
翌日、私は洞窟の前に立っていた。今朝はどうするかどう思っているのかを考えたが、大蛇を好きだということを否定することが出来なかった。大蛇を好きかもしれない、もうそれだけで十分だった。全然好きじゃなかったら好きじゃないで終わる話だ。そして、結局はこうして一人でやってきた。もう認めるしかない。
"私は大蛇に恋をしていると"
私は洞窟に入った。すると、洞窟の奥にいる大蛇のところまで連れてこられた。大蛇の赤い瞳だけが見える。ドキリと胸を打つ。
『やはり、やってきたか』
大蛇に表情は無いが、大蛇が面白がっているのが分かる。
「何か文句でも?」
それに少しイラッとして私は言葉を吐き捨てた。
『いや、無い。それどころか自分自身で儂への思いに気づき、こうしてやってくる面白い奴が現れてとても愉快だ』
大蛇は地雷ばかりを踏んでくる。大蛇が私のことを面白いとしか見ていないことに苛つく。
「この恋心に気づいたからには私のことを好きにさせてみせるから!」
私は苛つきに任せて言い放った。
『フハハハハ、本当に面白い奴だな。何十年もの退屈が吹き飛ぶ』
大蛇の笑っている顔が想像できる。ムカつく。
『では、退屈しのぎになったことだし、喰ってしまおうか』
大蛇が私の周りを這って正面にやってくる。私を一飲みにしようと口を開く。露わになった口の中は閉じている時より牙が長く見え、舌が滑らかそうなのが分かる。思うことはそればかりで恐怖は湧いてこなかった。
『恐怖すら抱かないか……よし、まだ喰わないでおこう』
大蛇は口を閉じてグルグルと私の周りを回る。
『面白くなくなった時に喰うとしよう。あぁ、そうだ。これをやろう』
私の目の前にルビーのネックレスが現れ、地面に落ちる。私はそれを拾い上げて眺める。ルビーの結晶をそのまま鎖で通してネックレスにしてある。簡素な作りでありながらルビーの輝きは既製品に少しも劣らない美しさだ。
『それを持って儂に会いたいと願えば儂に会える。まぁ、地中に引きずり込むということだが』
私は大蛇に呼びかけようとしてふと気がついた。
「あなたの名前は?私はアネモネだけど……」
『ふむ。人間共が名を勝手につけてはいるが、本当に名と呼べるものは儂には無い』
「それじゃあ……モリオン。黒水晶みたいな鱗だから」
『安直だな』
顔がない蛇だというのにモリオンは器用に目を細めて表情を作る。
「シンプルイズザベストだよ!モリオン、それでいい?」
『フッ、良かろう』
私が不貞腐れつつもそう言うとふわりとモリオンが笑ったような気がした。
「それじゃあ、今日のところは帰るね、モリオン。出口を出してよ」
『では、また会おう』
その言霊が聞こえると私は洞窟の出口に立っていた。さっきの洞窟での出来事が全て幻だったかのように思う。それでも、首にかけたルビーのネックレスが幻ではないと主張している。このネックレスは贈り物とは違う気がするけど、嬉しいな。ああ、本当に私はモリオンのことが好きなのかも……何となく温かい気持ちになり、私は心を弾ませながら家に帰った。
***
翌日、山の麓の村まで降りてきた私達を王立騎士団が迎えた。
"念願のアイスドラゴンの討伐を果たしたアーサーに爵位を与えるためである"
アイスドラゴンの討伐には騎士団が編成されるという噂もあった。ギルドから騎士団にその必要が無いことを連絡したのだろう。そして、アーサーの功績を讃えて爵位を頂くことになった。
放牧を主な生業とする慎ましやかな村。騎士団の馬車は無駄に豪華な装飾が多いような気がして場違いな感じがした。
王都ではあんなに豪華なものだらけなのだろうか?何だか息が詰まりそうだ。今から王都に行くのが不安である。騎士団が馬車にドラゴンを乗せたので、私も馬車に乗るために近づこうとすると父に引き止められた。
「馬車に乗っていくんじゃない」
「えっ!でも、他に移動手段が……」
「川舟に乗っていくんだ」
川舟。フェタイ王国を盆地状に囲むフェタイディゴ山脈から真ん中にある王城の湖に向かって流れる川の数々。そして、その川を移動手段とする川舟が存在する。対岸に渡す舟ではなく、川に沿って上下に移動するものということだ。ちなみに、上流を上っていけるのは魔法があるからだ。
「でも、川舟って庶民が使うものでしょ?王都に行くのに川舟なんて質素なもので行っていいの?それでもいいならその方が馬車より速いからいいけどさ」
そう、川舟は木で簡単に作れて質素だ。それに貴族や商人などが多くの人や物を運ぶ時に川舟は向かず、その時には馬車を使う。そのため、川舟は庶民が移動する時によく使うものだという認識だった。
「いや、川舟は川舟でも貴族が乗るような川舟があるんだ」
「えぇっ!そんな川舟が!」
私はそれにも驚いたが、川舟を見てもっと驚くことになった。
***
「えぇっ!馬車よりも豪勢!」
川舟は馬車とは比較にならないほど華美だった。構造自体は普通のゴンドラだ。しかし、細部の凝りようが全然違う。
先端には金でできた彫刻でぜんまいのように丸まった幾何学模様が描かれている。そして、色ムラが一切ないダークブラウンの木材が綺麗に組んであり、木材の淵に覆い被さるように金で装飾がされている。これだけの言葉では美しさが伝わらないだろうが、大雑把な私では伝えきれないほどの繊細さなのだ。
「おーい、まだ乗らないのかー?」
私が川舟の豪華さに目を丸くし、呆然と突っ立っているともう川舟に乗っている父に急かされた。
「はーい!」
私は急いで川舟に乗りこんだ。川舟の旅は快適だった。思ったよりも速いスピードだったが、水飛沫がかかることもなければ揺れ一つなかった。船頭の腕がいいのだろう。
壮大に広がる小麦畑、葡萄畑、様々な畑を抜け、だんだんと家が多くなる。王都に着く頃には煉瓦造りの家が並んでおり、川舟は橋の下を潜りながら進んでいく。
王都には魔物が出ることがそう滅多にないため、あまり来たことがなかった。それでも家が所狭しと並んでいるのは圧巻される光景でもあるが、窮屈そうだった。
広々とした畑の風景の方が美しい。これは田舎者のプライドによる身贔屓もあるかもしれない。しかし、そう思っていられるのも王城を見るまでだった。王都を抜け、視界が開ける。そこには……
"太陽の光で輝く湖、その孤島に白を基調とした王城が建っていた"
何故だろう。特別王城がキラキラと金色の装飾がされ、輝いている訳でもない。
"それなのに神々しさを感じる"
湖の輝かしさが神の住まう湖のように感じさせる。そして、王城にいるのは神だ。王家は守護神シュッツの加護を受けていると言われている。ただの方便だと思っていたが、この光景を見ると納得してしまう。
そう思わせる"何か"がある。
川舟はぐんぐんと王城に近づいていく。遠くで見ている時はすぐに壊れてしまいそうな儚さを感じた。というのに近づくと威圧されるような強さをありありと感じる。
私が惚けている間に川舟は湖の孤島、王城に辿り着いた。父が降りたのを見て私も木組の橋に降り立つ。木組の橋といっても普通の橋とは幅が段違いだ。馬車が三台、並走できるほどの幅がある。私たちが降りると川舟はそこから離れて別の場所に向かい始めた。王城のどこかに川舟の駐車場的な場所があるのかもしれない。
それをなんとなく見届けてから私たちは前を向いて歩き始めた。そこには門が佇んでいた。アーチ状の門である。日本の園芸家庭にある西洋庭園のアーチなんて比べ物にならない。門に近づいていくと上を向くのが辛くなってきたため、正面を向く。すると、これまた白くて大きな階段が出迎えていた。これは安易に感嘆することができない。戦闘が得意とはいえ、段差の多い階段を登れば疲れる。
とはいえ、私がなんとかかんとか階段を登りきると執事とメイドが待っていた。黒の燕尾服に白のレースがあしらわれたメイド服!やっぱ、すげー!私は二人を見て内心テンションが上がっていた。私は異世界転生系のように魔法を使ったり戦ったりなどはこれまでしたことがあるが、乙女ゲーム転生系のような優雅な出来事にはまだ出くわしたことがなかったからだ。
「お待ちしておりました、アーサー様。式典の衣装、流れ、その他諸々を指南いたしますので、アーサー様は私に付いてきてください。そして、子女のアネモネ様はそちらのメイドが案内いたします」
執事が淀みなくそう言った。私はメイドに向かってペコリとお辞儀をした。宮廷儀礼と違ったのだろう、メイドは少しだけ眉をひそめた。
「では、またな。ちゃんと宮廷儀礼を覚えるんだぞ」
「お父さん……父上こそ、頑張って覚えてくださいよ」
「おぅ!」
私は父上の気軽な返事に不安になりつつもメイドに付いていく。さて、この後のパーティーで悪役令嬢に会えるし、転生令嬢かどうか確かめに行こう!攻略対象?そんなもん知らんわ!私が攻略したいのはモリオンだからね!
***
鏡の前には赤髪によく映える深緑のドレスを見に纏った私がいた。緑色の瞳と合わせてくれているのか。深緑となると暗くなりそうだが、光沢のある艶感だ。くるっと回るとドレスが綺麗に輝く。よく分からない私でも分かる。匠の品というやつだ。高いドレスなんて宝石を散らばせたキラキラしたやつだろ?という私の考えは安易だった。というより、偏見だった。しかし、問題は……
「礼儀作法……」
私はメイドさん(お名前を教えてもらおうとしたら断られた)にみっちり教えられたが、付け刃といった感じだ。緊張する場で披露するには心許ない。
それにこのパーティーはチュートリアルの中に入っていて唯一ストーリーを知っているのだが、主人公は貴族に無礼を働いてしまい、怒られているところを王子様に助けてもらうことで出会うのだ。物語の強制力とか知ったこっちゃないのだが、このままではそうなってもおかしくない。大丈夫かな〜
"大丈夫じゃなかった!"
今、絶賛やらかし中。
「満足に挨拶もできぬとは何事か?やはり、平民が貴族になることなど到底認められませぬ。陛下に提言申し上げねば」
銀髪で眼鏡をかけた壮年の男性がチクチクとした物言いでそう言った。あぁ、ゲームでもこんな感じだったかな?でも、怒鳴られるよりはマシだな。まぁ、公共の場で怒鳴る貴族も偏見なんだろうな……
とこんなことを考えている場合じゃなかった。この状況をどうするのか?前世の私ならすぐに謝り、人から敵視されないようにするところだ。しかし、今世の私は違う。
"今の私には魔物退治がある"
社交界でどう言われようが、人になんと言われようが、魔物はそんなこと気にしない。命のやりとりをするのにそんなこと関係ない。そう思うと心が軽くなった。
「確かに挨拶を満足にできなかったのは私の練習不足です。申し訳ありません」
私の礼儀がなっていなかったのは確かなので、それはお辞儀をして謝った。しかし、前世の私と違うのはここからだ。矢継ぎ早に私はこう切り出した。
「しかし、平民が貴族になることは構わないと考えます。あなた様も先祖が成果を上げたから貴族になられたはずです。私達が成果を上げて貴族になれないのでしたらあなた様も貴族ではないと思いますが?」
まさかこんな風に言われるとは思わなかったのだろう。男性は眉をしかめ、反論しようとした。それを止めたのはストーリー通り王子様だった。
「公爵、あまり厳しくなさらずに」
そう言って微笑む様はまさしく完璧。金髪碧眼の王子様、フリージア・フェタイ。フェタイ王国の第一王子だ。
「私から言っておきます。アンスリウム令嬢、こちらへ」
アンスリウム……あ、私のことか!アンスリウムという姓名を貰ったんだよね。私は王子様の後に付いていった。後ろをチラッと見ると男性は不服そうな顔をしながらも引き留めることはしなかった。やっぱ、王子ってすごいんだ。
「すみません、驚いたでしょう?ブルースター公爵は宰相をしておりまして生真面目な性格をしているんです」
王子が優しそうに微笑む。確かこの後、悪役令嬢が出てくるはず。
「こういうものは慣れていないでしょうし、私が側につきましょうか?」
「フリージア」
王子の台詞に割って入り、後ろから出てきたのは悪役令嬢!ルピナス・ブルースター。先程文句を言われた公爵の娘だ。銀髪をまとめ上げ、鋭い視線を送る瞳は淡い水色。鳥肌の立つような美人がシルバーのレースドレスを着た様はまるで氷の女王のようだ。
「あらあら、婚約者である私を放っておいて成り上がりの男爵令嬢と仲良くされているとは」
台詞もまさしく悪役令嬢!私はついに悪役令嬢に出会った!