97 寅三つ(午前4時)炊飯 四方村陣屋・善三
やっと東の空が白んできたが、まだ薄暗い。
陣屋の奉公人と急場に頼んだ料理のできる近在の女、合わせて10人ばかりで、蝋燭の灯りの中、兵糧の用意中だ。
俺は陣屋の炊事番頭の善三である。
今回、炊事番は大わらわで、一昨日の夜はちょっとした宴会になったし、この陣屋には殿様やその客分も合わせ、全部で300人が泊まった。昨日もずっとてんてこ舞いで、その300人に夕食を用意したそばから、今日の兵糧の準備を始めたのだ。
そして、この時刻から最後の仕上げだ。材料はお城からの持ち込みだから良かったが、材料の仕入れからやっていたら、とても仕事が追い付かなかった。
「肉は使うのかい?」
「しっかり味付けしたやつを串に刺しておいた。それを炉端に突き立てて焼いて、火が通ったやつから冷ましてる。ほどほどに冷めたら、握り飯と一緒に竹皮に包んでくれ」
特に今回は、肉を調理するという試行錯誤まであったから大変だ。ただ、どういう調理の仕方をするにせよ、薄く切って出せば、まあ間違いはないことはわかった。
一番大変だったのは、牛を解体することかもしれない。屠殺は、立川先生が仙術で牛を昏倒させて目が覚めないようにしてから、俺が首を切って、息絶えるまで血抜きをする方法を取った。それ自体はやってみれば大変ではない。それよりも皮を剥ぎ取り、肉を骨から剥がしながら切断していく作業で、血抜きをしていても大量の血が出てしまう。そして、頭、臓物、骨など、使わない部分がどうしても出るので、最初から埋めるための穴を掘っておくべきだった。
牛を3頭も解体できたのは良い経験だ。腐らせず、少しでも長く持たせようと思ったら、味噌漬けや塩漬けがいいだろうと思った。あまり知識はないが、燻製なんかもつかえるかもしれない。魚みたいに干物にするのは、この地方では冬の方が晴れの日が多くて良いだろう。
今日の兵糧は、梅干し入りの塩握り2個、味噌握り2個、牛肉の串焼き2本、香の物数切れ。
「飯は握るしかないのかねえ」
「焼いた餅にするってのもありだと思うんだが、今日はいかんせん衝く暇がない」
こういう大きな量を作るときは、黙々とやっちゃならない。作業に追い込み過ぎると、最初はいいんだが、後の仕事が鈍くなったり、雑になったりしていて、本人がそれに気づかない。
だから、軽口でも叩きながら、気分を入れ換え入れ換え、やった方がいい。まして明け方に眠い目をこすりながらの作業なのだから、うとうとするのを防ぐことにもなる。
だから、「黙ってやれ」とか、絶対に言わない。話しながらやることで、気分が軽くなり、むしろ捗る。
それに、今の作業を楽にしたり、次につながる良い考えが出てくる場合もあるのだ。
「そういや、草加のあたりだと、薄くした餅をからからに干して、それを醤油や塩で味付けして、こんがり焼くそうだ。日持ちがして、小腹が空いた時にいいってよ」
「良さそうだね、それ。次の戦までに試して見るかい。また、狩りとかで、ここを使う家もあるだろうし、そのときにさ」
「蕎麦がきみたいなのを麦やほかの雑穀でもやったり、草加のやつみたいなのに仕立てるってのも面白そうだね」
「水持ちもへったくれもないから、腹持ちが悪そうだけどねえ」
「握り飯にするのでも、釜で炊くと時間がかかるから、餅を作るときみたいに、蒸すってのもいいかもな」
飯炊きや肉の仕込みをできるだけ、昨夜のうちにやっておいたおかげで、まあ何とか、あと半刻もあれば、陣屋の300人分は何とかなる。
後は旅籠と砦に分宿している分だが、そこはそれぞれで上手くやっているだろうと期待するのみだ。
仕事を続け、竹皮の包みが200を超えると、厨房の外の庭のほうが、段々とざわついてくる。灯りはまだ必要だが、かなり外は明るくなってきた。
「できてるかい?」
庭への通用口をの戸を開けて、旗本隊の組頭らしい男が顔を覗かす。
「ああ、そっちの行李に入ってるのは、運び出していいぞ。あとは、こっちの行李三つで終わりだ」
「わかった。おい、何人か来い。できてるところから、運ぶぞ」
「へいっ」
さっさと終わらせたい……その一念でやいれば、何とかなるもんだ。そうして、最後の行李に最後の竹皮の包みを入れ終わった瞬間に、どっと眠気が襲ってくる。
「よおし、終わった」
「ありがてえ。それで最後だな」
最後の行李を引き渡してやっと解き放たれた。
「皆、ご苦労だったな。隣の座敷を使わせてもらう算段はつけておいたから、一休みしてくれ」
「あいよ」
「おつかれ〜」
皆は三々五々、屋敷に上がり込む。俺もさっさと一眠りしよう。そして、今日は戦の見物に出かけたいものだ。