96 戌一つ(午後7時)変心 津山城御殿・栗原享之助
「わたしたちを守って欲しい」
御殿の一間で、狐に取り憑かれた女たち、殿様、和華さんに引き合わされ、和華さん自身の声でそう依頼されたのだが、ただただ困惑するだけだ。
(わたしたちを周防守の屋敷に閉じ込めようとした無謀な試みは、水に流してやってもいいわ)
「無理だ。私と和同は、弟子を殺された怨みもあるのだぞ」
「私の妻を騙しているようにしか思えんのだがな」
鴫沢さんと和同さんは当然のように声を荒げる。
[人にお説教する立場の人たちなんでしょう? もっと落ち着きなさい]
「こだまちゃん、いいこと言う。その通り。冷静にならないといけないよ、お坊さんも、神主さんも」
よくわからないが、狐は殿様に味方し、和華さんが狐たちの親代わり?
以前は、周防守の屋敷にドス黒い瘴気の穴を開けていた……それが、かすかに灰色かかっていて、邪な気が和らいでいる。
しかも、和華さんの気の煌めきが強く、品もさらに上がっていて、彼女たちの気の黒さを、さらに抑えている。
「和華さんが、この子たちを上手く抑えている?」
そう私が尋ねると、和華さんは少し困惑したような顔で答える。
「わたしが気に入られているのは間違いないけれど、それだけでもないんです。そっちの年嵩のおかつちゃんの方は、玉藻前が憑いていたけど、稲荷明神様の光を浴びて、ちょっと弱くなったみたい。今は人としてのおかつちゃんの言うことを聞くようになっている」
「そっちの娘の方は?」
「この子は、おこうちゃんと言って殺生石の小さい破片から生まれた玉藻前の分身が宿ってるの。こっちの方は、人の力の方が強くて、いろいろ面白がっているみたい」
「おこうって子は仙術師や法力僧として修行すれば、自力で九尾の狐とだって渡り合える。すごいな。陰陽師や宮司なら、どれだけ強力な存在を呼び出せるのか……。和華さん自身もすごく力が強くなってますよね」
「式神の空狐がわたしに憑いています」
「だから……すごい慈愛に溢れた気をまとってるんですが……」
「この子たちを力でねじ伏せてるわけではないんですよ」
「できれば、和華さんから離れたくないのよ」
「おっかさんみたいだし」
和華さんの左右の2人が、和華さんにすり寄る。
和同さんが、怒気を発するのがわかる。
「和同さん、冷静に。いざというとき、法力を発揮できませんよ。闇の力に落ちてしまうかも」
呪力で人を殺めるようなことさえやる私が言えた義理ではない。ただ、仙術師は自分の内在する力を振るうだけの存在でしかなく、人間の善悪に関係なく力は一定だ。しかし、僧や宮司が破戒を極めて暗黒の世界に染まると、妖かしとかわらなくなってしまう。闇の存在の方が制限少なく超自然の力を引き出せることがあるせいだ。
「わかってはいてもな……」
「大丈夫、わたしがが籠絡されてるんじゃなくて、わたしが籠絡してるの……かわいいのこの子たち。中にいる狐もね」
和華さんの手が左右の若い女を抱き寄せて、小さく優しく方を撫でる。娘たちは陶然としている。中の狐たちも、我々に気を許していないが、和華さんの声に癒やしを感じているようだ。だから、娘たちの邪魔をしない。
和同さんは嘆息する。
「修行が足らん。弟子を殺された怨みに、醜い男の嫉妬だな……『執着するな』が仏の教えの根本だが」
「だったら、執着を捨てて」
これは、空狐の力なのか? 明らかに、和華さんの声に我々を従わせようという力があり、それを自然に受け止めてしまいそうになる。これまでも辻での托鉢で大勢が魅入られているが、これは声に力があり、そのとおりにしてしまいそうだ。
《和華自身の力だよ。私が取り憑いて、増幅されるようになっているけどね》
「あなたが空狐か。眠らせて暗示にかけるとは違うのか?」
《似て非なるものだな。暗示にかけるには、忘我させねばだが、和華の力は、忘我させなくとも、この声の言うことなら聞いてしまおうと、自分から願ってしまう》
「やはり迦陵頻伽だ」
《多分、あなたたちのような術者でも、お願いが続けば言うことを聞いてしまうよ》
「悪用したら恐いな」
《九尾の狐をある程度まで籠絡してしまうくらいだから。ところで、あなたはどうしたいの?》
「私は和華さんに従おうと思っている」
「栗原さん」
「和華さんの声に従わせられたのか?」
鴫沢さんと和同さんは咎めだてるが……私の立場は二人とは違う。
「殿様はどこまでご存知かは知りませんが、私は御家老衆の雇われ人なのです。御家老衆には狐たちの探索を頼まれました。私自身、狐たちを危険と見なして、3人と力を合わせて周防守様の屋敷に狐たちを封じ込めようとしました。しかし、今の様子を見れば……和華さんこそを手伝いたいと思うのです」
私が立場をはっきりさせると、和同さんと鴫沢さんも覚悟が決まった。
「私はお断りする」
「私もだ。郡奉行様と作事奉行様と寺社奉行様はいかがされました? こたびの戦に御協力なさいますので?」
「いや。3奉行とも、戦には出ない」
殿様は出兵の拒否をあっさり認めてしまった。
「私たち2人は、あの村の弔いと地鎭をやってきましたから」
「特に郡奉行様、作事奉行様と心は同じです」
「うむ、わかった。そのかわり、戦が終わるまで城内に留まれ。余の客分としてな」
やれやれ……金で雇われる身の私だけが、和華さんを守って戦の場に出なければならぬのか……しかし、考えて見れば、私が備後守様の謀殺を引き受けたことが、そもそもの始まりだ。自分のしたことの尻拭いをしなければならんということなのだろう……。