95 酉一つ(午後5時)肉食 四方村陣屋・おせん
何とか、すべての用意が整ったのだろうか。
陣屋にお侍たちも、人足に出た百姓・町人が戻って来る。お侍たちには陣屋に泊まっている人もいるし、先生たちが呪いをかけた武具を受け取って、宿に向かう人もいる。百姓・町人は今日の給金を受け取って満足そうな笑顔を浮かべ家路につく。
先生も、他の術者たちも満足そうで、
わたしは昨日はすっかり寝込んでしまい、今日一日かけてやっと体の調子が戻った。
何しろ、あんな火の鳥をよびだし、操ったのだ。先生に唆されなければ、精も魂も尽き果てそうなあんなことは、やりたくない。
【あんな……とは、ご挨拶だな】
頭の中に、男口調だけど女の声が響く。
「言葉のあやです。いちいちけちをつけないでください」
朱雀の呼び出しに成功し、狐と戦わせたわたしは、朱雀との気脈が通じてしまい、いつでも朱雀の気の向いた時にお話ができるようになってしまった。私自身の呪いの器に、どれだけの力が残っているかにもよるけれど、不動明王の真言とともに、朱雀の眷属はいつでも使役できるようになっている。
【冗談だ。気にするな】
「取り憑いているのとは違うんですよね」
【四六時中、つきまとっているわけではない。今は、わたしを召喚したものが無事なのか気になっているだけだ】
「ありがとうございます」
【いや……見られているようで、浮気がやりにくいとか、本音を漏らすなよ】
「……」
【冗談だ。無言で怒るな。恐い】
「冗談が過ぎるんですよ」
ここのお殿様は面白い人で、精をつけるためと称して、鳥獣の肉食を励行している。実際、最近も狩りをして、家来の人と狩った鳥獣の肉を食していたと陣屋の奉公人が教えてくれた。
そのせいか、朝食も昼食も鳥肉の料理が出た。塩で味付けして、火であぶった料理でなかなか美味だったのだが……
【まるでわたしを食うがごときの料理だな】
とか朱雀に言われると、楽しい食事という気が失せてしまう。
【わたし自身を呼び出そうなんて者が何十年ぶりだ。それも、あの大妖にぶつけようというのだからな。つい、からかってしまうのは、気になってしょうがないからなのだ。それに、明日も使われるのだろう?】
「多分……」
【うん、明日は大丈夫。昨日は、もう一体の方を軽く見ていたのが悪かった。ああいう不覚はとらない】
「昨日の戦い方だと、大元の狐だけでもいっぱいじゃありません?」
【お主の連れ合いと、あの神主が、昨日やった呪いが効いている。稲荷明神が教えてくれ】
「そうですか」
そんな心の中での対話を朱雀としていると、夕飯だと声がかかった。
陣屋の大きなお座敷で、殿様や主だった将兵たちとの会食だ。
さすがに、明日は合戦を控えているし、敵の早駆けもありえないことでもないので、お酒をきこしめすことはないみたいだ。
膳には、朝昼に出された鳥肉とは違う獣肉の料理が付いている。獣肉は今はほとんど滋養強壮のための薬のような扱いで、固すぎる触感と生臭さのおかげで、猟を生業にしている人以外は、ほとんど口にすることはない。
「半田村で美味しく獣肉を食べようという工夫をしておりまして。村の庄屋と知恵を出し合い、いろいろ試みているんです。私の舌には、かなり美味しくできあがっていますので、お試しがてらに食べてみてください」
立川さんがそういうと、お侍たちは何のためらいもなく、肉片を箸でつまみ、口へと運ぶ。お殿様のお付き合いで鷹狩りなどは普段のことだから、獣肉を食べることにためらいもないんだろう。
「いや、なかなか香ばしく、うまい」
「これは何の肉なんです?」
「牛です」
「ほう……味がこう……独特ですね」
「醤油や味噌に、味醂を合わせて、そこに漬け込んだんです。薄く削ぎ切って、味が染み込みやすいようにして」
「なるほど、香ばしいのはそういう味付けのせいもあるんですね」
「コリコリしていて噛みごたえがいい具合だ。
「味噌汁にも、入れてあります」
「汁のなかのは、長く火が通っているせいか、柔らかいですね。口の中でほぐれていく」
「独特の脂身の甘い感じがなかなか」
半田村では、梶川様の馬だけでなく、村独自の売り物を作ろうとして、農耕に使う以外の牛を肉として食べるのはどうかと、試みているのだそうだ。
「実は、昼間、私らは殿様に献上した分の試食をさせられて。それで調理の方法を改良したらしい」
すぐ隣から、先生がこっそり教えてくれる。
「あら、別の間にいたけど、わたしのお膳には、朝と同じ鳥肉がついてましたよ」
「おせんの体が心配だったから、正体がわからないものは、避けてくれと頼んだんだ」
「あら、そんな風に言ってくれるなんて嬉しい」
「今、膳に載っているものは、味も心配はないから、どんどん食べるといいよ」
今日の先生は格別に優しい。こんな公の席じゃなければ、寄り添っちゃいそうだ。
お肉も美味しい。獣肉は町人にとっては薬も同然の高価なもので、滅多に食べるものはない。だけど、半田村では、誰もが毎日食べられるくらいに、牛を増やしていくのだという。
【精がつくからと言っても、今夜の契りは控えておけよ】
「もう勘弁して」
「また、朱雀?」
「うん」
朱雀がちょっかい出すみたいに話しかけてくるのは、術師としては喜ばなければいけないのだろうけど。
まあいいや、今は、案外に美味しい牛肉を食べることに集中しよう。