94 申一つ(午後3時)構想 田上城御殿・津山兵部大輔義正
さあ、郡奉行に続いて、作事奉行も、寺社奉行も、この場に2匹の狐がいると聞き、奴らと手を結ぼうというわしらに対して激しい弾劾の言葉を投げ掛ける。
「それでは、2人の配下の兵、各々50は外記に預けることとする。戦が片付くまで、城下の屋敷にて蟄居・謹慎を申し付ける」
「やむを得ませんな。村がどうなったか、左京に続いて見ておりますゆえに。外記の心変わりは理解いたしますが、その二人とやっていくのは無理でござる」
「私にも、狐を探査・討伐と御家老方はおっしゃって来たはずです。到底納得できませぬ」
うんざりといった表情で申し渡す内匠頭、荒々しく席を立ち、広間から下がる2人。
「後は、何人か小身の与力を残すだけか。経験のある将が減ったのは痛いがやむを得んな」
「奉行3人については申し訳ございませぬ。せっかく味方につけたのに……」
「いや、飛騨は、一時でも3人を味方につけてくれたのだから、感謝するほかない。あの3人がわしらに背いたのではなく、わしがあの3人に背いたのよ」
言い方は芝居がかっているが、偽らざる気持ちだ。すべてがわしの一存だということは間違いない。そもそも、出兵自体、わしの野心一つから出たことゆえ。
野心というより、博打である。田上郡の領主という立場自体、面白からずでやっている。面倒な爺どものあれこれやの小言を聞かされながら、小心者然として過ごすのがとことん嫌になった。だから、備後を除こうと思ったのだし、小うるさいだけの一門が片付いたのも、小躍りして喜びたいくらいだ。
しくじっても、最後は自分の素っ首を差し出せばいい。小うるさいだけの柵がすべて消えた。気楽なものだ。
「頼りになる奉行3人は欠けますが、陣容は出揃いました……」
内匠頭が大まかに、郡境までの進軍の序列を定める。
第1陣 安田淡路守 600
第2陣 津山吉景・一門残党・郡方・与力 500
第3陣 柴田内匠頭・与力 600
第4陣 本陣・旗本 1000
第5陣 本多飛騨守 500
第6陣 猪口外記・狐・作事方・寺社方 300
合せて3600……城中に残るのは、小物や老兵の門番が数十人のみだ。
敵がどういう陣形で待ち受けているかは、わからない。森脇村に物見に10騎ほどを残し、今日も何回か郡境の様相を伝えてきている。郡境に沿って、せっせと柵をこさえているようだ。それも幅一里に届きそうだと報告がきている。
気がつけば、吉景は寄せ集めとは言え、生前の弾正と同数の兵を配下に収め、外記もこれまでで最多の兵を率いることになる。将の頭数が減った分、総指揮は採りやすい。
堀部掃部が策を巡らせるにしても、昨日のように、狭い隘路に長く伸びた大軍を、前後挟撃で掃滅するということができるような地形ではない。東西両翼に森が迫っていると言っても、狭隘ではないし、見晴らしもいい。柵の背後に薄っぺらく兵を一線に並べる愚の骨頂のような陣を張るとも思えない。
「外記の隊を先鋒にして、最初から狐たちの威力を押し出すべきかと存じますが」
「相手がどう出てくるかわからんから、切り札は取っておいた方が良いだろう」
飛騨の提言に、内匠頭が応える。
「淡路が先頭におれば、相手がどう出てきても対応できる。安心感がある」
「それがしの軍勢は、一つひとつは強力でも寄せ集めになりますしな。先鋒よりも、これまで通りに殿軍で」
「戦が膠着したり、敵を決定的に突き崩したりするときが、わたしたたちの出番」
わしの答えに、外記が同調、狐の片割れが自分の役割をのべる。
意外に呼吸が揃った話の流れで、小気味よい。
「淡路の軍勢に中山道を真っ直ぐに南下してもらい、2陣以降は敵の出方をうかがいながら、西に迂回を図るのが良いでしょう」
「拙者も強攻しなくてよく、敵の第1陣、第2陣あたりまで引き付けられれば良いですかな」
内匠頭と淡路の同調した意見で、大まかな動きは決まったようなものだ。
「敵の弓兵に用心すべきです」
そこで意見を突如として述べ始めたのは、矢野輔(吉景)だ。
「周防殿の兵がどのように壊滅したか、狐たちに確かめたいのですが、一門の2陣が壊滅したのは敵の弓兵によるところが大です。威力のある短く速い矢で、大将、侍大将をまずは射殺そうとする。戦い方が巧妙です」
「それがしも昼間、おかつに話を少し聞いたが、そこは改めて聞いておきたい。外記と吉景殿以外にも知っておいて欲しいゆえに」
内匠頭がそう促すと、おかつではなく、おこうの方が話し始める。
「そうよ。砦に誘い込まれた周防守の軍勢もその手で烏合の衆にさせられたわ。あたしたちでなければ、切り飛ばせないほど速い矢も射掛けてきた。猪口さんの陣に下がれたのは、周防守が下馬していて、最初は狙われなかったおかげ」
(津山家は難しいことをせずに勝てる条件を揃えたから、油断があり、抜け駆け軍から1400を失う羽目になった。田上家は負けを承知で、あらゆるところに勝つための算段を揃えてきた。ただ、昨日の合戦で、こうして手の内もばらしたわけで、あとはどこまで付け込めるかね)
「ほう、お味方として発言してくださるか。ありがたい」
(ばかね。昨日、津山の兵からは恐怖をたっぷりいただいた。明日は、あなた方に協力して、堀部の兵からちょうだいするってだけよ)
「ははは……仲間意識を持ってしまったからと言って照れないでくだされ」
(お殿様。おかつとの力関係がまた逆転したら、あなたを最初に殺してあげるわね)
「うむ、一度、地獄も見物してみたいので、よろしく頼みますぞ」
おこうの話を受けた玉藻前との会話を聞いて、顔を赤くしてにらみつける家老どもの表情が面白くてしょうがない。玉藻前も人間におちょくられる経験がないようで、半分困惑していることが声に滲んでいる。自分でも不思議だが、本当に恐怖を感じない。家老どもも内治の責任がなければ、猪口のようににやにや笑っているのだろうが。
こういう好き放題に言える条件を、堀部掃部は自分で揃えてきたというわけか。正直、見習って、さっさと年寄りどもの排除を進めるべきだったと思う。こんなに気分が楽なのは、これまでの人生でなかったことだ。
「何はともあれ、進軍の序列については、特段に異論はござらんかな、ご一同」
内匠頭が軍議を再び仕切りだす。
「明日の昼、堀部の連中の動きや陣形も見ねば、最後の決断もできんことだ。これくらいでよかろう」
「明日いっぱいの腰兵糧は城中にて用意し、各人出立前に大手門にて渡すので、出立時に立ち寄られたい。第二陣以降は、準備ができ次第、太鼓を鳴らすので、速やかに城へ参られよ」
諸事は内匠頭に任せておけば、大丈夫だ。明日の軍配を執るのが、いささか楽しみになってきた。