92 未三つ(午後2時)弾劾 田上城御殿・津山矢野輔吉景
目の前の軍議は、紛糾していた。
久保多村で10人の女たちが犯され、殺されたという報が入ってきており、それが老婆か、即身仏かというくらいに干からびていたというのだから、最初の九尾の狐による久保多村の全滅の再現だ。
広間には今、御館様が上座、右に三家老と勘定奉行、左に和華さんと狐、私と外記。下座に郡奉行の山科左京太夫暁家がいる。下座に帰城した将を迎えて、率いてきた兵数や状態の報告を受けた後に、左右の席に席次順に移るというのが通例だが、左京が下座のままいきなり狐たちの弾劾を始めたのだ。
「女10人で済ませてるのだから、大目に見なさい」
おかつは開き直り、背後に2匹の狐の笑い声が怪しく響く……見た目は痩せ型の女だと言っても、妖かしには違いない。左京は久保多村の全滅に立合い、立て直しに奔走してきた。怒り心頭に発しても無理はない。狐を目の前にして、さらに食いつく。
「それだけじゃないだろう。昨日の敗戦も、お前らが関わっておるのだろう?」
(あら、言いがかり。あなた方の実力不足でしょ)
左京の肝っ玉は大したものだ。
それに対して、私の存在はちっぽけなものだ。私には、この軍議の席に参列するのも偶然なら、明日の戦で400の兵を率いるのも偶然。同年代の家老たちほどの武力も、知略もない。親父が死んだからこそ、総領息子として跡を継ぐのだし、親父に従っただけだから罪も許された。
津山の一門であっても、一門としての発言力のない男として、ここに鎮座していればいい。
むしろ、この軍議の紛糾を眺めていられる立場は、楽しいものだ。
「あたしは久保多村の生まれと言っても、もう知らない人たちしかいないし」
童女のようなおこうの話も、どこか調子が外れている。
「郡奉行は罪を問えと言わんばかりだが、それは無理じゃ」
領地や各地にいる自分の兵を集め、先程、左京が帰城してみれば、久保多村からの届け出があり、一度は討伐との声もあった狐が2匹に増えて、軍議の席に参加している。何事かという怒りはもっともだ。
「御家老衆も、周防殿の屋敷に狐がいるらしいとの報を得たときに、それを除こうとしたのではなかったのですか?」
左京殿の糾弾調の激しい言葉に……
「事情が変わった。軍略の道具として必要だ」と、笑みを浮かべながらの内匠頭……
「罰するとして、わしでも討てん者を誰が討てるというのだ」と、眉間に皺を寄せる淡路守……
「御館様も他の家老2人も使いこなせというのだから、どうしようもない」と、天井を見上げて嘆息する飛騨守……
「備後守様が、あの世お怒りでしょう。こういう不正義を許しておいていいんですか。飛騨守様も、私を定例の軍議で味方するように説得された時と、違いすぎて話にならん」
[お殿様、この人うるさいから、黙らせましょうか?]
「駄目ですよ、こだまさん。今は謂れのない乱暴は許しませんよ」
「うん、こだまちゃん、和華さんの言う通りだよ」
「暫時、待ってくれ。左京は郡奉行という役職上、村々の民の生活を守るという役目が重くてな。わしや家老たちのように、割り切ることが難しいのだ」
左京は左京で、尼の和華さんが軍議に加わり、狐たちを制御しているような様子に戸惑っている。御館様が一段さばけたような雰囲気になったことにも戸惑っている。この戸惑いっぷりは面白すぎる。
「それがしは町奉行だが、この二人の力を目の当たりにして、一武将としてこの二匹を使いこなすべきと考える」
外記がそう述べると、左京の怒りの火に油を注いだようだ。
「お前とは竹馬の友で初陣も同じ朋輩だ。津山一門への深い恨みがありながら、奉行としても、武将としても精勤していたゆえに尊敬もした。だが、お前も、この狐どもと同じだな」
「その実、津山家を裏切り続けてきたわけでな。だが、今は戦に総力を挙げるために帰参も許され、明日の合戦は全力を尽くすぞ。お前の信頼を裏切ったのは申し訳ないと思う。だが、事ここに至っては、勝つだけだ」
(猪口さん、黒いわね。弱くなったわたしと同じくらいの黒さかしら。あなたの考えに共鳴しちゃう)
[何でもいいけど、人としての生き方談義をする場じゃないでしょ、ここ。そろそろ少しは軍議らしくしない?]
「いや、お前らがいなければ……」
「そうは言っても、事の始まりだって、ろくでもない理由じゃない。津山家の領地を広げるってだけでしょうに? 百姓町人に狼藉を働く侍だっているし、あんたたちの存在が元からおかしいって気づきなさい。その上で、私に取り憑いているのは、人の存在を何とも思っていなくて、わたしがかろうじて人らしい心で抑えつけてるってことを、知っておいて欲しいわね」
おー、これは狐の言葉ではなくて、間違いなく、おかつの地の声だ。侍が土地を支配する世の中そのものへの批判が強烈過ぎる。
人を殺すという点で、ここにいる連中は同じ穴の貉……いや、狐か……笑える。
「あまり非道すぎることは、私ができるだけ停めますよ。ただ、戦に関しては、私は知りません。お侍たちが勝手にやっていればいい」
唯一人殺しではない尼の和華さんも、おかつに同調して手厳しい。この尼さんは間違いなく善の存在だ。それが狐を制御できるのなら……
「御館様。やっぱり、和華さんをここの領主にしますか? 誰も敵わない狐2匹を、和華さんが何とかできるというのなら、それが正しい気がします」
私は思わず発言していた。
「そうだろ、矢野輔。わしら侍は、人殺しのならず者で、狐たちと変わらんし、狐たちより弱い。津山家は表から降りて、せいぜい戦と政の道具として生きていけばいいのよ」
[矢野輔さん、あなたの言葉のせいで、ますます軍議にならなくなっちゃうじゃない……ふふふふ]
(はぁ……笑いがでるようじゃあ、わたしも駄目よねえ……あははは)
[あら、わたしは最初から、殺し以外のことでも面白がったりできたけど]
内匠頭が頭を掻いて……珍しくうんざりした調子で、左京に申し渡す。
「ともあれ、拙者は兵の受け入れを確認して、陣触れを作らねばならん。それが役目だ。山科家の兵は50だったな。左京自身に、改めて出兵に参加するのか、意志を尋ねるぞ。拒むのなら、城下の屋敷で閉門・蟄居。配下の兵はすべて吉景様の与力にするが、いかがいたす?」
「わかり申した。それでは、それがしは蟄居・謹慎させてもらいます」
左京は憮然として言い放った。多分、これから帰城する作事奉行も同じになるだろう。いろいろ先が思いやられることだ。私はほとんど親父に匹敵する兵数を指揮することになる。果たして、どこまで私にできるだろうか。