91 未一つ(午後1時)伝令 氷室城御殿・佐々木和泉守憲秋
正直なところ、溜め息が出てしまう。
当家は30騎の出兵で、御館様の本陣周りに待機させていたのだが、昨日の狐女どもの乱入を迎え撃った際に3人が死んだ。さらに、7人が城下には戻れたものの、明日の戦場には出れない深傷だとわかり、その穴は埋まらない。
「わしらは弓を射るだけの仕事になったから、1人も損ずることがなかった。幸運としか言いようがないよ」
御殿で明日のために各家の主将を集めた軍議の席の冒頭、勘解由様はそうおっしゃったが、当家は弓を選び得ない。本陣で戦奉行として控えねばならず、伝令のためにも馬は欠かせない。
「わしと右馬正のとこは、正面から敵とやりあったから、それぞれ100近い死傷者が出ておる。まあ、戦のしょうがないところさ」
そう仰る兵部様は最後まで隊列を維持した因幡守と対峙したのだから、損じた兵も最も多い。
それを思えば、指揮する兵が少ないから、損ずる兵も少なくて済む。悲嘆にくれている場合ではない。
まあ、全員が伝令で本陣から出払っていればよかったのだろうが、敵の本陣突入を許した以上、手近な兵で穴は埋めねばならなかった。火球だ、火の鳥だと、妖しい様相のなかで、自分たちの騎馬兵はよく敢闘したものだと思うしかない。
「明日に関してだが、いい具合に御館様からも明日の出陣について、伝令が来た。書状で指示が出ておる」
勘解由様が書状を広げる。割と簡潔に明日の指示が記してある。
一、夜明けと同時に、四方村へ進発
一、陣立ての中身は、昨日と同様
一、陣の配列は次の通り。
第1陣 山中右馬正および与力
第2陣 本陣 旗本衆および佐々木和泉
第3陣 太夫・源之進および与力
第4陣 内藤勘解由および与力
第5陣 鈴木左衛門尉および与力
第6陣 大崎兵部少輔および与力
第7陣 梶川出羽および与力
一、各陣は中山道沿いに、4列または6列縦隊で布陣のこと。郡境に東西1里ほどの柵を配し候。第1陣の山中隊は中山道を挟んだ東西に2列横隊の隊列を敷き、敵の南下を防ぎ止めること。詳細については、現地で指示する。
一、兵糧は昼・夜・明朝の三食分の腰兵糧を用意すること。
奉行で名前が記してあるのは、私と町奉行の鈴木のみだが、陣容は昨日と同じというのなら、作事奉行、寺社奉行、四人の郡奉行は、昨日と同様に山中様か大崎様かの与力に組み込まれている。勘定奉行の渡辺殿は元々旗本衆だから、こうした大雑把な伝書では名前は出てこない。
「さて、わしごときが先陣でよいのかな」
御殿広間で家老・奉行が車座になったなかで、第三席家老の山中様が声を上げる。
「柵をめぐらし、敵の先鋒を防ぎ止めろとは書いてありますがね」
「なぜ一里も柵をつくったんですかな? 山中様と与力の兵数は4、500ほどでも、2列横隊なら、一列につき二百五十足らずの兵が北に向かって並ぶだけです。せいぜい百二十間から百三十間(220m前後)にしかならんわけで、そんな長大な柵が必要なのかどうか?」
私のつぶやきに応ずる形で左衛門尉殿が疑問を呈する。
「わしの隊が中山道を塞ぎ、東の伏兵道の入り口のところまで柵が塞いでいれば、すぐに深い森となるから、そこに大軍を差し向けようということにはならない。普通なら西に向かおうとする。わしもそれに合わせて動く。そこから敵の動きが違ってくるのかな」
こう山中様が意見を述べると、梶川様が受ける。
「多分、右馬正の兵が西に移動しても、その背後から本陣の槍隊が出てきて厚みがあれば、そこを突こうとはせんだろう。柵を使っての守りのおかげで、昨日は痛い目にあったのだし。柵を突き破っても、中山道沿いに縦深に陣を突破していこうとは思わない。だとすれば、柵そのものがなくなるところまで、津山の軍は西に回ろうとするだろう」
「うーん、すると柵の端のところで一隊が山中様の兵を抑えて、残りの軍全体が西を大きく迂回しますか」
梶川様の言葉を受けてから、私は腕組みをして考え込む。ここからは動きの読み合いになるのか。
「一里も迂回させられ、我々が、長々とした隊列のまま、中山道にへばりついていたら、どうするかな?」
「放っておいて氷室城下へ向かうか、後ろを脅かされるのはたまらんと我々に襲いかかるか」
「普通に考えれば、襲いかかる。放置して南下すれば、背後が危ない」
ご家老たちの意見は、我々の陣営を放置しておかないということでまとまっている。
「右馬正様の隊を柵際で東へ押し返すか、陣列の中央……弓隊の厚いところに襲いかかるか、いっそ南端まで行こうとするのか……どの手で来ますかね?」
私の問いに勘解由様がすぐに反応し、出羽様とのやり取りになる。
「難しく考えずに、手っ取り早く右馬正の隊を押し、中山道沿いで柵を破りにかかるか」
「丸ごと騎馬隊のわしの陣が最後尾にあるのを見れば、真ん中を突きには来ないな。南に並進する隊が出てこないと、すぐに背後に攻めてくると思うだろう」
「ただ、厄介なのが狐の存在ですね。あれに対抗する火の鳥も、恐ろしさという点ではどっこいどっこいですが……」
「問答無用で、安田と狐を並べて柵のぶっ壊しからきませんか?」
「確かに、それが一番怖い」
「それはないと踏むがなあ。それだったら、何か対策を採って御館様自身が先頭にくる」
「ううむ……ああ、いかんですな。策も良いが、兵糧の手配や行軍の序列を決めないと……」
「集まった理由もそれだったな。兵糧は、城の炊事方で進めておるゆえ、明朝、進発前に大手門前にて配布する」
「進発の順も、御館様の指示順でよいですかね」
「そうだな。各陣、城の太鼓の音を聞いたら、城に向かってくれ。ここに来ていない与力の者には、各自伝達を怠りなく頼む。ほかに取り決めておくことはあるかな……」
「行軍の順だが、わしら騎馬兵からにしてもらえるかな。練兵代わりに速足で動かしたときに前が詰まらないようにな……ただ、半数は半田村に帰しておる。そちらは、後から追いついて来る」
「ようござるよ。行軍の順番はその方が効率がいい。書き付けて置くかな……ふむ、それなら、和泉も、出羽殿に続いた方がよいな……」
細かな段取りをつけるのは、勘解由様に任せた方が安心感がある。その辺は、さすがに主席家老の威厳と細かな心使いがなせる技だ。そうして、いつの間にやら、戦の前日に似つかわしくない、郊外に行楽に出かけるがごときの歓談になり、自然に散会したのだった。