90 午一つ(午前11時)荷車 田上城兵糧倉・柴田内匠頭頼信
5000ほどだった出兵可能な兵数は、3600に激減した。それでも、元々2500ほどの堀部の総兵力よりは大きいのだし、冷徹に考えれば、飯を食わさねばならない口の数も減ったのだ。
しかも、明日は郡境で決戦という戦の型まで決まってしまった。
5000の兵力で軍境を越えれば、堀部は籠城の可能性もあれば、野戦で逆転を狙ってくる可能性もある……だから、両面の備えをして、それなりの量の荷駄隊が必要だと考え、兵糧の備えを心配し、人足がどれだけ揃うのかを憂え続けた。
私は、昨日の一門衆の敗北を怪我の功名と考えることにした。外記と矢野輔殿はよくも600もの兵を連れ帰ってくれたと思っている。
森脇村で焼かれた兵糧も、城の備蓄ではなく、抜け駆けした各家が用意したものだ。今回の出兵の兵糧は城からの全て供出で賄うこととしていた。各家の兵糧調達の負担をなくしていたのだから、抜け駆け軍のやりようは、それだけでも大間違えだ。
「御家老、だいたい400人は人足が集まりました」
兵糧蔵の前に集まった人足たち……数を確認した部下からの報告を聞いて、一安心だ。これが昨日までなら200がせいぜいだった。
「みんなよく聞け。まず、半分の200人は順繰りに蔵に入り、荷車のところまで運べ。残りの二百人は、持ってこられた俵を荷車に載せて縛って留めるんだ」
人足たちを4列縦隊に並ばせ、右半分を蔵の中へ、左半分を荷車の周囲に誘導する。
頭の中で、再度、兵糧の輸送についての計算を反芻する。
3600人の兵に、仮に400人の人足をつけるとして、4000人。
1人に1日6合の米を食わすなら、4000人では、2400升となる。戦が長引いたことに備えて10日分運ぶとして24000升。俵にすれば600俵。10俵載る荷車がそれだけで、60台も必要になる。これに副菜や酒の輸送でもう40台。100台の荷車に、1台あたり4人の人足をつけて、合計400人の人足でぴったりなわけだ。
5000人の出兵だったら、人足は500人でも足りない。
人を雇うには機というものがある。昨日は200人の人足しか雇えなかったし、一昨日はさらに少なく100しかいなかった。
これだから、農繁期に遠征とかぬかす馬鹿の顔を蹴飛ばしたくなる。人をどこから集めて来いって言うんだ?
人の多寡の波は、時しか解決できないこともある。
稲刈りは共同作業であり、集落全体の稲刈りが一段落を迎えれば自然と、他の労務をやろうという百姓は増える。特に、土地を賃借している小作たちは。
晩稲をわずかに残すだけになって、今日は400まで人足が増えて、明日なら、集めようと思えば500以上も集まる。
もちろん、小荷駄隊の荷車の大部分は人足が調達でき次第の後送でも良いし、荷の減り具合に合わせて帰してもよい。往復で動かすこともできる。だから、400人きっちり揃える必要はない。
この先、400のうちの100から200を城下に戻し、米俵と副菜や酒を陣中まで運ばせればよい。その統率は、一線の武将ではなく、老将老兵に任せて大丈夫だ。やり方を工夫すれば、当初の5000の出兵でも大丈夫との計算は立っており、3600ならなおさら問題はない。
事前の手配こそが大切で、9月1日出兵で大っぴらにやりたかったのも、そのためだ。野戦で逆転を喰らう見込みがないのだから。
「御家老、荷の積み込みは順調です」
「うむ、ご苦労……よろしく頼むぞ」
作業を監督していると、おかつという狐の一方の女が歩いてくる。青の男物の着物と袴に、いかにも痩せた女の体つきが不釣り合いだ。端正な顔立ちで色気があるのだが、守らねばならんという気分にさせる。なるほど、若衆の男に手を出してみたいやつは、保護欲から言っておるのだと、この男装の女を見て、あらためて感じた。
「あら、すごく活気があるのね」
「人が集まるようになったからのう」
(この人たち、全員恐怖のどん底に突き落としたいわ)
「おお、怖い。そんなに痛い目にあったのかね。聞いたぞ。それでも淡路を手玉に取る程なら、この辺では無敵なことには変わるまい」
「人が憎くて、倒された時に殺生石に変化しちゃうような純粋な悪だったのよ、玉藻さんは」
「それくらい、悪に一途だったわけだな?」
(そうよ。だから、ほのぼのとか、優しいとか、無縁な自分に戻さないと)
物の怪の発想はどういうものか、ずっと語り合ってみたかった。理解できるのか、できないのか。理解できたとして、人が使いこなせるのか、どうなのか。おかつという娘は、今、どれくらい人なのか、人でなしなのか。知りたいと思った。
(明日で一気に取り返したいわね)
「私は、柴田さんのお手伝いを一度してみたいわ。だから、和華さんをご領主に祭り上げちゃいたい。兵糧とか謀とか面白そうだし」
女たちは、淡路と外記のいるところで、和同殿の奥方を領主にしようという戯れを言ったという。御館様も棟梁を降りたいと、まんざらでもなさそうだったとか。ところが、狐の方は、戦場で力を取り戻すことしか考えといない。物の怪と取り憑かれた人間とで、少し考え方にずれもあるのか。
「明日は、そんなに奇策を使うつもりはないんでしょう? 兵数も多いし」
「ああ、変な計算が要らんようにと考えている」
「そこが多分、あなたの良いところだし、限界でもあるのね。昨夜も言ったけど、明日は私を最後尾の陣に置いて。猪口さんと」
限界と言われれば、少しはかちんと来る。だが、5000が3600でも、奇策を弄する必要などない。
「それは構わんよ。しかし、数はこっち。先鋒に圧倒的な武力の男がいる。奇をてらうことは不要だ」
「奇策を弄するとか弄しないとか、そういうことじゃないの。私たちを最後尾においておけば、とどめの一撃に使えるし、万一の時の助けになるわよ。力は弱くなったとはいえ、いろいろ後方から手助けもしてあげられる」
「ふむ」
この娘の言うことには一理ある。
「堀部の殿様、孫子がすっかり頭に入ってるわよ。昨日は、完全に一門の人たちの驕りにつけ込んで、地形とこちらが兵力を二分したのを上手く利用した。弓矢の使い方も上手くてね。こちらの弓矢をさっさと制圧して、そこからは騎馬武者を狙っていくの」
「ああ、外記もそんなことを言っておったが、それで指図するものがいなくなり、一気に烏合の衆になってしまうと」
「そうよ。戦い方が老獪よね。300から400を損じてるから、2100か、2200……それでも侮れないわよ。来るかどうかわからないのに、わたしたちへの備えまでしていたようなやつだから……兵は詭道とか、兵は国の大事とか……本気で勉強してるわ」
津山が隣接する一郡を呑み込むとすれば、大河川を超えずに済み、かつ武蔵・上野国境を超えずに済む、氷室郡に行くしかなかったわけだが……覚悟の上とは言え、やっかいなやつが、そこの棟梁だったということだ。
「陣立ては考慮しておく」
今や、2人の九尾の狐という最強の駒を入手している。これ以上、負けるわけにはいかん。