88 巳一つ(午前9時)仕合 田上城御殿・和華
88 巳一つ(午前9時)仕合 田上城御殿・和華
九尾の狐の取り憑いた、おかつちゃんも、おこうちゃんも、どちらかと言えば「邪悪」なのだろうし、人を殺すことを何とも思っていないということでは、世間に対してすこぶる危険な存在なのは変わりはない。
でも、程度問題だ。その危険は、わたしの見たところ、お侍と大差ない。
猪口さんというお侍から聞いた話では、あちらには朱雀を呼び出せる人がいるみたいだけど、2人の力を合わせれば、まだ互角には戦える……のかなぁ……呪力は、相当に大きいから。
わたしは大変に好かれてしまい、2人ともかわいいから、わたしも離れたくない。
《見張れって明神様は簡単に言うけど……わたし、そんなに力が強いわけじゃないから、守りきれないよ、きっと……》
「うん。でも、今は、そんなに怖くないし」
2人とも横から私の腰のところにすがりついて、それこそ、猫がゴロゴロ喉を鳴らしながら甘えるような感じ。狐でもこんなことあるのかしら?
「どっちも大変だったのねえ……」
(おかつは、男どもに慰み者にされてきたし……)
[おこうちゃんは、家族が目の前で惨殺された挙げ句に、気持ちいいことに中毒にさせられてきたし……]
「2匹は、私のこと許してくれそうにないわね」
(2人がとろけてなければ、あなたの生気、カラカラになるまで吸い取ってあげるのに)
[そのくらい、あなた、美味しそう]
「あら、怖い」
そんなところにお呼びがかかる。
「失礼します。御館様が、御殿の広間でお呼びです」
「はぁい……と、わたしが気軽に答える立場じゃないわね」
「いいの……行くわよ。やらないといけないことは、きちんとしないとね」
おかつちゃんが、立ち上がって身支度を始めると、おこうちゃんも続く。
「和華さんも一緒に来てね。事情は全部、話しちゃうから……」
自分が弱体化してるなんて言ったら、何か報復されるかもしれない……とか、全然考えていないような穏やかな顔。
まあ、弱く穏やかになっても、この界隈にいる最悪で最強の物の怪というのは変わりがない。一度で城の天守を消せるような火の玉が出せなくなったというくらい。人を殺めても何とも思わない。そういうところは変わらない。どちらか1人なら、今の私と夫と鴫沢さん、栗原さんの4人がかりなら、城のお侍を盾にして、互角くらいには戦えるかもしれないけど……半分はわたしの声で籠絡して……やっとかな。
広間には、朝食の膳が用意されていた。元・周防守の部下の5人には、すでに食事を終えていて、広場で木槍を使って槍の稽古をやっていた。
上座のお殿様と差し向かいで、3台の朝食の膳が並べられ、おかつ、おこうに押し出されるように私が真ん中に座らせられる。
「和同殿の奥方には、奥の番を頼んでおったな……それにしても、仲が良さそうだし、なぜ真ん中に?」
「わたしたち、和華さんの家来だから」
「あら……家来だっけ? あたしは、娘になったつもりだけど」
「あっ……えーっと」
戸惑うわたし。わたしに殺意を持っていたはずの、中の狐たちまで、その様子を面白がる。
[わたしは憑いた主のいうことを聞くっていう力関係だから、そのとおりにするわ]
(わたしも、おかげ様で力が弱くなったから、この子の言うことを聞くしかないのよね)
そう言うと、2匹の見えない狐たちは、老婆のようなしゃがれ声でけらけら笑う。
空狐は憑いているけど生身の人間で空腹の私……目の前の膳に手をつける前に、説明をしなければならなくなったようで、ちょっと辛い。
2人がまつ姫にいたずらをしていたということは黙っておいて、明神様の神通力と空狐のおかげで、2人の脅威が減ったことを話す。2人の邪悪さが、これまでは10だとすれば、8くらいになっていること。私の声の力で、ある程度まで、手なづけた状態にはできること。その代わりに、力としては、2人が完全に共闘して朱雀と互角くらいなことを伝える。
「……つまりは、弱くなった?」
私が即答しそこねたのは、そこに町奉行所に宿泊していた猪口さんと、そこに立ち寄ってきたらしい御家老の安田様が、連れ立って広間に入ってきたからだ。
「おはようござりまする」
「こうしてみると、美女3人侍らせての朝食のようで、羨ましい限りですな」
「馬鹿者。中の2匹が本気になったのなら、控えている供回りは、一たまりもない」
そう言えば、2人は太刀を持ってきていて、それは今、自分たちの座るすぐ横に置いてある。安田様と猪口さんは、広間の入り口で、小姓に太刀を預けたけど、この辺では名の通った武将である2人の持つ太刀より、おかつ、おこうの太刀は、長く幅広で重そうだ。
「だが、どうも、雲行きが怪しくてな。そこにいる和華殿に従わなければならないほど、弱くなったそうだ」
(ばかね。わたしが弱くなったのは事実だし、おこうにも影響があったのは確かだけど、わたしたちが本気を出せば、城の中に屍山血河が築かれるのよ)
「そうしないのは、あたしたちに、今そのつもりがないからだけなの」
「呪いの力は、昨日ほど圧倒的ではありませんけど……そこは人智を超える力ですので……」
「それでも、力が弱くなって和華殿の言うことを聞くというのは、どういうことなのか?」
「まあまあ、御館様。堀部の旗本の片翼を消し飛ばした火の玉は無理としても、この二人の破壊力は、それがしが保証いたします」
猪口さんが唯一の目撃者として声をあげるけど、安田様がそこに反論する。
「いや待て。御館様もそうだが、わしら家老衆も、その時のことは見ていない。お主だけの太鼓判というのは、少し心もとない」
安田様は、やおら立ち上がると縁側へ、5人の足軽を呼び寄せて、木槍を1本受け取って、広場に降り、こともなげに2人に声をかける。
「呪いの力はともかく、武力はわし自身が物差しになれる。一手お手合わせ願えんか?」
「いいわ」
(元からの実力の違いをみせてあげる)
おかつちゃんがすくっと立ち上がると、すたすたと縁側へ。足軽の1人が、木槍と一緒に借り出したらしい、木刀を渡す。
「いいのか? 長さの差は大きいぞ」
安田さんの木槍は鍛錬用で、先端を綿と布で包んだ1間(1.8m)くらいの槍だ。おかつちゃんが使っている真剣はその半分よりちょっと長い(1m)くらい。足軽たちが渡した鍛錬用の木刀は、ほぼ槍の半分(90cm)の長さだ。
「安田さんの槍の腕前を軽く見たわけじゃないのよ。格下相手なら槍を選ぶけど、あなたほどの腕前の人が相手なら、使い慣れた得物の方がいいから……」
昨日からの若衆姿の胴衣と袴の出で立ちは、すごく凛々しい。
「では……」
どちらも一礼する。
安田さんは自然体から右足を前に出し、槍を腰だめに構える……やり先がお勝ちゃんの喉から目へ、目から喉へと、小さくゆっくりゆらゆら揺れている。
おかつちゃんは、左足を前に出し、右手1本で木刀をらくらく持つ。安田さんに対して、左腕を身体の前に突き出し、体を完全に横向きにしている。左手がまっすぐ安田さんの顔に向かってる。右手は右脇のところで木刀を立て、まるで弓を構えているみたい。
「おかつの方は、刀を立てて身体に隠し、長さを悟られにくくしてます。そして、突き出した左腕との距離感で、淡路守様との間合いをつかもうとしている。1対1での実戦的な受けの型ですね」
猪口さんが解説する。
「長くかからない……下手すると、最初の一撃で決まる」
と、猪口さんが言い終えた瞬間……
とんっという踏み出した足の着地音とともに、安田さんの槍が、言葉通りに、目にも留まらぬ速さで、おかつちゃんの顔に伸び……
同時におかつちゃんは、剣でその槍をいなそうとするけど、槍はまっすぐにおかつちゃんの顔に当たり……
と思ったら、次の瞬間に、おかつちゃんの身体がひねられて、槍の根本の方に、瞬間的に移動していて……
「参った……」
という安田さんの声で、おかつちゃんの動きが止まり、木刀が安田さんの首筋のところで寸止めにされていた。
無理……瞬間過ぎて、この人たちの動き、追いきれない。
「おねーさん、すごい〜」
おこうちゃんが、はしゃぐ。
(昨日の大火球みたいな一発大逆転はなくても、刀だけで、何百人か斬り殺してさしあげるわよ)
「乱戦の戦場での戦いではまた違うだろうが……対面で淡路の槍筋を見切れるやつなど、淡路と稽古している数人くらいしかおらん。堀部にも梶川くらいだろう」
「不覚……では、ござらんな。十中の七、八までは同じ結果。二、三で私の槍が届けば幸いといったところで」
槍を足軽に戻し、さばさばした表情で戻ってくる安田さんは、おかつさんの実力を認めた。
「そこの5人も、昨日の働きはずば抜けておりました。その7人を一隊で使えば、ここぞというときに、かなり頼もしいですぞ」
猪口さんも、見る目確かな武人として、昨日のことも含めて絶賛する。
「ねえ、ここの領主を和華さんにしない? そうしたら、津山のために、ずーっとちょうどいいくらいに力を貸してあげられる。中の玉藻さんを抑えて、戦以外は平穏に暮らしてあげられるけど、どう?」
「悪くはないな。わしも本当に、このならず者商売の棟梁はやめてもかまわんと思っているから」
「ちょっと……冗談はおよしになってください」
「えー? 悪くないと思うけどなぁ」
「いや、御館様も戯れが過ぎますぞ」
「政も戦も、別にやめる気はない。人の上に立つのは御免だと言っておるのでな」
「暫時……その話は、戦の後でもようござらんか? 堀部を相手に勝てると決まったわけではござらんし」
「うむ、むしろ勝つための話を……」
その刻、私のお腹の虫がなった……
「私を領主にしようとか、そういうお話なら、まず私に食事を摂らせてくださいな。それくらいの言うことも聞いていただけないのなら、絶対にお断りです」
「いや、これは失礼した。どうぞ召し上がってくだされ」
お殿様のいやにうやうやしい言い方が、気に食わなかったけど……普段なら、夜明けの少し前に目を冷まし、旦那様が明けの鐘を突くのと同時に、朝ごはんの支度をしている。朝ご飯がこんなに遅くなったのは、この子たちの面倒を見ていたせい……。
執着はしない……が仏様の教えだけど、生き物として、この空腹は我慢できない。周りの目なんか気にしないで、がつがつと食べ物をかきこんじゃった。