87 辰一つ(午前7時)工事 郡境・堀部源之進智幸
村の北木戸周辺での人足の取りまとめは、太夫にお任せして、私は一足先に郡境に来ていた。配下の者たち70人を要所の監督者に使うつもりで伴っている。昨日は直属の弓兵50人と与力の槍兵50人がいたが、重傷者が10人。さらに家来のうち20人ほどを砦の番兵に回したので、その数となる。
百姓たちが杭を打ち込むための木槌や長い杭を立てるときに必要な脚立をそれほど持って来ない場合も考え、陣屋の蔵にあった作事用の道具も持ち出してきておいた。
現場を思い出しつつ来てみれば、北に向かったときの右手側(東側)は、かなり森が迫っている。郡境のところに、森の中の砦を設けた際につけた伏兵の展開する小径があるのだが、そこさえ強固に柵で閉じてしまえば、東側にはそれほど多くの杭を立てる必要はなさそうだ。
「中山道を挟んで東側には、木槌と脚立を一つずつ置いておけ。ほかは西側に適当に散らして置いておいてくれ」
脚立が5台、木槌が10振り。長さ調整が必要な場合に備えて、鋸と斧、手斧もそれそれいくつかあるが、それらは荷車に乗せたまま、中山道傍に置いておく。
織部殿が卯三つ刻には砦での作業に着手しているはずだから、それほど待たずともよいはずだ。
少し周りを見て歩くと、わずかな起伏があって、郡境はちょうど、谷筋にあたっていることがわかる。かすかな斜面なので、気づきにくいが、大まかに堀部領から境に向けて下り斜面になっていて、津山領に入ると全体的に上り斜面になっている。つまりは、大雨の後などには、郡境は水浸しで、水はけも悪そうなそこそこ固い地面で、なかなか開拓が進まなかったのもわかる。
つまりは、今までに耕作者が寄り付かなかったか、開拓を断念した土地が、自然と郡境になったというわけだ。
出羽殿の騎馬軍団が上手く走り抜けていったのも、起伏はあっても乏しく、そこそこ固い地面のおかげであったわけだ。
中山道傍の杭を降ろす場に使おうと思っている場は、下り斜面上に突き出した高台になっていて、御館様と津山の御館が会談したところだ。だが、郡境に近すぎる。余裕があれば、高台の周りにも乱杭を打って、もう少し陣を前に押し出したいところだが……。
御館様の狙いは、郡境に沿って一線を引き、そこを避けた敵が回り込んだ西側の開けた野原で、敵を突き崩そうというところにあると、昨日の話ではうかがえた。
柵を一里ほども張り巡らし、1000の槍兵でそこを守る。西に回り込んできた敵を、迎え撃って突き崩す……
御館様は、その柵の背後に、魚鱗で陣を敷くと言っていたし、敵が西に回り込むという予測でそう言っていたが、どうにも兵の動かし方が見えてこない。
自分でも、思案したり、自分の配下に問いかけたりしてみて、この杭立ての意味を考える。
ただまあ、それほど策としては強くは思えない。敵を殲滅に追い込むほど、強い一撃を加えられそうにない。
「まあ、俺ごときが難しく考えることはないのかな?」
「いやいや、戦場で御館様と太夫様が倒れたら、殿が総大将ですぞ。佐々木殿や勘解由様を軍配者には使えても、御一門の将では第3番目ですから、いろいろ考えておいて損はありません」
ああ、してみると、私と太夫一緒の隊にし、御館様から離れたところに置くのは、博打の面もあるわけだ。ただし、昨日の合戦では、私たち2人が決して裏切る心配がないし、その立場上、離れた場所でも自身の判断で戦えるという利点があった。
私たちがどう使われるかで、合戦の様相も、それなりに読めてくるというわけだ。
そうこうしているうちに、辰二つ(午前7時半)になり、最初の荷車が到着した。
荷車を、旗本の騎馬武者の馬に牽かせてきたが、明日の働きが心配になってしまう。
「とりあえず、200本です。帰りは軽くなるから、大丈夫でしょう」
荷車がかなり頑丈なことを確認し、馬を離すと私の配下どもが寄って集って、荷車を横倒しにする。
杭が道端に、ガラガラと音を立てて転がり落ち、荷の上げ下ろしの手間を省いてしまう。
「織部殿に、よろしく伝えてくれ」
「はい……多分、今日はもう1回か2回、私とこの馬で、ここに来ると思います。織部様の計算だと、だいたい8000本くらいの杭が必要で、正午までに送り込みたいと申されておりました」
「承知した。頑張ってくれ」
「砦の者どもに伝えます」
そこから辰四つまでは、砦から運ばれてきた杭を、適当な場所へと運ぶ作業。10台ほどの荷車が到着。
そこへ太夫の兵50人と与力の兵40人、四方村から人足として作業に応じた百姓どもが102人も着く。
太夫と話し合って、作業分担を決める。
まず、兵22人が材木の積み下ろし場から、各作業場への杭の運搬。
百姓を3人ずつに割り、兵3人ずつと合わせて、一組にする。これが34組できる。
残りの兵36人も6人ずつで6組にする。
合計40組を作り、ざっと見で4組を中山道の東側にやり、残りの36組は中山道より西で作業させることにした。
東側は太夫が行き、できるだけ短い時刻で仕事を終わらせるために監督する。
西側は私が巡回しながら、緩めに作業範囲を調整することにし、郡境に皆を引率する。
「よし、着いてまいれ……一組目は、ここで作業を始めろ。隣の作業場所に当たったら、一番西へ出て、同じくらいの間隔を開けて作業をしろ」
……で、20歩くらい歩いて
「よし、二組目は……」
この繰り返しで、何台か分の杭が置いてある端まで組を置く。
ただ、それでも半里のまた半分にもまだ及んでいない。
届いた杭を運ぶ兵たちも、段々と遠くへ歩くことになり、一里先に杭を持っていくとなれば、行くだけど小半刻かかってしまう。そうなると、兵だけの組を何組かバラして、杭運びに使った方がいいのかもしれない。
うーむ……それでも、私自身も杭置き場から、西端の作業場まで何往復も歩くのか……一応、用心のために甲冑を着てきたのだが、全組が作業を始めると、一度、杭置き場に戻って脱ぐことにした。
あとは、ちゃんと正午ころに、手配した弁当が届くのか……こうしてみると、戦も、その下準備も、土木の作事も、あまり変わらない。初めて監督する立場になってわかった。砦を築いた作事奉行の手腕の見事さも。