85 卯三つ(午前6時)作業 郡境砦・渡辺織部助忠泰
旗本・馬廻り衆といえば、領主の直属兵団で、精鋭中の精鋭……と思われてしまうのだが、実際にはなかなか冴えないものだ。
特に、うちの御館様は人使いが荒い。だから、いろんなことを平気でやらせる。
今も今とて、我らは郡境の砦に向かっている。
「よし、取り敢えず、逆茂木を引っこ抜いて回収しろ。あと、物騒な板は、適当に横に除けておけ。撒菱を撒いた辺りは、箒で掃いて、寄せ集めろ」
「はっ!」
「へい」
武者と労務者が一緒になって作業を始める。杭を回収して、さらに森の中で倒した木から大枝を伐採し、郡境へと運ばねばならない。街なかをさっそうと風を切って歩くような格好良さなど、当家の旗本衆にはない。
敵の死体だらけだったろうに、近在の百姓どもが金品や武具・装具の剥ぎ取りに来たはずだ。高札を立てて、「金品は分捕り勝手にする故に、死体は道の脇へどかし、できれば埋めよ」と、ふれをだしたせいか、目に見える範囲に死体はない。だが、森の中に死体がかなり溢れているだろう。埋めめる手間まで尽くしたやつも少ないだろう。
通行が可能になると、砦で働いていた大工・人足と一緒に、先に砦へと向かう。それに10台の荷車が続く。砦のなかは、番兵が20人配置されていた。こちらは、昨夜までに死体をきれいに片付け、埋葬したようだ。
できるだけ、長めに柵を作りたいというのが、御館様の意向だ。御館様はどんぶり勘定で、「一里の柵を築くのに、5000本もあれば十分じゃろ」と仰せになったが、勘定奉行を勤めていた私に言わせれば、いい加減にしろというところだ。
仮に5寸(約15㎝)の幅の杭を、1尺(約30㎝)おきに打ち込むとして、1里(約4㎞)の柵とするには8000本の杭を用意してやらねばならない計算だ。本当なら、もう少し密にしたいくらいだが、果たしてどれくらい積み出せるものなのやら。
職人たちは、「伐った木はそっくり建材に加工していて、そのまま杭に使えるような大きい枝も、かなり貯め込んでいた」というのだが、それがどの程度なのか。かえって長いものは、切断も必要だろうし。馬に荷車を牽かせるにしても、明日の合戦のために、使いづめにはしたくないし……いろいろ試案することも多い。
働き手は……
砦の番兵(源之進様の兵)が20人。
私の先乗りの兵が20人。
大工・人足が50人。
皆を集めて、弁当を配りながら、作業の分担を決める。
即使える材木を私の配下の兵が選別し、荷車に乗せる。
大工10人は使えそうな枝の伐採。
別の大工10人は貯めてあった材木で、そのままでは使えないものの加工
残りの兵・人足は砦とその周辺から、使えそうな材木を集める。
私の兵は材木を送り出せば減るが、入り口に5台の荷車と50の兵を残して来たから、そいつらが、撤去作業と朝飯を済ませて追い付いてくる。200本も積んで、15台で、6000本。多分、そこまで上手くは運べまい。2往復で片付けばよいというくらいだ。
「御奉行様、あんまり恐い顔をなさいますな」
材木置場の傍らで腕組みをして憮然としていると、ここの造営で作事奉行をずっと補佐してきた、職人の頭が話しかけてきた。朗らかというの絵に描いたような笑顔だ。
「ああ、恐い顔をしないと大変さがわからん人を相手にしてきたからな。地顔になってるかもしれないな。改めよう」
上が追い詰められた表情をしていると、下はもっと良くないことを考え、もっと追い詰められて、何も言い出せなくなる。それはまずい。私は無理矢理、にやりとわらった。
「我らにできる範囲のことをやればよろしいですよね」
「ああ。だが、正午までに荷車で2往復分、材木を送り出す気合いで行くぞ」
「ははは……それはなかなか厳しい、頑張らねば」
「ならば、拙者も汗をかくか」
私は陣羽織を脱ぎ捨て、胴衣の袖から腕を抜き、肩から上半身全体を、剥き出しにした。
「お、馬廻衆の総括に回るからって、慌てて体を作りましたね」
「違いない。勘定奉行をやってたら、そんな引き締まった体付きは無理だ」
「うるさい。金を出せの唱和を食い止めるには、普段から体力がいるのよ。だから鍛えておる」
古株の旗本の野次に応じながら、大降りの枝を取り上げ、自分のすく横に立ててみる。自分の肩より少し上というくらいの高さだ。
「このくらいの丈があればいいかな」
「そうですな。それくらいの高さに合わせましょう。長いものは、手近の大工のところへ持ってきて下され」
「よし、だいたい4尺から5尺というあたりだ。多少は前後して構わん。この際は、本数が揃えばいいからな。明日の戦に響かんようにしよう」
「わかりもうした~」
あちこちから、応答の声があがり、何とか作業が進み出す。
持ってきた荷車は大型で、だいたい200本は積める。ある程度、杭が積み上がってくると、縄で縛って荷崩れを起こさないようにする。
馬1頭に装具をつけて、牽引できるようにして、馬を引く者だけでなく、森を抜けるところまでは、4人の人を付ける。西に抜ける道は整地不十分で、木の根なんかに車輪が引っ掛かって、立ち往生するかもしれない。そういったことに対処するため、中山道に出るまで、補助者は必要だし、中山道でも、手綱を握る者以外に最低1人はついていないといけないだろう。
「ようし、頑張れ」
半刻経たずして1台目を送り出せた。だが、先は長いことになりそうだ。