82 酉三つ(午後六時)余裕 田上城御殿・こだま
おもしろい。
自分が2つに分かれて、別の人格になったことも、取り憑いた女との力関係なんかから、私が女の言うことを聞く立場にあるのも、全て新鮮。
しかも、今、ここにいる侍のお偉方は、私達を全然恐れていない。飛騨守も、矢野輔とかいう奴も、普通の人並みに恐がっているのかと思ったら、必ずしもそうでもない。
わたしたちは、薄蒼の胴衣と藍の袴を替えに与えられ、広間に太刀と脇差しを持って大広間に着座している。殿様が上座、右に矢野輔と猪口さん、左に家老たちが並ぶ。わたしたちが下座なのは、ちょっと気に入らない。
「すまんな、取り合えず、合議しておかんと、明日明後日の動きが取れないもので、来てもらった」
(奥方や娘さん、かわいいわね。食べてしまいたいくらいだった)
「冗談ではなさそうだから恐い」
この城で一番食えないのは、そんなことを言ってるこの殿様。目が既に死んだ者の目だ。猪口と同じくらい……ううん、それ以上に虚無。どうでもいい……だから、わたし達が気にくわなかったら、敵うとか敵わないとかの打算なしに敵に回っちゃう。
「わたしたちが折り合えるかは、殿様次第というより、そちらのお三人様次第だと思うけど」
おかつさん、鋭い。
家老の3人も、わたしたちを恐がらない。でも、人としての生き方も、生活も守りたいと思っている。他人の生き方や生活を守るようにするのが、政の役割だと思っていて、だから、自分の一族郎党を守るし、津山家での役務にも精励する。
前に私たちが破れたのも、私たちを恐怖せず、他人を守ることに懸命な侍がいたからだ。だから、戦い、殺し、でも、力が得られなくなった。朝廷の後宮で恐怖も生気も取り放題だったら、京を魔境に変えて、そこから国自体を人の住めないようにしようとしていた。だけど、神剣を持った侍と、国家鎮護の役所としてちゃんと機能していた陰陽寮のおかげで京を追われ、猛々しい侍だらけの、こんな片田舎で終わりを迎えた。
私も玉藻も、人の体に触れないと心は読めない。でも、どんな感情が強いかはわかる。柴田が好奇、本多が警戒、安田が冷静だ。
「ご家老様3人は、あたしたちとどうしたいの?」
わたしの主のおこうが3人にとっては応えにくい質問を投げてしまう。「殿様に従う」で、誤魔化したいはずだもの。
「自分は受け入れるでござるよ。このような大妖を使うと、御政道がどうなるかも興味がつきませんし」
というのは、好奇心でまず動く柴田。そこへ、肉体派らしい合理性が入るのが、安田さん。
「拙者は受け入れてよいと思います。人を大量に殺めるというのなら、それは停めればいいし、考えを改めてもらえばいい。改めぬなら、戦えばいい。それだけです」
2人の話を聞いて、それでも反対論まで行く勇気があるのが本多さん。
「我らで制御できるわけがござらんし、戦に勝っても、その後にどうすればいいのか……2人はそうは言うけれど、話は簡単ではないでしょう」
(本多さん、私がいくら妖怪だといってもそこまで凶暴じゃない。遊び心があるから、この城で今、くつろいでるのよ)
「それならばいい……というわけにはいかんだろう? 我々はすでに1400もの兵を失っておる。一門の重石を除けたから、外記は免罪して助けたいが、お主らと手を結ぶかは慎重になるべきだ」
[でも、本多さんの言うとおりになるなら、私たちが、ここで黙って引き下がるわけないって分かるわよね?]
「それは明白な脅迫だな?」
ぬけぬけとそんなこと言っちゃう、本多さんも大した肝だわ。思わず私たちの笑いが重なっちゃう。
(わたしたちが、腕力や呪力だけに頼る馬鹿な妖怪だったら、今ごろ城じゅう火の海よね。本多さん、わたしたちを挑発してない?)
「いや、普通の人間の意見を代表してるだけなんだが……」
「あなた、自分がわたしたちを恐がってないことや、恐いもの知らずだって自覚を持った方がいいわ。普通の人相手の交渉なら、その率直さは素晴らしいけど」
おかつさんがそれを言うと、今ひとつ恐くなさそうだけど……ああ、そうか。このなかで、わたしたちの力を実際に見ているのは、猪口さんと矢野輔だけだし、舐められてもしょうがないのか。
「お主らは、要するに、人が恐怖する場が欲しいわけだ。そして、たまたま、復活したら、それがあったというわけだ。馬鹿な我らの一門を謀って、戦で美味しい思いをした。だったら、少しばかり、わしらに酬いがあっていいだろう。飛騨守の恐れはもっともだ。しかし、棟梁としては、明後日の合戦は、是非、助けて欲しい」
(いいわ、そこは応えてあげる)
「それでだな……、ここでの戦いを堪能したら、もっと南に目を向けたらどうかな? 南では、北条と扇谷が、年中やり合っていてな」
(……なるほど……私たちに、江戸や武蔵府中の方へ行けと?)
殿様の提案は「一仕事したら、厄介者は去れ」ということね。
「あたしは久保多村の生まれ……あの惨劇の唯一の生き残りなの。故郷はここ。ここにいちゃ駄目ですか?」
わたしの主の吹き出すかと思うほどの臭い芝居。幼い涙声は、いかにも作ったよう。これで引っ掛かるなら、よほどの色惚けだわ。
「それは戦が終わってから、改めて考えよう」
問題先送りで、結局、拒否する……そういうことよね。引っ掛からない。わたしの主は、内心で大きな舌打ちをする。
「それと、矢野輔と外記は帰参を認める。600の兵は、二人で協議して、400を矢野輔、200を外記が率いるように分けよ」
「はっ!」
「御意」
「猪口さん、後衛よね? わたしたちは、猪口さんの陣に置いてもらえる? 後ろから全体を見渡せた方が、機会を計るのにいいし、あなたたちに助言もできる」
おかつさんは、今は軍略にも頭が回る。そこにまで口を出させるのかどうか……
「陣形がどうなるかは当日次第だが、配慮する」
「あたしたちに任せてくれれば、今日失った兵以上の力を奮ってあげるから。大舟に乗ったつもりでいなさい」
わたしの主は、今は絶好の調子だ。だが、ここにいる武将たちには、幼さの残る声でそう保障されても、困惑を覚えるだけだろう。