81 酉一つ(午後5時)記憶 四方村陣屋・建吉
どこかで見たことがある……。
本陣に大火球を飛ばしてきた女……。九字を唱えるのに必死だったし、そのあとの朱雀と九尾の狐が憑いている女たちとの激闘に目を奪われていたが、その女の顔を見て何かが引っかかっていたのだ。
殿様が四方村の陣屋に引き上げ、俺たち呪い師たちも、陣屋の一室をあてがわれた。佐藤さんの奥方は別室で、女中が面倒を見ているようだが、何とか、1人で歩けるくらいには回復したそうだ。
今度の戦は、ああいう人外の戦いも入って、今までにない戦になっているということだが、はっきり言って恐ろしい。
「やっぱり恐いもんだね」
井戸端で身体を拭って、座敷で寝転んでいろいろ物思いに耽っていると、顔見知りの占い師で仙術師仲間の高吉が話しかけてくる。
「そりゃあなあ……侍に斬りつけられたりしなかったのはよかったが、あんな火の玉がすっ飛んでくるわ、本当に朱雀を呼び出せる人がいるわ……いろいろ信じられねえ」
「それにしてもさ、おめえ、九尾の狐の片一方に、見覚えねえか? 若衆姿だったが、あれ、女だよな? 城下町で見かけた気がするんだよな」
「ああ、そうか、髪型が全然違うんだな。ちょっと待てよ……」
あの顔はそのまま町娘風の髪型すると…………あ、やばい、あれは……見覚えがあるはずだ。
「思い出したよ……大津屋の女中で、おかつだ」
「へ、名前も知ってるのか?」
「ああ、ちょっと訳ありでな」
「何だ、女衒の訳ありだなんていうと、意味深だな」
大津屋の後家を手ごめにしたときに、一緒にやっちまったんだったな。あれで、大津屋が死ぬ前に大騒ぎして、逃げ出したとか聞いたが。あの件で大津屋に金を出させようなんて思って、跡継ぎまで脅したのが運の尽きで、町方と縁ができちまったわけだが……。
「その話、ちょっと詳しく……」
「へ?」
「いや、この際、あの女の力を弱める策につながりそうなら、何でも知りたい」
高吉だけでなく、佐藤さんとその弟子、神主、馬医者まで、話の輪に入ってくる。
「はっきり言って、悪事なんで、あんまり大きい声では言えねえ」
「その辺は、お前さんの都合のいい範囲に留めていいから」
「わかった……」
俺は医者であると同時に、女衒であり、上手く商売に繋げられないかと思って、大津屋の女房の不感の治療を引き受ける……なんて話を持ちかけて、女房をだまくらかして手ごめにするときに、お供で付いてきていた女中も、行きがけの駄賃で手ごめにした。
その後、大津屋を脅して金を出させようとしたら、大激怒して女房に暴力沙汰に及んだこと。その煽りで折檻されそうになった、その女中、おかつは大津屋から逃げ出して行方不明なこと。その後、大津屋は急死して、跡継ぎに金を出させようとして、町方の世話になっちまったこと……なんかを、ぶちまけた。
「おめえ、ひでえよ、それ」
「そうは言っても、俺だっていろいろあって、今は町方に協力してんだぜ」
高吉と俺の言葉の応酬が喧嘩になる前に、佐藤さんたちが止めてくれた。
「まあ、待て待て。言い争いしている場合じゃない、今は。大津屋の跡継ぎから手繰れば、おかつの肉親が割れるかも知れないな。人の情が残っていれば、呼びかけなんかに応えるかもしれない」
「いくらなんでも、1日じゃ無理じゃないのか?」
「いや、おせんの父親……私の舅は、城下町の座の頭領の越後屋なんで、こういう時に頼りになる」
幸いに役人の執務の間の机を脇にどかしただけの座敷だった。佐藤さんは、すぐに墨やら筆やらを書院の箱から取り出し、机に向かうと一筆したため始めた。
「明日中に舅殿が家族を探し当てられれば、ここに連れてくるようにと頼む。使いに早馬を出してくれないか、殿様に掛け合ってくるよ……それと名前が割れたのも好都合だ」
「庶民に諱も字もないでしょう……」
「いやいや、九尾の狐の憑いていることと名前から人を特定できるから、祝詞での遠隔の技がかけられるかもしれない……」
馬医者が疑問をいうと、神主が答える。佐藤さんも式神も同様と言いおいて、座敷を出ていった。
それにしても、向こうが俺の顔を思い出さなかったのは、運がいいのか……。あのことを恨みに思っていて、あんな技まで使えるようになっていたら……。
あれはまだ、七月初旬のことだったか。季節は移ろったが、まだ2月と経っていない。あの日の夕方近くまで、女郎たちも使って、大津屋の女房と一緒にたっぷりと仕込んだんだったな。
いやいや、俺みたいな小物、もう覚えちゃいないはずだ。位置は若い女がいた方だったから、遠目で気が付かなかったのかもしれないが……。恨んでいるにしても、殺されるほどじゃないだろう……そう思いたかった。