80 申四つ(午後4時半)野合 田上城御殿・本多飛騨守吉保
「この城は難しい構造になっていないところが気に入っている。政の合議や軍議を行う広間から、二の丸、大手門とまっすぐ見渡せる。なかなか良き眺めだと思わんか?」
淡路守に「良くも悪くも変わられたぞ」と囁かれたのだが、確かに違う。無駄口を叩くことはあるにせよ、余裕を感じさせない人だった。余裕は、超然、悠然に、そして大度にと繋がる。本物かどうかはわからぬが、出陣前には備わっていなかった大度が今は感じられる。
「ほう、あれが狐たちか」
血を吸い、赤黒く染まった胴衣と袴を纏った若衆が2人、槍足軽5人を従えて、悠然と歩を進めてくる。猪口たちの次は、淡路と御館様の軍勢……そして、不気味な気を発散させながら歩く7人……城下町はまだ夕刻だというのに静まり返っている。
7人は、悠然と城門をくぐり、本丸の御殿前の広場にやってくる。御館様を挟んで、左右に私も含めた3人の家老、弾正の息子の吉景、そして、猪口外記が縁側に座して、7人を見下ろす。広場の左右には、場の警護のために、旗本の兵を100人ばかり置いている。
「なかなか見目麗しいではないか」
虚勢ではない。気負いもない。本当に何気ない様子で狐憑きの女たちを見やっている。
1人は18歳くらいの女、1人は15歳にならないくらいの童女と聞いていたが……淫靡な色気と強い殺気とが混ざった威圧感を発している。俺や弾正の惣領のような普通の人間なら何だこれはという嫌悪が先に立つだろうが、4人ばかりが埒外の反応をしている。
猪口は喜ぶような笑顔。内匠頭は好奇心に目を輝かせている。淡路守は7人を威圧するばかりに睨み付ける。御館様は得体の知れない薄ら笑いを浮かべている。
「何か、変な人たちもいるみたい、お姉さん」
「ふふふ、意識して恐がらせてるのにねえ。たいした肝っ玉……」
[これ以上は威圧しないほうがいいかしら。話ができなくなっちゃうもの]
最後の童女の方の声が、低くしわがれたのか? いや、そもそも唇が動いていなかったが、どこから声が出ていたのか?
「初めまして、津山のお殿様。わたしは、おかつ。わたしのなかに……」
(この娘の中にいるのが、九尾の狐……玉藻前と呼ばれていたわ。よろしくね)
こっちの方は、高く透き通った女の声が、途中から低く重く大きくなり、空気をビリビリ震わせる。左右の兵たちは、明らかにたじろいでいる。礼もない。平伏もしない。2人と彼女らに付き従う足軽たちは突っ立ったままだ。
「あんまり、配下の者を怖がらせんでくれんか」
(人の恐怖はわたしの器を大きくする糧なの。その器を生気で満たしきったら、誰も敵わないわ。でも、そうね、少し手加減するわ)
今度の声は、憑かれているおかつという娘の声を借りているのか、よく通る女の声になった。
「ほう、それでは、戦場ではたっぷり恐怖を食らったわけだな」
(そう……とても美味しかった。周防様の配下、弾正と但馬の配下の兵で、あわせて1000……それくらい食らったから、堀部のお殿様を撃つまで、あと一歩のところまで迫れた。四聖獣の一つ、朱雀も退けられたし、そっちの子も、わたしの分身にすることができた)
「ほう、九尾の狐が2体になったのか?」
(ええ。わたしは伝説の通り、倒されそうになって、殺生石に化身して捲土重来を図ろうとした。能では倒されて、石になって極楽往生を遂げたがっているって話にされちゃったけど。でも、ただ砕かれて、各地で封印されちゃったのよね。その代り、楽しみが増えたわ。殺生石の破片を探し当てて、おこうみたいに九尾の狐の分身を増やしたい。そうすれば、国を滅ぼしても、何の憂いもなく楽しめる)
これは少々計算外のことが起こってしまった。外記の話では、一騎当千どころでは済まないほど強力だということだった。それが今や2体か。
「国を滅ぼすというのが、気に入ったぞ」
「はぁ?」
猪口が皮肉を効かせた声で、返事をする。
「それがしではなく、御館様からその言葉がでるとは思わなかったですな。それがしは弾正への復讐も中途半端な形で終わって、自暴自棄になっております。それだから、この2人を利用して、自分の思うままにして最期を迎えたいと思って城を取りに来て、今、この座におります。もし、この場で、この2人を葬ろうなどという話になれば、この2人に味方するつもりで、ここに座しておるのですが、なぜ御館様も、それがしのようなことを?」
「実は世の中のことなど、わしもどうでもいいと思っていたのさ。それでも、狭い土地ながら、そこで武士の棟梁になってしまえば、そこに暮らす者たちを何とかしなければならんのだろう? だが、今日、そこにすがってたくせに裏切りおった一門どものの首を見て、下らない柵はなくなったと自覚したのさ。派手に戦をやって、やって、やり抜きたくなったのよ。それには、そこの2人の力が必要だ」
「堀部との約束はどうなります?」
淡路守が疑問を呈する。
「この際、無視してかまわんだろ。圧勝すればよい」
ふん……まあ、一門の年寄り共にあれこれ言われ、備後殿も上手く使いこなせていなかった……それは他力本願だろうとも思うが……。しかし、最初から津山家の家督を継ぎたくはなかったというのか。それなら、そういうものは生まれながらの呪縛でしかない。その気持ちはわからんではない。
しかしだ。それでいいのか?
考えは読めないが、感情の流れは読めるのが、こやつらだと外記は申しておった。
こいつら、御館様の言うことを理解して仲間になるだろうか?
わしら家老は、御館様を支えられるのか?
いつになくさばさばし、屈託のない笑顔を浮かべる御館様をみて、これがこの人の地なのかと、私の見る目も変わってくる。
(いいわ……もう少し詳しくお話しましょう……。その前に、湯浴みか水浴びさせてもらいたいわね。替えの着物も。血の臭いは大好きな香りだけど、ちょっと汗臭すぎるから)
「うむ、わしらも少し落ち着きたい。いろいろありすぎた今日は。奥の者に湯浴みの準備をさせる故、お互いに少し休んで寛ごう。おい……」
奥への案内をする番人と女中がきて、御館様がいくつか指示をし、2人を案内していった。付きしがう足軽どもは、渡り廊下の傍の座敷に控えるようだ。
あっけないくらい、お互いがお互いを受け入れるのを、私は意外に思いながら眺めていた。