07 次席家老・柴田内匠頭頼信の兵糧術
7月7日
戦が近いことがわかって、次席家老である私、柴田内匠頭の仕事は必然的に増えた。
堀部家よりは大きいとはいえ、津山家とて小さな国衆だ。次席家老はふんぞり返って書類の決裁をすればいい存在ではない。
首席家老の備後殿は戦場では総大将もしくは御館様の直接補佐に当たるから、面倒な事務仕事は全部こちらに回ってくる。特に面倒なのは、兵糧蔵の中身の管理である。
年貢として各郡奉行が収納した米は首席家老と勘定奉行の共管する大蔵に入る。そのうち、2割は緊急時用の備蓄・種籾として貯蔵される。そして残りの米は、日々の費えのために城下の米屋に販売される。そして、残ったものが次席家老と戦奉行の共管する兵糧蔵に入る。緊急備蓄も、兵糧米も、長期に保存されるが、二年経過したものから優先して売却される。
管領様や公方様から出兵を申し渡されるとこれがなかなか大変だ。この10年ほどは相模と武蔵の国境近辺での戦いに500の兵を数回出した。これに兵糧を用意する計算をしだすと頭が痛くなる。
家や地方で度量衡が微妙に違うから大雑把に言うが、兵一人に一日6合の米を食わすなら、全体で300升の米が要る。
これが10日の戦なら3000升。
300斗であり、1俵には4斗入るから、75俵だ。10俵を載せる荷車を8台用意して、重さにすれば800斤(480kg)だから、一台当たり100斤(60kg)になるように俵の内容量を調整して積む。
そして車を引く人足を雇うか、牛馬が使えるか、兵の一部に人足の代わりをやらせるか、というあたりまで考えねばならない。
実は、こういう計算が楽なので、拙者は石高制を家中で推したのだ。
こんな計算を行う才覚はなかなか武家には育たないし、育てない家もある。育てないところは、商家の協力を仰ぐしかない。家の主の頭がそこまで回らないと戦場で兵糧は確実に不足する。そうなると、兵が村を襲い糧食を奪う羽目になる。
だが、それをやってしまうと百姓が逃げ散る。村を占領しても、そこの田畑を耕す百姓がいなければ、占領しても無駄である。そこのところに考えが回らない馬鹿な武家が多く、百姓を他家の領地から奪うような戦までやりかねない。ますます百姓は逃げ散り、困窮すれば野盗になることだってある。
こういうことをきちんと考えずに戦をやるやつは、迷惑そのもの。今のところ、津山家中でここまで計算ができるのは拙者しかおらんので、下の者を鍛えねばならない。
「内匠頭様、兵糧蔵の米の量ですが、数えあわせ終わり、台帳を更新しました。ご検分ください」
我が家中の頭の切れる者と戦奉行や勘定奉行の配下の与力の数人ずつで、やはり2日がかりの仕事になった。拙者もできるだけ日常の仕事の合間に、蔵で作業を手伝った。実際、備後殿のお命とか、軍議の行方は拙者にはどうでもよく、戦がきちんと実行できるかが大事なのだ。御館様は別に見通しを立てているだろうが、大雑把な把握しかできていないはずだ。
帳面を確認し、末尾の面を開くと、兵糧蔵の米の在庫の総量は6621俵。概ね2600石だ。備蓄3年目の米が約500石含まれるが、使えないわけではない。5000の兵力で半年戦えるに等しいし、実際には、それほどの期間がかかるわけではない。味噌・醤油、豆類など、他の兵糧も十分な量が確保できている。いざとなれば、非常備蓄から借り受けることもできる。
川の水量は豊富だし、好天続きで田畑は青々育っている。このまま稲刈りまでたどり着けば、9月初旬はさらに良くなっているだろう。
「よっしゃぁ!」
私は下僚がいるのも忘れて、思わず拳を握りしめ、雄叫びをあげていた。