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69 辰二つ(午前7時半)泥沼 津山殿軍・猪口少外記明慶

「総崩れですね」


 町方筆頭で、戦場では私の副将の坂口主水がつぶやく。

 今しがた、周防守様と槍足軽5人、小姓2人が合流したので、本陣の後方で休んでもらっている。事情は聞いた。間断のない弓兵の攻撃に遭い、周防守様率いる第2陣は壊滅。周防様の戦意は未だに旺盛なのだが、流石に体調が思わしくなかった。

 周防様から話を聞いた直後に、遠目に見えたが、西から因幡守様の第五陣に合流した軍勢があった。あれが第1陣、第3陣の成れの果てだろう。こちらに合流して欲しかったが、森を抜けたら目の前にいて、そのまま流れ混んだというところだろう。

 そして、一番厄介なのが、突如として現れた、馬鹿みたいに大規模な騎馬隊だ。

 400ほどの騎馬武者が一群となって、150ほどに討ち減らされた伊藤殿の第四陣に襲いかかり、100ほどの兵を討って敗走させてしまった。50ほど生き延びた兵は、我らにとっては頼りになるが……。

 正直、400もの騎馬を相手に、我が陣が持ちこたえられるのかは、自信がない。


「難しく考えることはない。取り敢えず、生き延びればいいのだ。まず、因幡守様に伝奏を、我が陣の位置まで、お退きくだされとな!」

「はっ!」

「図書殿にも伝者を出せ。我が陣の右翼から真後ろへと移動するようにと」

「はっ!」

「後は、軍勢を寄せ集め、粛々と森脇村へと退くまでだ」


 私の初陣以来の働きを、この殿軍にいる将兵たちのほとんどが知っている。自分自身は気に食わんが、負けている時の殿軍の実績が抜群であり、日常から接している直属の町方の連中以外からは、すがるような目で見られている。初陣で「赤鬼」と呼ばれるようになった退き戦とて、あんなもの望んで得た戦果・実績ではない。

 ふと考え込んでいると、2人の伝者が信じられない速さで戻ってくる。それだけわが陣営の展開地域が、この殿軍に迫って狭まったということだ。


「伊藤殿、討ち死になされました。第4陣は目立った侍大将も残っておらず、残兵の誘導に戻ります。できれば、どなたか統兵にお遣わしくだされ」

「坂口、行ってくれ。50の兵を独立して扱えるとなると、この陣にはお主しかおらん」

「はっ!」


 実際には、周防守様もいたが、今すぐ兵を託す気にはなれなかった。


「弾正様、但馬守様、討ち死になされました。第1陣、第3陣の残兵は因幡守の陣に収容されました。退く故に、援護をよしなにとのことです」


 ひとまずは、弾正少弼が死んだという事実に、頭がどうにかなってしまいそうだった。死んでくれたのは結構だが……どうせなら、自分で手を下したかった。非業の死を遂げたということで満足せねばならんのだろう。それにしても、第1陣と第3陣の兵数はどれだけ残っているのか。取り敢えずは、左手の方に、敵の旗印が現れたので、それを一時、停めねばなるまい。だが、下知しようとした鼻っ柱を折られる


「御奉行、第4陣を破った騎兵隊、こちらに突入の模様です」

「槍隊、南西に向けて隊列を整えろ! 槍を突き出せ! 槍襖で弾き返すのだ。弓隊、斉射用意。騎馬はどこでも槍襖が破れたところに駆けつけろ。油断するな」


 ほとんど反射的に叫んでいた。伝者も大忙しだ。鉦や太鼓の指示にできない。非定形の命令が重なっているからだ。

 ちょうど後背に、第4陣の兵を収容したところだ。周防守様も立ち直ってくれれば、たとえ4、500の騎兵だろうが、遅れは取らん……と気持ちを奮い立たせる。

 だが、徹底的に翻弄される運命らしい。騎兵隊は、北東から北西へ馬首を巡らすや、速駆けで我々の後方へ素通りしてしまったのだ。あまりのあっけなさに、声さえ出ない。

 だが、これはしてやられた。


「森脇村だ。騎馬で一目散にあそこに行かれたら……」


 床几にへたり込み、思わず嘆息して頭を抱える。坂口に変わって、副将格となる吉村勘三郎が、そのつぶやきに事態を察した。


「御奉行、すぐに追いましょう」

「いや、ならん、まずは因幡守様を後方に退かせる」

「しかし……」

「黙れ」


 町奉行配下の古手の者どもは、私の津山一門への恨みの思いを知っている。だが、それを陣中で公言させるわけにはいかない。


「何はなくとも、因幡守様の下にある兵を、これ以上討たせてはならない。殲滅されたら、もはや殿軍で上手くやればよいどころではない」


 それに、因幡守と周防守しか津山一門が生き残らねば、わしも死を賜る可能性が高い。戦場で死ぬのは構わないが、刑死させられるのは、まっぴら御免だ。

 さらに、武名を上げる機会でもあった。


「左手に現れた旗印は、堀部の総大将と旗本だ。一撃食らわして、敵の殿さんの肝を冷やしてやろう! 勘三郎、全軍に伝達してこい」

「はっ!」


 勘三郎が、伝者たちと陣幕の外へと出ていき、自分も馬を引かせるために、床几から立ち上がろうとした刹那。誰にも悟らせず、顔も、着物も、血に汚した小姓が、自分の背後に立ち、不意に声をかけてきた……


「力がほしい?」

「力がほしいに決まってる」


 飛び跳ねるように立ち上がり、振り返る。その小姓たちはニヤリと笑う。陣幕の中には、私とその2人しかいない。


「お主ら、周防守様の城下屋敷で……側室ではなかったのか?」

「あなた、すごい記憶力抜群ね」


 年かさの小姓……いや、女が受け答える。


「ちょっと都合が悪くなってね。周防守様、先ほどお腹をお召しになって」

「何だと?」


 若い方の女が、背後の天幕をめくりあげると……甲冑を脱ぎ、襦袢の前を開けて、座った態勢から体を前に折り曲げ、腹を召した死体。介錯で刎ねられた首がその前に置かれ……間違いなく、周防守様だ。


「5人の足軽は私たちに従うと言ってるけど、まあそれはいいとして、わたしたちを使わない?」


 そう……わしは、陰陽師の佐藤との付き合いのおかげで、この2人の正体を知っている。九尾の狐だ。佐藤は、こやつらを捕縛するために、周防守の屋敷を詮議するように教唆していたのだ。


「そろっと時間がないわよ。あなたは戦場での瞬間瞬間の計算が立つ男だと見て売り込んでいるの」

「今、あたしたちを使えば、文字通りに千人力よ。堀部の本陣なんか、潰れちゃうわ」


 この女たちの言うとおり、わしは頭の中で、いくつもそろばんを弾いていた。因幡守しか生き残っていなければ、共々死を賜るだろう。私が津山家の中で復権できる目はない。それならば、ど派手な戦果をあげる……例えば、堀部の御館の首を挙げれば、手柄と罪を相殺できるだろう。

 そして、この女たちに逆らえば、この場で周防守の後を追うことになる。周防守は、ついさっきまで復讐戦と息巻いていたのだ。しかも、軽虚妄動も多いこやつが、責任を感じて腹を切るなど断じてありえない。この2人に謀殺されたに違いない。


「わかった……我々は、一度、堀部の本陣に突入し、武名を挙げ、因幡守の兵を吸収して、田上城へと帰還する。帰還した暁には……そこまでは言わんでいいな?」

「いいわ……最高……」

「どこまでも冷静……『鬼』っていうのは、本当はこうでないとね」


 どうやら、いつもの殿軍仕事とは比べものにならない、とんでもない仕事を引き受ける羽目になったようだ。



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