68 辰二つ(午前7時半)疾風 堀部騎馬軍団・梶川出羽守秀明(地図)
総勢400の騎馬……縦横とも10列の方陣を作り、その方陣を菱形になるように並べて、敵に突撃をかけた。
旗印からすると、向こうの戦奉行、伊藤図書と与力の隊で、合計200ばかりだったろう。
だが、山中右馬正と郡方・作事方の与力からなる500の槍兵に横撃され、その後は押され、双方50人ほど兵を失ったところで、伊藤は山中の隊からの離脱を図った。
そこが運の尽きというやつだった。
「折を見て西から敵の側面・背面を突き、敵が崩れたら森脇村に入って、兵糧を焼いてしまえ」
そう指示された当方の軍勢の前に、迷い出たという態であった。
結果は一方的で、文字通り敵を突き崩した。伊藤は兵を少しでも逃がすために、わしに一騎打ちを挑んで敗れた。伊藤の隊は、大将と100人以上の兵を失った。
「助からんか」
伊藤はわしの槍を右肩に受けて、馬から転げ落ちた。供回りのものが息を確かめたが、したたかに背骨を折っているようで虫の息。助からんだろう。
「楽にしてやれ……なかなかの腕前……それに勇敢だった」
息はあるのだが、手の施しようのない体幹の損傷……となれば、とどめを刺してやるしかあるまい。手柄を誇るためでなく、弔いをあげてやるか、敵に返してやるためにも、首を持ち帰るべきだと思う。
伊藤の隊をほとんど撃破し、残兵は50足らずだろう。
ここからの選択肢は2つだ。
一つは、このまま伊藤の隊を追撃し、最後方に控えている殿軍に、敗走兵と並行して雪崩込む。
もう一つは、右に大きく曲がり、大崎の槍兵と対峙して相当数の兵を残している因幡守の陣に背後から突き入れる。
実際のところ、伊藤の兵を追撃しようとして一騎打ちになったので、そのまま、追撃に行こうとした。しかし、そこへもう一つの選択肢が現れた。
「出羽守様〜! 本陣より御館様の御指示にございます」
「申せ!」
現れた伝令に、普通に話せるよう馬を寄せてやる。
「今の戦場に構わず、森脇村へ進撃されたしと。口調をそのまま真似ろと言われたので失礼しますが、『さっさと兵糧を焼き払って、敵のやる気を吹き飛ばしてしまえ!』との仰せです」
御館様からの伝者は大変だ。受け取る側と伝者の双方の心の蔵に毛でも生えてないと、こういう諧謔をそっくりやろうという奴はおらんだろう。あえて冗談を混ぜるのは、わしのような者の苦笑を誘うが、生真面目な若い武者には眉をひそめる者もおる。
ざっと遠目を見渡したところ、御館様の旗本の旗印が、因幡守の陣の横に来ている。織部助の勘定奉行の任を解く代わりに、馬廻りの総括に任ずるとか言っていたから、試すつもりかもしれない。わしの考えているようなことを、旗本にやらすつもりだ。
「よし、十列縦陣で進むぞ。並足(なみあし、現代馬術ならば常歩でなみあしと読む)で、わしに続け!」
わしの音声とともに、隊形を知らせる太鼓を鳴らす。
北へ真っ直ぐ。10人10列の塊を今度は、縦に数珠つなぎにする。
大将を失った伊藤の隊を追うように北上を開始したが、伊藤の隊は殿軍の横に並んでから、後に移動して、一隊を形成するようだ。
殿軍の将、猪口は「奉行ではなく武侠」「鬼口」とまで言われる度胸と武力の備わった男で、狂ったような戦いぶりから、「赤鬼」とも呼ばれている。奉行としては怜悧と言われているだけに、表裏の激しい男なのだろう。
「さて、この新しい騎馬隊が、どれくらい調練が行き届いているか、見ものだな」
「はっ! さすがに遅れる者はいないと思うのですが」
供回りの頭である菅野弘明が答える。惣領の秀十郎とともに、この400騎を鍛えに鍛えあげた男だ。兵からの恨みも買っているだろうが、先程の伊藤の隊との戦いで、死者どころか、乗馬不可能になる重傷者さえいなかったのだ。菅野と秀十郎の鍛え方は間違っていない、ということだ。
我々は一旦、伊藤隊を追尾して、そのまま猪口の殿軍の陣に突入するかのように馬首を巡らせた。方角としては北東に向かったわけだ。猪口隊がざわつき、槍兵がこちらを向き、弓兵もその背後に並ぶ。伊東隊をその後方に回して、混乱しながらも、なかなかの手際だ。
と、その瞬間……、我が隊は、隊列を直角に方向転換して速度をあげた。すなわち、北西方向へ馬首を巡らし直し、一気に馬を速歩に加速させる。
隊列が乱れると、事故になりかねない。外側の馬ほど速く走らねばならず、内側の者も速度を上手く合わせねばならない。列の中央にいる者はふらつきが出ないようにしなければならない。馬が走る時には、多少のふらつきが出る。それをできるだけ小さくし、激しい衝突を避けるのが技量の見せ所だ。
実際のところ、だだっ広い原野だからなせる技だ。道では隊列をもっと少なくしなければならないし、田畑では地面が柔らかすぎて、馬が足を取られる。それでも、地面の様子は一定ではない。ますます馬はふらつきやすく、この隊列を組んでの速歩は大変なことである。
猪口隊は一旦は、当方の突撃を受け止める腹だったから、完全に虚を突かれた。
向こうの騎馬の数は30ほどだから、追撃も躊躇したのだろう。
だが、わしらが通り過ぎ、常歩に戻した時には、事態が飲み込めたはずだ。
森脇村にわしらが到達すれば、兵糧が危ない。わしらを追えば、因幡守の陣営が孤立する。因幡守の後退を待って、わしらを追っても絶望的に遅い。すぐに追っても、追いつけるとは限らない。
そして、我らが策がすべて上手く言っていれば、最後の判断・指示を行うべき総大将との連絡が取れていない。
「やりましたな、敵の殿軍の後方に出た」
「速歩で、かなり水を開けました」
「よし、各組先頭に伝達せい。右側4列は、中山道に入って森脇村へ向かえ! 左側6列は行きやすい地形を選んで森脇村へ北上しろ! 村で火種を調達して、兵糧を焼くぞ! 百姓・町人への狼藉は許さん。敵の兵糧のみを焼くのだ!」