66 卯四つ(午前6時半)敗退 津山第四陣・伊藤図書頭晃久(地図)
今回は戦奉行としての役割は果たしていない。が、直卒50、与力1150、合計200人の第4陣を率いる将としては、いささか情けない。
「敵兵を突き放せません」
「こちらの弓兵は?」
「混戦で個々に使っている兵はいますが、突き放して距離を置かないと、集団で上手く使えません」
「やっぱり退きましょう。そもそも敵がいないから、四方村に突入する腹だったのでしょう?」
「そうです、森の方でも戦いになっております。敵は全力で、ここを守りに来ています」
「全く目算が違うではありませぬか」
「わかった。やむを得ん、北西へ退く。北西へ退けの合図の鉦を鳴らせ」
敵は500ずつの二陣の槍兵だ。騎馬もなく、弓もない。だが、1陣が我らが隊を側面から西へ押し込み、もう1陣が因幡守様の陣に向き合い、小競り合い……最初の敵の突貫を受けた我らの陣営の痛手は深かった。もはや逃げねば全滅が必至。
鉦での合図は、我らが東側に陣する、因幡様への報せでもあり、後詰めの位置に控えている猪口殿への合図でもあった。
突き放しての反撃を断念して、敵との間を広く開けようと退くのは意外に容易だった。退き鉦で三間槍の間合いでの突き合い・斬り合いになり、さらに間をおこうとしたら、しつこく追ってくる気配はない。
「このまま、隊列を整え直したら、因幡様の陣営の後方に戻って、お助けしましょう」
「わかった。各隊列、点呼しろ。組頭を失った兵は、近くの組頭や侍大将に申し出ろ」
全体を2手に分けたのは、こうなると大失敗だ。森のなかの様子がさっぱりわからない。
「おい、猪口殿に伝者だ。前進し、因幡様の右手に出られたいと要請してこい」
「はっ、承りました!」
「もう一人、森の砦経由で、弾正様の陣へ。全軍前進を継続するや否や。ご指示を乞うと」
「はっ、行って参ります!」
「伊藤様! 因幡様からの伝令です。因幡陣の右後方に付け、側面を固めていただきたい!」
「承ったと伝えろ!」
とにかく、建て直しだ。因幡様の陣を孤立させる訳にはいかん。我々に対していた槍兵たちが、因幡様の陣の側面へ動き出していた。森のなかの状況が、さっぱりわからない。あんな深い森の中で、何が起こっているのか。総大将の意図がわからぬ以上、今の位置での戦況を建て直すしかない。
だが、因幡様への伝令への返答は、空返事になったことをすぐに知った。
「敵の騎馬武者が4、500、突っ込んで来ます」
隊列を組み直している最中の左斜め前から、400はあろうかという馬の群れが、速足で接近してくる。冗談ではない。何だ、あの規模の騎馬隊は。
「槍、左前方に向かい構えろ!」
各侍大将と組頭が隊列の建て直しで周囲に注意を払ってなかったのがまずかった。「どろどろ」という大量の馬の足音に気づいた時には、遅かった。
「梶川出羽守、推参!」
「うらーっ!」
間違いない。堀部家随一の勇将が、呆れるぼどの騎馬を引き連れ、我が陣に突っ込んで来たのだ。槍を構えてももう遅い。揃っていない槍の穂先を、ある者はかわし、ある者は自分の槍で弾き、馬上から槍を繰り出しながら、どっと流れ込んでくる。
これはダメだ。配下の命をできるだけ、全うさせるしかない。
「全員、北へ走れ! 殿軍の陣に合流せよ! 自分の身を守れ! 後は頼むぞ、兵を上手く退かせろ」
私は馬腹を蹴って、鬼神の如き戦いをしている出羽守の元へと馬を走らす。
「津山家戦奉行、伊藤図書である。立ち会え、出羽守」
「良き敵じゃ……かかってこい」
出羽守を停めるというだけでは、どうにもならないのはわかっている。それでも、わずかでも、兵が下がる時間を稼ぎたかった。出羽守に付き従う者も数歩下がって、主の一騎打ちを立てようとしている。こちらの兵は……まさに、出羽守の槍にかけれられるところだった4、5人の足軽が逃げることができた。この剛将をわずかな時間停めるだけでも、何人もの兵が救える。
「うりゃ……」
「ぬ……青瓢箪かと思えばやるではないか」
受けて立つという姿勢の出羽守に対して、私は槍を上段から太刀のように振り下ろした。出羽守はそれを受け止めようとして槍を兜の上にかざす。私はそこで、急に槍を引き、胴めがけて、激しく突き入れる。一段をかわされると、そのまま2度3度と槍の穂先をさらに繰り出す。それをすべて槍で弾き、馬を巧みに操り……さすがに、備後守様・淡路守様に並ぶほどの武名を持つだけのことはある。
だが、自分とて、簡単に負けるわけにはいかないのだが……
「双方が徒立ちならば、わしに傷をつけることもできただろう。だが、馬上というのが、お前の運の尽きだ」
こちらが次の手を繰り出す前に、激しい突きの連続。回避できた理由は、私の方が若いという1点だけだろう。
そして、敵はさらに老獪だった。
槍の穂先側の胴が、ばしんと音を立てて、馬の尻を激しく叩いたのだ。そうなれば、いななきとともに、馬は立ち上がろうとし、私は態勢を崩されないようにしつつ、抑えようとする。
そこまでだった……
右肩に激しい痛みと衝撃……すばやく槍を引いた出羽守の1刺しが、私の右肩に突き刺さった。そして、私は、馬の後方へと吹き飛ばされて、どしんと背中を地面に強打した。甲冑の重さもあるから、とても耐えきれない激痛が背中を襲う。
……「これは、背骨か、腰骨が逝ったな……」……
そう思った瞬間……視界が完全に暗転し…………