64 卯三つ(午前6時)奇襲 津山第二陣・高田小五郎義之
「砦確保の功労者といえば聞こえは良いが、体のいい懲罰配置じゃ」
第2陣でありながら、砦の守備という配置に回され、四方村攻略から外された周防守様はすっかり怒り心頭の様子だ。
「殿、お怒りを鎮めてくだされ。少なくとも、兵糧は手に入りそうですから、それで良しとしなければなりますまい」
「おう、それだ。兵糧蔵はどうじゃ」
そんな殿の様子を横に、砦の真ん中にある兵糧蔵に取り付いたのが、我が組だった。組頭が錠前を太刀の柄を使って叩いて壊し、手荒く引き戸を開ける。何人かが中に駆け込み、樽や俵を調べていく。
「量は確認しきれていませんが、味噌・醤油・米・雑穀・干物、あります!」
砦に入り込んだ将兵がどっと沸き立つ。自然に兵糧蔵の周囲に人が集まる。米と雑穀と塩があれば人は死なんのだろうが、それだけでただ食ってるだけでは駄目な生き物なのだ。
殿も馬を降り、お伴の小姓らと蔵に近づく。
「このくらいの規模の蔵なら、100人で5日間は十分に美味しいご飯がいただけますね」
年かさの若造は、さりげないが、蔵の規模で兵糧の量の目算がついていることを匂わせる。刀の腕前だけじゃなさそうだ。
「油断……危ない……」
ガキの方がそうつぶやくと、2人は殿を左右から挟み、外へ向いて太刀を抜き放った。
それと同時に、砦の周囲から声が起こった。
「放てー!」
「放てー!」
物凄い速さの短い矢が、何本かすっ飛んできて、3頭の馬と乗っていた侍大将に突き刺さった。馬は短いいななきと共にもんどり打って倒れ、騎乗の侍はうめき声とともに投げ出され、地面に叩きつけられるとピクリとも動かない。
それだけではない。やや山なりに飛んできた矢が、10人ばかり弓足軽を打ち倒した。
「敵兵だ!」
「槍を持て」
「弩兵は手はず通りに射掛けろ」
「弓兵は、各個に弓兵を制圧しろ」
敵の弓足軽共は、号令がなくとも、何を射るのか決め打ちしているようだ。騎馬武者、そして、こっちの弓足軽。おかげで自分たちは、蔵に群がるときに手放した槍を、再び手にできた。しかし、速く短い槍が撃ち放たれるたびに、本来なら下知する侍大将たちが着々と倒されていく。そして、弓兵も混乱と敵の弓足軽どもの間断ない射掛けの前に、ろくに撃ち返しもしないうちに続々と倒されていく。
「槍隊、俺に続け!」
うちの組頭が槍を構えて、砦の外周にいるだろう敵に向かって前進を始めた。
「やられっぱなしでいられるか」
「目にもの見せてやる」
俺も、周りの者も気勢をあげ、槍を腰に構えて、後に続く。
だが、敵は狡猾な罠を敷いていた。
砦の建物を囲むように、大木を倒し、柵代わりにしていたようだ。その丸太の手前からでは、俺達の三間槍は森の中の敵共には届かない。ところが、その丸太を乗り越えると……三間槍が届く距離に敵の槍兵がいて、最初に乗り越えた組頭と数人の仲間たちが構えなおす前に、槍衾が襲いかかる
「ぐぁ」
「ぎゃぁ」
「ひ……ぎゃ」
「弓兵はあらかた倒したぞ」
「弓隊は槍足軽に狙いを変えろ」
「弩兵は各個に射続けよ」
これでは丸太に身を隠すのが精一杯というくらい、矢が雨と降り……
「後方を断たれるぞ」
「逃げろ」
もはや、戦をする軍ではない。ただの雑兵の群れ。弓兵は射返す間もなく全滅。命を下す立場の侍も倒されている。臆病風に吹かれた烏合の衆となった俺達は、西の出口へと向かって遁走を始めようとしていた。
「ばかもん! 逃げるな! 足を止めろ!」
耳がはちきれんばかりの大音声。
降りかかる矢を、あの重そうで肉厚のある太刀を軽々振り回して矢を薙ぎ払う小姓たち。やつらが声の出所なのか……老婆のようなしゃがれた声と修験者の喝のように野太い烈拍の声が入り混じったかのような不思議な……恐怖感を煽る声。
身を思わずすくめ、立ち止まる。すると、周囲で数人が矢の餌食になる。出陣前に声を掛けてきた九兵衛もだ。
これは不味い……死ぬ。このままでは。
だが、唯一、助かる道が見えた。
矢を切り飛ばしながら、殿と2人の小姓は並ぶようにして、西の出口へ悠然と歩いている。剣に巻き込まれぬくらいの間合いで、殿と小姓どもについていければ……。
すくんで動かなくなっていた脚を、バンと叩いて気付けにする。落ち着きができたのか、何とか脚が動くようになり、3人の歩みに着いていく。
下知する侍大将も、組頭もない。生き延びたいという本能だけで動いている足軽が、俺の他に数人付き従う。道を先導してもらい、俺たちは3人の背後を守る格好だ。
「周防守だな!」
「逃がすな! そいつの首は置き捨てにするなよ!」
敵の足軽が口々に叫びながら、3人の前に槍を構えながら一線を敷く。
槍に太刀は不利だ。しかし、3人は臆することなく、10人の列に突っ込む……槍をかいくぐり、繰り出された槍を小脇に抱えて、太刀で柄を斬り落とし、返す刀で兵を屠る。
そのまま左右に向いて、左側を年かさの小姓が、右側を殿とガキが、薙ぎ払う如くに切り倒していく。
「堀部の人たち、あんまり怖がってくれないから、イヤだわ」
ガキの小姓がなよっとした調子で言う……やっぱり女なのか、こいつら。それなのに、何て手練だ。
重い幅広の太刀を無駄なく振り切る。甲冑も兜もお構いなく叩き割る。斬る。一振り一撃で屈強そうな男どもの体が吹き飛び、切断され、手もなく倒された。
生きたままの人間の首が、斬り飛ばされる。胴体が腹のところで切断される。上半身が袈裟懸けで斜めにずれ落ちる。このひどい斬殺は、槍が全盛の今の戦では、早々お目にかかれない。
殿も手練だが、まだ甲冑の隙間を突いて倒している分、時間がかかる。だが、2人は文字り鎧袖一触で敵を倒す。甲冑も着けず、血しぶきで装束や袴を朱に染めていく。顔にかかった反り血は、まさに血化粧。美貌に凄みがつく。
「くそ……これでは誰に対しても、何の面目もない。弾正殿にも、御館様にも……どの面下げてお会いすればよいのだ」
殿は毒づいている。心底から怒っておられる。だが、遁走をやめない。
俺たち助かった足軽5人と殿と女の3人は、西へと向かう道へと入った。
「やけ起こしちゃだめよ。私たちを戦陣に加えるために、あんたには、まだ頑張ってもらわないと」
「そうね。この先に殿軍が待機してるはずよね。そこまで出向いて、陣に加えてもらいなさいな」
「ああ、兵を借りてでも復讐戦だ」
殿は地団駄を踏み悔しがるが、この女どもの言うことをきくようだ。この文字通りの全滅の惨状は、本当なら腹を召さねばならないほどの恥辱だろうに。だが、殿は西へと進んだ。とにかくどうなるかはわからないが、3人についていくしかない。
「もういい! 周防守は放っておけ」
「隊列を組め! 南に向かった奴らの背後を討つ!」
「おお!」
背後から威勢のいい敵の声が聞こえてくる。何が「砦には、見張りの兵しかいない」……だ。完全に罠に嵌められている。
だが、殿についてる女たちの顔は、やたらに嬉しそうだった。