63 卯三つ(午前6時)開戦 堀部逆茂木背後・神野紀三郎久之
わしらの前にある逆茂木は、大振りな枝を1間ほどの長さで切り、縦横に組み合わせ、縄で縛ったり釘を打つなりして留めたものだ。脚の部分は、枠のように誂えてあり、枠の後ろ側から、前面に立つ木を支えるように、さらに木を斜めに差し渡している。
縦に立つ木の隙間は5寸もない。わしらが槍を繰り出す支えになり、敵の槍を少しは防いでくれるだろう。
「敵が来る。あと100間」
最後の物見に出たやつが、出口に現れて叫ぶと、横の森に大きく跳びこんだ。道端に撒いた撒菱を踏まぬためだ。
「槍、正面組の十人だけ構え」
指図が小声で、右から左へと口々に伝えられ、腰だめに槍を構える。ちょうど腹の高さより、やや上に横木が渡されていて、そこに槍を乗せて置けるので楽だ。
武者震いとかいうやつは、俺に来た試しはない。だが、胸が締めつけられるような気分の緊張感は毎回ある。痺れるような感覚とでも言えばいいのか。曰く言い難い、どうしようもない気分の高揚感。
隣の若造は、顔を真っ青にして震えている。初陣は済ませているはずだから、逆に戦場の現実をみて、心から怖がっているのだ。
「おい、久蔵。いいか、自分の正面から、こっちに突かれてくる槍の先だけ注意しろ。敵兵を討ってやろうみたいな余計なことは考えるな」
「…………あ、ああ」
「今日、生き延びれば、お前もいっぱしの口のきける足軽になれる。というか、生き延びることだけ考えられるようになれる」
「……あ、ああ」
歯の根も合わぬ……返事ができるだけ、まだマシだ。
逆茂木は道の出口を、半円に囲むように置かれている。俺たちは、その出口を真正面で見ていた。
そして、槍を腰だめに構えて現れた敵。その敵をお奉行直属の30人の俺たちが囲むように睨みつけ、正面の組だけ槍を突き出している。副奉行配下の30は1歩ないし2歩引いて待機。俺たちに穴が空いた場合の、穴埋め役だ。
敵は正面、右、左と現れては横列を広げ……5人ばかり並んで、正面・左右の逆茂木へ近づいてくる。
槍の穂先は、10人しか出ていないが、流石に数がもっと多いことに気づいたようだ。
「おい、逃げ出した10人じゃすまねえぞ。正面・左右に合計30人はい……うが」
防御の最初の犠牲者が、逆茂木の前に撒かれた撒菱を踏んづけた挙げ句、その前の膝丈の横木に足を引っ掛け、横木と逆茂木の間にある剣山板に、どうと倒れる「ぎゃあ」という悲鳴があたりに響く。撒菱を踏んだ激痛で後ろに飛び退いたやつは、背後の連中に突っ込んで、散々に隊列を乱す。
「一斉に放て!」
後方から、御家老の勘解由様のよく通る低音の大声……ヒュンヒュンという音ともに50の矢が、後方の敵に降り注ぐ。全中というわけにはいかんだろうが、10や20の敵が、それで倒れたはずだ。
「全員構え。突けー!」
剣山板に無様に突っ込んだやつも、戦意満々に前に出ようとするやつも、かまわず30の槍の穂先がいきなり突き出されて、前にいたやつを刺し貫く、さらに「ぎゃあ」とか「ぐあ」とかいう悲鳴が起こる。
「待て前に出るな……敵が……ぐあぁ……」
敵兵は続々と出口に現れては、正面左右に前へ出ようとする。最初に倒れた連中を見て、直後のやつは、下がろうとするが、後方を矢で撃たれて、さらに後にいる奴らは前に出ようとする。
否応なしに、最前列のやつは、撒菱の撒いてあるところに足を踏み入れる。
態勢を崩し、横木に脚を取られる。剣山板に突っ込んだり、後列の兵を押し返そうとしたり……。
完全に算を見出したところに、俺達の槍が襲いかかる……。
そして、後方にまた50の矢が降り……数十間後方まで大混乱は及んでいるようだ。何より敵は、半円の檻の中で押し合いへし合いして、勢いもなく次々に押し出されて、俺達の槍の餌食になる。
「くそくそ……殺ってやる、殺られる前に殺ってやる」
久蔵も必死になって槍を突き出し、敵兵を屠っている。
森のかなり奥の方からも、かすかに悲鳴が聞こえてくる。多分、森の中に入って、迂回して、俺達の左右に出ようというやつが、道端に撒かれた撒菱を踏んづけたせいだろう。
おそらく、勘解由様の弓隊の矢が届くあたりまでは、阿鼻叫喚といった態になっているはずだ。
そして……
「カカッ……」
逆茂木に何かがぶつかる乾いた音……敵の弓隊が、逆茂木の見える位置まで出てきのだろう。立ち止まって、斉射を開始したのではないか?
ただ、大部分が逆茂木に当たり、最初の斉射では、こちらに被害はない。むしろ向こうさんの仲間撃ちが何人か出たはずだ。
「敵、森からくるぞ……」
「任せろ!」
「うぉ……」
「うりゃ……」
「ぎゃぁ……」
弓隊同士が矢を激しく応酬しているが、こちらの弓隊は敵の弓隊の制圧を優先させている。一方、敵の弓隊は逆茂木が盾代わりになっている俺達を狙っていてあまり効果が挙がっていない。こちらの矢が射込まれるごとに、返ってくる敵の矢は減り、向こうの矢はこっちの槍兵を一人二人しか倒せない。
ばらばらに前進してくる敵の槍兵が、逆茂木のところでも、左右の森を抜けたところでも、死体の山を築いていく。
「だが、後続が慎重にきたら、保たないかも知れないな」
思わずつぶやく。目の前は、敵兵の死体が転がり、それを踏みつけにすれば、撒菱も剣山板も意味をなさない。こんな中へ騎馬で突っ込んで来ないだけ、まだ冷静とも言えるが。
これはそろそろ、引き時じゃないのか……と、全体の見えていない下っ端の俺には、そう思えてならなかったのだが……。