62 卯一つ(午前五時)進撃 津山第一陣・津山弾正少弼為景(地図)
「砦内に人影ございません。われわれが、西から侵入した時に、10人ほどの兵がいたのですが、南に逃げ去りました」
「よし、ひとまず周防守に伝者を送れ。砦の接収と守備は、周防殿に任せるとな。わしがこのまま先陣。但馬守が直後に続き、砦で何もなければ、周防殿はその後に着けよと」
「はっ」
中山道から、堀部家が新しく築いた郡境砦にわしらの先陣が到着した。昨夜は、兵糧の輸送に疲労困憊した兵も多く、また深夜に深い森を隠密に動くことも難しそう故に、物見を出すのは控えた。その代わり、騎馬と槍が10人ずつの先行隊を出立の半刻前に出した。砦に極少人数の見張りが残っているかもしれないという話は、戦奉行から聞いていたので、確かめさせたのだ。
実際、見張り兵は残っていたのだから、戦奉行のもたらしている情報は、悉く正しい。
ならば、ここから四方村、そして城下まで、敵兵に遭遇することはないだろう。
本来なら、周防守には先鋒を任せたいのだが、城下屋敷の不始末や兵糧の不備を隠していたことなどがあり、第二陣から砦の守備に留まってもらう。実際、兵が消沈しているし、懲罰的な意味も大きい。
「但馬守にも伝者を。わしの直後に続き、四方村へと向かえとな」
「はっ」
「並びを変える。隼人、佐助の槍組を先に立てろ。それから、弓、騎馬、後備えの槍と続く」
「はっ」
道は太くない。ここからは、四方村への侵入を意識し、有力な侍大将と槍兵240人を3列縦隊で先頭に立てる。それに弓50人、次にわしと騎馬30騎と続く。騎馬は総数で50ばかりいるが、20騎は組を束ねる侍大将で、まとまった騎馬隊として使うのは、この30である。
家宰の山田吉右衛門とわしの惣領の矢野輔が、隊列を整理し、南へと送り出す。わしと吉右衛門、矢野輔は騎馬とともに進み、それに後備えとして槍兵が160がついてくる。
出立時は第3陣だったが、今はわしらの直後につけている但馬守も、同様の隊列で進む。
この2陣で200間(360mくらい)の長さになっている。
「殿、一安心ですな。このま進んで、四方村を占拠すれば、勝利は疑いなしです」
「ああ……矢野輔がもう少しできる奴ならな……前軍の指揮を執らせて、勝ち癖をつけさせたかったのだが」
話しかけてきた吉之助が、思わず、矢野輔との位置と間合いを確認する。奴は後備えの先導に行ったので聞こえる心配はない。
「殿。時節や時流が合わなかったのですよ」
「淡路守の爪の垢を煎じて飲ませたい。奴は、父・備後の武勇に匹敵する武人に育っておる。時節も時流も一緒だというのにな」
「人それぞれに才の差もございましょう」
鳥が空から俯瞰すれば、大きな蛇が森の中を進んでいるが如しだろう。そのなかで自分の惣領息子の不出来を愚痴ってしまう。自分でも緊張感が緩んでいると思わないでもない。
そうしたら、列が止まった。
「殿、森の出口に柵が設けられています」
先頭から徒の伝者が、怒鳴りながらやってくる。
「道を開けろ、わしが見に行く」
狭い道に兵が溢れるなか、わしと吉右衛門で先頭へ出る。
「かなり頑丈そうな逆茂木です。隙間がかなりせまいので、向こうの様子がうかがえません。兵がいるのはわかるのですが、どのくらいなのか……」
森の出口まで、30間(54m)ほど。先頭の侍大将の一人、坂田隼人が説明するが……
「逆茂木は予め作っておいて、吊るしておいたものを降ろすとかで、即席に置くこともできるだろう。兵も、砦に残っていた見張りではないのか」
「拙者も、殿と同意見です」
吉右衛門が同調すると、隼人もにやりとする。
「それがしの一存で戦いを始めても良かったのですが、一応、殿の御下知をいただきたかったのです」
「そうか……ならば……」
わしと吉右衛門は、できるだけ道の脇にどける。そして、わしは軍配を差し上げる。
「最前列、槍を構え! 前進! 急ぐな、並足で進め!」
敵が追い散らされた見張り兵なら、続々と列をなして迫る我が兵に、恐れをなして逃げ出すだろう。逆茂木は、そやつらが退散してからぶち壊せばよい。
これは、戦を始めるに当たっての景気づけに過ぎない。