60 寅三つ(午前4時)出撃 津山陣営足軽・高田小五郎義之
「起きろ」
「夜が明ける前に目を覚ませ」
「おう、さすがに夜明け前は冷えるな」
「よし、皆、表に出ろ」
「最後の見張りの当番は難儀だったな。縁側にかけて、休んでくれ」
この戦の初日、我らが周防守様の家中が寺に泊まれたのは運がよかった。戦奉行様、町奉行様の家中は村の外縁の休耕地に夜営している。それに比べれば、堂内に雑魚寝というのは、ましな方だったのだ。最後の一刻の見張りを仰せつかったのは運がなかったが、寝過ごして雷を落とされるよりはいい。
縁側に腰を掛けるというより、寄りかかるようにして、全身の力を抜く。
見張り役がなかった者たちも、不満顔だ。昨夜の食事に酒がつかなかったからだ。周防守様の城下屋敷が火事で燃えてしまい、そちらに備蓄していた兵糧も全焼した。人足の代わりに、荷物を運ぶはめになったうえ、酒や味噌の再調達が間に合わなかった。味噌は村でも少量調達でき、昨日の食事に汁物はついたが、今日の兵糧は、塩味だけの握り飯しか出ないだろう。
「まあ、今日1日、こらえてがんばってくれ。四方村を取っちまえば、飯以外のものも、酒も手に入いることにからな」
俺の顔がそんなに疲弊していて不満も表れていたのか、俺の顔をまじまじ見ながら、組頭が声をあげる。しょうがない。そんな顔をされたら、応えるしかないではないか。
「そうだ。それに堀部の隠し砦もあって、そこにたっぷり兵糧が隠されてると言うではないか。そこまでの辛抱だ」
殿……周防守様の護衛にうちの組が選ばれ、軍議の陣幕の内から聞こえてきた話を口にする。人はただ食えればいいというわけではない。辛い環境に置かれるなら、少しは報われる先行きが見えねば耐えられたものではない。だから、組頭が目で促したから、そのことを口にしたのだ。
「そうだな。足りないものは奪えばいい」
「ああ、やってやるぞ」
俺に呼応した声を出したのは、見張りについていた連中だ。多分、中から出てきた連中の意気の上がらない様子に、いらついたに違いない。
そこへやっと周防守様の登場だ。珍しく甲冑をまとっていない小姓を2人連れている。なよっとして、女みたいに柔弱な雰囲気だが、腰に差した太刀は業物のようだ。かなり肉厚幅広で、兜割りにも使えそうな重量感がある。注意して見れば、鞘から抜かなくともわかる。それが使いこなせるのなら、相当の手練だ。だが、ぼんくらな兵どもはそのことに気づかない。衆道を思わせる嫉妬心から、舌打ちさえ聞こえてくる。
どうも気分が、どんよりしている。
「先陣は弾正少弼様。第2陣が我ら。第3陣が但馬守義行様。第4陣が伊藤殿。第5陣が因幡守克長様。殿が猪口殿だ」
「第3陣までが森の中の砦を押さえ、四方村の東側に襲いかかる。第4陣以降は中山道をそのまま南下し、北から直接、四方村に突入する」
殿とお付きと組頭たちが、今日の動きを確認している。
各組に握り飯が配られている。俺も受け取って確かめるが、竹皮を解くと案の定、塩むすび3個だけだ。せめて香の物でもついていれば、マシなんだが……空腹なら何でも食えると、自分を騙してガツガツ頰ばる。あえて夕餉のために残しておくことはしなかった。昼時にも食いたくなる状況とは思えなかったし、夕方には何とかなると周防守様とお偉いさんたちは言っていたのだ。そこを俺たち下っ端が心配しても、どうなるものでもない。
「小五郎さん、あんたあ、戦は何度目?」
「先代の時に2度。今の殿で4度。合わせて6度目だな」
真九郎という組の若いやつが話しかけてきたので、答えてやった。
「そうか。俺はまだ2度目だ」
「初陣じゃねえだけ、ましだろ。まだ怖いのか?」
水くみのために井戸に向かう。そいつも連れて行きながら話を続ける。
「当たり前だ。あんたみたいに場数を踏めば、怖くなくなるのか?」
「怖いぞ」
「え? そういうもんなのか?」
「そういうもんだ。俺が淡路守様や周防守様みてえに武芸の達人なら。怖くねえだろう。生憎とそうじゃねえ……あー、水はたっぷり持っていけ」
俺は井戸から水を汲み上げ、大きな竹筒2つに水を注ぐ。水があれば、1日くらい飯がなくても人は生きていけるし、身体も動かせる。水を切らすなは、6度の経験での鉄則だ。
「あ、ああ。怖いって言う割には、震えたりしないんだよな」
「震えても何ともならないってわかったからな。恐れ知らずでも、槍の一突きで死ぬ。だが、冷静に敵の槍の穂先を見ていられれば、死なずに助かることが多くなる。そういうもんだ」
「それだけなのか?」
「むしろ恐れを知れ。あとは運だ……まあ、今回生き延びれば、身体でわかるさ」
「そういうもんか」
遠くで声がする。
「組ごとに集まれ! 隊列を組め!」
東の森の木の間からお天道さんの光が漏れてきた。
まあ、俺も今回の戦はあまり上手く行ってねえとは思うが、話をしたことでちょっとだけ気分が落ち着いた。組の集合場所に戻り、槍を担ぐと、怖くともどうでもいいといういつもの気分になっていた。
「出立!」
殿と伴回り20人ほどが先頭となり、その後ろに、8つの組が2段の4列縦隊を作って前進する。25間ほどの長さになるだろうか。隊列は粛々と中山道へと向かった。