59 寅三つ(午前4時)出撃 堀部陣営足軽・神野紀三郎久之
「おい、起きろ」
「皆、夜が明けきらないうちに起きろ」
「おう、さすがに夜明け前は冷えるな」
「白湯でも茶でも飲んでくれ。焚き火に鉄瓶でお湯を沸かしておいた」
「気が利くな」
「おう、紀三郎、最後の見張りご苦労だったな。みんなが野営道具を畳むからお前は休んでくれ」
「へい、頭」
木椀に安物の茶葉を入れて、鉄瓶から湯を注ぎ、くるくる湯を回すようにしてはすする。茶の湯をするような偉い侍や金持ちの商人なんかから見れば邪道なのだろうが、わしらにとってみれば、寺や神社の参道の露店や門前にある「一服一銭」のような気楽な飲み物だ。
わしらは普段は町方で、御奉行直属の配下として動いているから戦働きの経験は少ない。わしも25歳だが、戦に出るのは4度目だ。時々、郡方と協力しての野盗の討伐にも駆り出されるので、すっかり修羅場には慣れっこだが。
「天幕と布団に使った藁、焚火の後片付けをしたら、点呼取るぞ。御奉行の周囲に集まれってことだ。そこで兵糧も手渡しだ。水はそれまでに、その辺の井戸で各自で汲んでおけ」
今回、御奉行の配下に入るのは、御奉行直属の30名、副奉行様とその配下30名、与力の川村様とその配下10名、他に、元は家老の内藤様の与力3名とそれらの配下30名だ。最後の3隊は、兵制改革で槍兵を選んだために、弓を選んだ御家老の与力を外れ、槍兵を選んだ御奉行の与力に繰り入れられた。
「100の兵を指揮するのは初めてだな。まあ、何が変わるわけではない」
組ごとに点呼が行われる。副奉行様の隊が全体の炊き出しを当番として行い、今日の兵糧の用意をしていた。竹皮に包んだ握り飯が4個……大きめだ。塩か味噌を一緒に握ってある。それと香の物が少々。
「朝飯を食いながら聞いてくれ」
町方がほとんどのこの隊は、非常に気楽に構えている。一体感が強いせいでもある。槍隊として統一するという話をされたときは熱っぽい意見も飛び交ったが、今日ここに来てみれば、いつもの気楽な町方のままだ。
「御館様の策によれば、実質的に第2陣で、敵の先鋒ともろにかち合う1番の激戦地だそうだ」
脅すようなことを言いながら、御奉行は楽しそうだ。誰も怖がりゃしない。
「だが、安心しろ。逆茂木が用意してあり、敵の足はそれで停る。後は木の間から敵を突いたり、叩いたりすればいいというだけだ。少しも怖がらなくていいぞ」
「おーー」
おーと言っても勝鬨のような威勢のいいものではない。どよめきのようにわいてくる……半ば呆れたような声だ。だが、これで終わらないのがこの隊だ。
「御奉行、先月の野盗退治の方がまだ景気のいいお話しをされていたと思いますが」
「ははは、ちげえねえ」
「当たり前だ、我ら町方にとって、野盗退治と戦、どっちが本当のお役目だ?」
「御奉行、そんなこと言ったら、新しく来た3隊がやる気をなくしますぜ」
「そんなことないぞ、呆れてるがな」
新顔の連中も、早くも打ち解けて野次を飛ばしてくる。なかなかいい雰囲気だ。
「もうすぐ夜が開ける。さっさと食い終えて、出立の支度をしろ。戦を終えたら、四方村に入って休めるからな」
「おー」
「待て、静かにだ。まだ敵に気づかれてはならぬ」
「はっ」
声を低め、黙々と握り飯を食い、終えたものから、立ち上がって、槍を持って立てて、肩にもたれさせて待機する。握り飯は1個か2個残し、四方村に入るまで余裕があったときのために取って置くやつが大半だ。俺も1個残して竹皮に包み直し、腰の巾着袋に入れておく。
「それでは、参るぞ」
御奉行はさすがに馬に乗っている。城下での日常と違い、徒ではない。だが、共の者が持つ槍は、馬上用の短槍ではなく、我々と同じ三間槍だ。それは戦場では、俺たちと同じく、徒で駆けずり回り、敵と槍で突き合うということだ。頼もしい。
だが、野盗討伐の時もそうだが、こうして戦場に向かう時が一番嫌なものだ。戦いが始まってしまえば無我夢中。相手の槍の切っ先を躱し、自分の槍を突き返す。ほとんど考えず、ひたすら体を動かすだけだ。
だが、この瞬間はいろいろと考えてしまう。やり残したこと、女房子どものこと……死ねないと思うから怖くなり、余計なことを考えなくなるから体が動く。
位置についた時に吹っ切れるだろか。似たようなことを誰もが考えているのだろう。木々の間からお天道様の光が射して来る……きれいな森を目の前に、俺たちは黙々と足を運んでいた。