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58 国衆・堀部掃部介忠久の軍配

8月28日


「やっとだな」

「あとは、敵が思惑通りに動いてくれるかです」


 四方村から南東に半里の休耕地に設けた野営地に、昼下がりから各家の軍勢、総数約2000余が着々と集結している。本当なら、四方村内の本陣と寺社に宿舎を求めたいところだったが、村に1人の兵も置くつもりはなかった。

 関東平野はかなり凹凸がある。今いる場所は、小さな台地の南で、四方村からは直に見えない。村から外れた田んぼでは、籾殻の野焼きをやっているところもあるので、兵たちが煮炊きの火を起こしても、さほど目立たない。四方村を直轄領から弟の所領とする触れは今日、公にしており、村外れに弟の陣幕が張ってあっても、城下に出かける前の準備くらいにしか思われていないだろう。

 夜はかなり涼しくなっているがゆえに、野営具の準備に怠りないようには命じてある。紐と杭により、天井・風除けの布を張り、草や藁を布袋に詰め込んだ簡易な布団作りに、皆忙しい。


「まだ打つべき手はないだろうか?」

「考えることがやめられませんな」

「まったくだ。『兵は詭道なり。故に能なるも之に不能を示し、用なるも之に不用を示し、近くとも之に遠きを示し、遠くとも之に近きを示し、利にして之を誘い、乱にして之を取り、実にして之に備え、強にして之を避け、怒にして之を乱し、卑にして之を驕らせ、佚にして之を労し、親にして之を離す。其の備え無きを攻め、其の不意に出ず』。孫子の教えをここまで忠実にやってきたんだ。兵法知らずの猪武者ども相手にな。それでもまだ何か忘れていないか、不安になる」


 和泉守とともに、北の台地の稜線まで出ると四方村と、その北東に広がる森を一望できる。さらに北西には、田上郡内に広がる森があり、間を縫う中山道の左右に集落や田畑がある。


「砦の人足たちは?」

「密偵も含めて打ち上げの宴会を、四方村の旅篭で楽しんでおりますよ」

「では……南道出口の仕掛けは、できているか」

「大丈夫です。職人と人足を村で手配して、今ごろできていると思います」

「騎馬の方は大丈夫か?」

「秣や飼葉の代金は城の負担になりますが、出羽守様に一任しました。いまや次席家老というより馬事奉行ですな」


 森林の中で大げさな砦を作り、なおかつ、今はそれを空っぽにしているように見せかけて、敵に「堀部家は、28日から郡境も含めた領内の兵力を城下に集め、9月1日に景気づけの閲兵更新を行って、軍制改革の成果を確認し、そのまま津山家の侵入に対して出撃する。想定する戦場は四方村の北方」という、これまで誘導に誘導を重ねた情報に駄目を押す。

 砦には監視兵らしきが10人ほど居残っているとか、兵糧が150俵以上ありそうだとか、人足に紛れていた密偵に、砦を占拠せずにはいられなくなる情報えさを与えているはずだ。

 敵の一門衆を中心とする約2000の兵は、郡境の向こう……田上郡山脇村に集結しつつある。この愚かな分派行動を徹底的に叩きたいところで、砦経由で四方村攻略に取り付こうとする兵が多ければ良い。さすがに津山の残りの兵が追い付いて来ることもないだろう。そして、自分たちで人足となって兵糧を運んできた兵どもを休ませるために、今日の夜中に物見の兵を出すことはない。そもそも、朔日も間近で乏しい月明かりの中である。灯明を点して、自らの存在をばらすような物見は無理だ。


「皆を本陣に集めてくれ。軍議だ。明日の配置と動きを指示しておきたい」


 伴の騎馬武者に伝令を命じて、和泉とともにゆっくり並足で戻る。弟に借りた陣幕内には、図面を机に置き、周囲に床几を置いた。一人また一人とやって来る家臣どもは、弟の陣幕の中に弟がいないことを訝しむ。そのうち、一門で従弟の源之進も姿を見せないことにも気づき、ひそひそ話をする。奴らに戦の事前に何をさせてるかは、和泉以外には知らんから無理もない。

 最後に勘解由と出羽守が談笑しながら入ってくる。それで、一門以外の諸将が揃った。


「そんじゃあ、そろっと軍議を始めようか」


 堀部家は先代の親父が厳しすぎ、後を継いだ時に大人衆として君臨していた一門と家老が、親父と同世代の老人どもで、どうにも重たすぎた。

 6年前に後を継いで、「頼むから、息子に家督を継いでくれ」と拝み倒しに回った日々を思い出す。今は最年長の出羽守でも42歳で、家格筆頭の勘解由が37歳、余や和泉、織部は32歳だから、だいぶ若返ったものだ。

 こういう場の厳めしさは、勘解由や出羽が作ってくれる。だから、主宰の余は努めて発議のしやすい雰囲気を作らないといけない。できるだけ言葉は砕く。


「今日ここに城を空にして集まったのは、周知の通り、攻め寄せてくる津山家の阿呆どもを叩き潰すためだ。事前の策を弄するに当たっては、左衛門尉に苦労をかけたが、それがどうなっているかは、和泉の方から説明してやってくれ」

「はっ。まず、現在、敵は郡境から2里ほど北の森脇村に集まりつつあります。その数は2000」

「お、全力の5000ではないのか?」

「いかにも中途半端だ」


 家老第三席の山中右馬正忠真やまなかうまのかみただざねと第四席の大崎兵部少輔義正おおさきひょうぶしょうゆうよしまさが、連なって発言する。彼らは実質的に「家格の高い郡奉行」であり、役務は内政に専念している。年齢はいずれも35歳。敵に対する謀略の経過や結果は、こうした場でなければ明かされない。しかし、軽んじているわけではない。軍才は優れているので、戦場では頼りにしている。


「敵が2000になったのは、偶然が作用したところもあります。1日に行う予定だった閲兵行進に引っ掛けて28日から郡境に兵がいないという情報を流して刷り込んだのです。そうしたら出兵は1日か、明日かで、敵の意見が割れ、一門が勝手に抜け駆けすることになったのです」

「敵におごりもあったんだよ。倍の兵があれば、どうやっても勝てるというな。だから、こっちは1日まで枕を高くして寝てると思い込ませることができたわけだ。で、できの悪い連中が、自分の思う通りにしようと抜け駆けさ」

「なるほど」

「得心しました」


 山中や大崎に限らず、この状況を知ったのが初めてのものも多い。ここは感心してもらった方が話は早い。そうすると、町方の方から、奉行の与力と思われる男が発言した。


「今ひとつわからないのが砦です。なぜそんな森の中に砦なのか、その砦もなぜ空っぽにするのか、お考えをお聞かせくだされ」


 眠そうな顔をした作事奉行が「そうだそうだ」という顔をして頷く。


「実は、将来は森をさらに切り開いて、ここに大きな城を築き、四方村にかけて城下町を広げたい……というのは勝ってからの話じゃな。この戦に限って言えば、敵を誘う罠よ」

「何ですと?」

「だから、町方を巻き込んで、敵の密偵網を利用させてもらったのよ……つまりな……」


 ここから余と和泉が代わる代わるに策の前提となる敵の予想される動きと、実際に、それに対しての配置と動きを見せ、実際にここにいない弟と従弟の軍勢が何をしているか……そして、敵の抜け駆け軍を殲滅するまでの道筋を示してやる。


「……とまあ、最後に、出羽が指揮する騎馬隊に、森脇村を占拠してもらう。敵が殲滅状態なら、徒立ちの諸隊にも追い付いてもらって、兵糧を奪ってもらう。敵がまだ殲滅されていなければ、兵糧は焼き払う。残敵を殲滅できるかは、流れ次第だ」

「……さて、上手く行きますかなあ?」


 右馬正や兵部を初め内政方の武将は不安げな表情を浮かべる一方、勘解由や出羽以下の実戦経験豊富な奴らは目を輝かせている。


「分の悪い博打ではない。和泉と策を練って練って、最悪、中山道を全軍直進されても、余が居眠りしていなければ、四方村北で食い止めて、側面を突けるように差配する。もちろん、こうした方が良いという意見があれば、耳を貸すぞ……何じゃ、最初は出羽か」

「は、騎馬が全体で500ほどになります。御館様の旗本、和泉とその与力以外の計400は、すべて拙者の配下に入れてくだされ。足の速い隊は、遊軍として統一した大将の下に置くべきです」

「分かった。他には? 左衛門尉か」

「町方は全員が槍兵で、与力も入れて、それがしにすべてお任せください」

「おお……ならば、一番の激戦のここを任せていいか? 後詰めも付けるが、途中から敵が死にものぐるいになってくると思う」


 図面の1点を指さして問う。左衛門尉は自信ありげにほほ笑む。


「覚悟してお引き受けします」

「他には?」


……何人かの発言で当初作っていた陣立てを修正し、和泉が書き改め、新たな配置が決まった。その配置に従い、改めて諸隊の動きを確認する。全員、自信に満ちた表情でうなずく。


「よし、各自これより、今日の夕餉と明日の朝の兵糧の支度を怠りなく用意するように。日が出たら配置に付け。敵も夜明けと同時に動き出すゆえに、出遅れてはならん」

「はっ!」

「それでは、各々抜かりなく」

「ははっ!」

「散会じゃ」


 基本の方向はほぼ描いた通りになったので、後は心安らかに朝を迎えられれば良い。ああ……まだ重要な客人一行が訪れて来るのだが……。


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