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49 田上城町奉行・猪口少外記明慶の真意

8月19日


「ご家老、町奉行様がお目通りを願っております」

「おお、入れ」

「お邪魔いたします、淡路守様」


 以前の津山家の内政は、ほとんど無手勝手で、一門の弾正少弼様が全権を握られ、手に余るところを御家老や都度任命される副奉行が実務を仕切るという形で行っていた。

 ところが、軍事で圧倒的な実績を誇る備後守様の台頭で、次第に備後様が内政への関与を強め、次席の柴田家、三席の本多家が備後様の左右を固め、役割分担をはっきりして奉行を置くようになった。そして、一門は津山家直轄領の代官的性格を強めることになり、対北条での軍役が頻発すると、軍事の補佐機能面が強くなった。

 そんななかで町奉行を務めている私、猪口少外記明慶いのぐちしょうげきあきよしの権限は広い。

 まず訴訟沙汰。最終的には神頼みの湯起請や鉄起請に頼ることにはなるが、それでも大半の町中の揉め事は、町奉行の判断で裁定され、町方の手の者による威力で執行に移される。

 次に町の商業振興。町の産業をどう育てるかというのも、奉行と町の大店、あるいは商人の組合である座との関係次第だ。有望な商売に金を出し、それが上手く行けば、座を経由して冥加金を収めさせる。

 領主の威信は町奉行所の力によるところが大きいし、城下町の繁栄も町奉行の掌中にある。


「『一門派』は皆領地に逃げ帰ったと思ったぞ」

「手厳しいですなあ、御家老様は。町方は役目が多すぎます。出兵の準備は領地に残してある者で進めておりますれば、城で役目をこなす間は『家老派』で参りますぞ」

「あははは……まあ、町方と郡方は、わしと飛騨守と二人に統制されてるようなものだし、多忙なのも同情する」

「お言葉、いたみ入ります」


 備後様が存命中は、ただの勇猛な武辺者に過ぎないと思っていたが、この御仁は理詰めでものを考える人で、政に向いていると思うようになった。

 今日は訴訟沙汰の月次の報告を挙げる日だった。


「訴訟の件数は特に大きな変化はないようじゃな。内容で変わったことはあるか?」

「特記すべきことは、特にございません」

「うん、民治関係の訴訟は増える一方になりそうだからな。今のうちに判例を積み上げて整理し、それを引いて適用できるようにしておいた方が良いな」

「仰るとおりで、その方が判断に迷いがなくなりますし、拙者以外の町方の与力に、裁定を委ねやすくなります」


 こういうところが並の武辺では出てこない発想だ。出兵の日を繰り上げるか否かくらいで、対立しているのが馬鹿らしい。


「記録の整理などにも工夫してな。あと、相談しておかねばならんのは、堀部の密偵関係か」

「そちらは今、信濃屋の出入りの者から、繋ぎ役を突き止めましたので、近々に何とかできるかと」

「何もしなくて良いぞ」

「は? いや、それは一網打尽にして禍根を断ってしかるべきでは?」

「誰から誰に城中の出来事が漏れているか、わかればよい。重要なのは、そこだ。漏らしている者から漏れないようにすればいいのだ」

「ははあ……」

「そうしておけば、逆に当方の流したいことを流し込める」

「なるほど、偽計に利用できるというわけですか」

「遅きに失したかもしれんがな。町方にはこの件でも苦労をかけたな」

「いえいえ、役目なれば、もったいないお言葉で」

「ほかに何かあるか?」

「いえ、本日はこれまでで。密偵に関しては、誰と接触しているかまで明らかにして参ります」

「うむ、よろしく頼むぞ」

「それでは……」


 淡路様の執務の間を出て、冷や汗がどっと出る。いろいろと安堵したからだ。

 町方の執務の間に戻り、いくつか案件を決裁し、仕事を終える。

 屋敷に戻れば、客が待っている。

 家の者が酒と肴が既に出していたが、手を付けずに待っていた。


「待たせたな」


 旅の浪人風の装束で医師という触れ込みだが、実際は陰陽師を生業にしている。佐藤義安という名だ。


「いいえ。それで、周防守様の御屋敷はすでにお改めになりましたか?」

「待て。相手は領主の一門なのだ。簡単に話は進まない。ただな……」

「ただ?」

「先日、周防守様の屋敷で、九尾の狐が取り憑いたという娘は見た。若い娘が二人だ」

「二人ですか?」

「うむ。どちらが本当の九尾の狐かはわからん。だが、二人とも、周防守様の側室として紹介されたぞ」

「それは新しい情報ですね」

「周防守様ご自身は、出兵の準備のために領地に戻られた。屋敷を改めるのなら、今が機会かもしれないが……」

「ためらう理由があるのですか?」

「周防守ら一門衆とわしも含めた奉行二人の家中・与力は、二十九日に抜け駆けして、氷室郡内に攻めこむ。総勢で二千だ」

「なぜその話を私にお聞かせくださいますか?」

「お主が堀部の密偵の繋ぎ役だからだ」

「そうではなく……。あなたが町奉行の重職にあるのに、どうして津山家を裏切るのか……教えていただけませんか? そうでないと俄かには信じられません」

「お主には関わりのないことだよ。だが……。少しだけ明かすと、我が父の死に関して償って欲しい奴がいてな。津山の一門には。復讐だ」

「なるほど、それならわかりやすい。納得もいきます。信じましょう」

「しかし、お主も大胆なやつよな。敵地の奉行の屋敷に臆面もなくやってくるとは」

「そうでもないでしょう。表向き津山家と堀部家の戦は始まってませんし、中山道の人の往来は何事もありません」


 わしは酒を盃に注ぎ、口をつける。目の前のこの男は、密偵の繋ぎ役というだけでなく目的を別に持っている。


「一つ聞きたいのだが……お主はなぜ九尾の狐に執心しておるのだ?」


 男の盃に酒を注ぎながら尋ねてみる。


「それこそ、そちらに関わりのないことでございますよ……と言いたいところですが、放っておくとどうなるか、見えてしまうものですから……」

「それほどのことなのか?」

「貴方様には実感がわかんでしょうが……国が滅ぶかもしれませんので」


 やっと男は、酒を煽った。


「済みませぬ。ここでお暇させてもらいますよ。まだ回らねばならぬところがございますので」

「ああ、お互いいろいろとあるだろうからな。おい、お帰りだ、案内せい」

「それでは」


 さて……私は、やはり津山家を滅ぼしたいのだろうか?……私の初陣となった十五年前のあの日。川越方面での北条と扇谷の小競り合いに、津山家も兵を出していた。上杉勢の本隊が崩れ、後退する際に当家・猪口勢を含む百の兵が、最前線で捨て石にされた。私は何とか生き延び、百姓どもの落ち武者狩りも切り抜け、自分の出血と敵味方の返り血で、文字度入りに全身を朱に染めて帰還したが……。

 この時の津山家の総指揮は弾正少弼……先行していた我が隊に退けの命が出されぬままだったのは、近くにいた同輩の左京太夫から聞かされて知っている。父は勇戦したが、馬が泥に足を取られ落馬し、立ち上がってなお戦おうとしたところで、雑兵の槍をまとめて何本も受けて惨殺された。眼前で……手の施しようがなかった。それから何人もの人間を倒し、竹槍を持った落ち武者狩りの百姓を何人も斬ったことは覚えている。自分には人を殺す行為の才能があったのだろうし、一日で大勢の命を奪うことに慣らされてしまった。だから、生き延びて「しまった」のだ。

 未だに、夜にうなされる。その後の戦の経験ではなく、初陣の惨劇の夢でだ。だから、死ねばいいのにと思い続けている。だが、死ぬのが恐くて、自死することができない。

 多分、今回の出兵で津山家のへの復讐を果たすことにより、自分自身もこれまでにない危険に晒されるだろう……それで死ねる、というか、誰かが殺してくれるのなら、それでよいのだが……。

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