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04 武蔵国 国衆・堀部掃部介忠久の情報網

7月4日


「田上城下の密偵が、直に告げに参りました。津山家の様子がおかしいとの由です」


 余にそう報告してきたのは、いくさ奉行の佐々木和泉守憲秋ささきいずみのかみのりあきであった。

 余は一介の国衆であるから金が潤沢にあるわけでもなく、方々に間諜を置くわけにはいかない。しかし、隣接する諸郡や公方、管領の動向に目を配らないわけにはいかない。だから、不十分だが、10人ほどの商人あるいは商人を装った配下の者に間諜としての役割を与え、各地に送り込んで動向を報告させている。

 事は戦に直結するだけに、戦奉行の取り扱いとし、主席家老にも話を通す場も設けることもある。今回も戦奉行から、家老の同席を求めてきた。

 内密の引見をする場合、この城では石板で4面を囲まれた隠し部屋「石の間」で行う。外へ話が漏れにくい。天井は普通だが、ここでの会談中は余の小姓や小姓上がりの旗本が見張りで天井裏に入る。微妙な話は、それくらいに気を使わねばならない。

 石板の表には木の板を貼ってあるので、内の雰囲気は落ち着いている。中央には囲炉裏があり、常に鉄瓶で湯を沸かしている。縁日での一文一服に倣って安価な茶葉と茶碗を傍に置き、手前勝手に飲んで良いという配慮だ。

 石の間には余と和泉のほかに、家老の内藤勘解由良純ないとうかげゆよしずみ、密偵の伍助ごすけがいた。奥に余が座り、伍助が正面に、勘解由は左手に、和泉は右手に座していた。


「そもそも、田上城下がおかしいのは今に始まったことではない」


 この5年……津山兵部大輔が跡を継いで以来、躍起になって産業の振興に努めてきた。


「へえ。しかし、今回は違うのです。私は味噌や乾物かんぶつを商っていますが、春先からお城への納入が増えました。そこへ、お得意のご一門衆から、秋の収穫が終わり次第、出陣の触れがあると言われました」


 伍助がいつになく真剣に思いつめた顔で、余の目を見る。


「ご家老の備後守様も ()()になられるとか……」

「まことか?」


 伍助が「交代」を強調したことに、勘解由が腕を組み唸るように問う。もちろん、伍助の言葉を疑ってるわけではない。しかし、備後守は息子の弥右衛門と並んで、北武蔵では音に聞こえた勇将だ。それを「交代」させるとは尋常ではない。惣領の弥右衛門も豪の者だが、実績では及ばない。内政に理解も深く、津山家の総後見人と言っていいだろう。


「病でも出ましたかな?」


 和泉が自分の茶碗に茶を淹れながら合いの手を入れる。


「それなら、すぐに隠居で惣領に相続だろう。もう何年も、備後が若い連中を抑え込んでいたはずだ。主君の兵部も含めてな。煙たいんで取り除きにかかっているとみたいね」


 我が堀部家は、余が当主に収まった6年前、大人たちに隠居を勧め、家老・奉行の刷新を図った。勘解由も、和泉も、余と同じく30代だし、一門も弟と従弟のみで、当然、余よりも若い。

 好対照に津山家は備後と一門と若手の家老が衝突気味とも聞いていた。そのうえ、うるさ型の年寄りが一門には多い。さぞかし家中は面倒なことになっているだろう。


「手強い老将がいなくなる……当家に吉と出るか、凶と出るか」


 そう言って勘解由は茶碗に白湯さゆを差し、ゴクリと飲む。


「凶だ。北条のおかげで、公方殿も、管領殿も、何より扇谷上杉にも、昔日の力がないのは明らかじゃ。誰にも関八州の諸将を一致団結させる力はないだろう。越後は守護代の越後長尾や揚北衆がやりたい放題。信濃は割拠のし放題……」

「つまりは、津山が当家と戦列を並べることはなくなる。自立に向け、煙たい老将を粛清するということですかなぁ」


 余が意見を述べれば、今度は勘解由が状況を深く洞察する。いい形だ。


「慎重論の老将を、武勇に優れた息子に置き換えて、攻めて来るのは我らが所領ですかな」


 勘解由の推測どおりだろう。江戸の太田が離反して北条に付いてから、一気に力を失ったとはいえ、扇谷に仕掛けるわけがない。まして、一段と巨大な権威の関東管領や古河公方に独力で戦を挑むのは無謀過ぎる。津山家が争うには、石高が桁一つ、二つ足りない。

 余は二つの茶碗に茶を淹れ、一つを伍助に差し出してやる。恐縮し、捧げるようにして茶碗を受け取る伍助の仕草が面白い。


「恐縮するな、伍助。褒美の前渡しだ」

「まだ月日に余裕があります。おかけで、まだ打つ手はいくらでもありますしね」

「うむ、本当に功一等だぞ。真面目に報奨だ」


 振り向いて手文庫を引き寄せ、中から一分銀が10個入った巾着を伍助に渡してやる。それこそ平伏して、伍助は受け取る。


「奴らの出兵までに、まだ報せてもらわねばならんし、人手が必要なら、こちらでも手を打つからな。教えてくれ」

「へへ……もったいない限りで」


 武蔵の北にもついに戦国がやってくる。そう思うと不敵にも笑顔になってしまう。自分もこのどうしようもない生業にすっかり染まってしまったようだ。

月4日


「田上城下の密偵が、直に告げに参りました。津山家の様子がおかしいとの由です」


 余にそう報告してきたのは、いくさ奉行の佐々木和泉守憲秋ささきいずみのかみのりあきであった。

 余は一介の国衆であるから金が潤沢にあるわけでもなく、方々に間諜を置くわけにはいかない。しかし、隣接する諸郡や公方、管領の動向に目を配らないわけにはいかない。だから、不十分だが、10人ほどの商人あるいは商人を装った配下の者に間諜としての役割を与え、各地に送り込んで動向を報告させている。

 事は戦に直結するだけに、戦奉行の取り扱いとし、主席家老にも話を通す場も設けることもある。今回も戦奉行から、家老の同席を求めてきた。

 内密の引見をする場合、この城では石板で4面を囲まれた隠し部屋「石の間」で行う。外へ話が漏れにくい。天井は普通だが、ここでの会談中は余の小姓や小姓上がりの旗本が見張りで天井裏に入る。微妙な話は、それくらいに気を使わねばならない。

 石板の表には木の板を貼ってあるので、内の雰囲気は落ち着いている。中央には囲炉裏があり、常に鉄瓶で湯を沸かしている。縁日での一文一服に倣って安価な茶葉と茶碗を傍に置き、手前勝手に飲んで良いという配慮だ。

 石の間には余と和泉のほかに、家老の内藤勘解由良純ないとうかげゆよしずみ、密偵の伍助ごすけがいた。奥に余が座り、伍助が正面に、勘解由は左手に、和泉は右手に座していた。


「そもそも、田上城下がおかしいのは今に始まったことではない」


 この5年……津山兵部大輔が跡を継いで以来、躍起になって産業の振興に努めてきた。


「へえ。しかし、今回は違うのです。私は醤油や味噌を商っていますが、春先からお城への納入が増えました。そこへ、お得意のご一門衆から、秋の収穫が終わり次第、出陣の触れがかあると言われました」


 伍助がいつになく真剣に思いつめた顔で、余の目を見る。


「ご家老の備後守様も ()()になられるとか……」

「まことか?」


 伍助が「交代」を強調したことに、勘解由が腕を組み唸るように問う。もちろん、伍助の言葉を疑ってるわけではない。しかし、備後守は息子の弥右衛門と並んで、北武蔵では音に聞こえた勇将だ。それを「交代」させるとは尋常ではない。惣領の弥右衛門も豪の者だが、実績では及ばない。内政に理解も深く、津山家の総後見人と言っていいだろう。


「病でも出ましたかな?」


 和泉が自分の茶碗に茶を淹れながら合いの手を入れる。


「それなら、すぐに隠居で惣領に相続だろう。もう何年も、備後が若い連中を抑え込んでいたはずだ。主君の兵部さえも。煙たいんで取り除きにかかっているとみたいね」


 我が堀部家は、余が当主に収まった6年前、大人たちに隠居を勧め、家老・奉行の刷新を図った。勘解由も、和泉も、余と同じく30代だし、一門も弟と従弟のみで、当然、余よりも若い。

 好対照に津山家は備後と一門と若手の家老が衝突気味とも聞いていた。そのうえ、うるさ型の年寄りが一門には多い。さぞかし家中は面倒なことになっているだろう。


「手強い老将がいなくなる……当家に吉と出るか、凶と出るか」


 そう言って勘解由は茶碗に白湯を差し、ゴクリと飲む。


「凶だ。北条のおかげで、公方殿も、管領殿も、何より扇谷上杉にも、昔日の力がないのは明らかじゃ。越後は守護代の越後長尾や揚北衆がやりたい放題。誰にも関八州の諸将を一致団結させる力はないだろう」

「つまりは、津山が当家と戦列を並べることはなくなると。自立に向け、煙たい老将を粛清するということですかなぁ」


 余が意見を述べれば、今度は勘解由が状況を深く洞察する。いい形だ。


「慎重論の老将を、武勇に優れた息子に置き換えて、攻めて来るのは我らが所領ですかな」


 勘解由の推測どおりだろう。江戸の太田が離反して北条に付いて以来、力を失ったとはいえ、扇谷に仕掛けるわけがない。まして、一段と権威の巨大な関東管領や古河公方に独力で戦を挑むのは無謀過ぎる。津山家が争うには、石高が桁一つ足りない。

 余は二つの茶碗に茶を淹れ、一つを伍助に差し出してやる。恐縮し、捧げるようにして茶碗を受け取る伍助の仕草が面白い。


「恐縮するな、伍助。褒美の前渡しだ」

「まだ月日に余裕があるから、まだ打つ手はいくらでもありますしね」

「うむ、本当に功一等だぞ。真面目に報奨だ」


 振り向いて手文庫を引き寄せ、中から一分銀が10個入った巾着を伍助に渡してやる。それこそ平伏して、伍助は受け取る。


「奴らの出兵までに、まだ報せてもらわねばならんし、人手が必要なら、こちらでも手を打つからな。教えてくれ」

「へへ……もったいない限りで」


 武蔵の北にもついに戦国がやってくる。そう思うと不敵にも笑顔になってしまう。自分もこのどうしようもない生業にすっかり染まってしまったようだ。

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