48 氷室郡町奉行配下・川村源五郎為義の策動
8月18日
「よう、吉田屋さん。商売の具合は、どうだい?」
「ああ、川村様。いつも気にかけてくださってありがとう存じます。かなり順調に商売になっております。町方の払い下げや支援金で、随分と助かっております」
女衒の建吉が経営している長屋の一間を借りて、薬局を営む男はにこやかに、俺の問いに答える。この男が密偵だなんて、未だに信じられない。町人の格好はしているが、侍の出で、それも戦場ではまあまあできる方の人物だろう。だが、腹芸の利かせないといけない役目には、全く向いていない。例えば、敵の城下町での密偵だ(笑)。
「いやあ、最初はただの長屋だったが、今はすっかり、薬屋だな」
奥の棚は細かく仕切られて、様々な薬の原料が置かれ、正面の土間に面した一畳は、煎じたりした薬の陳列棚になっている。庶民向けの常備薬を中心に、後は女郎屋の女の要求に合わせた薬が並べてある。
「寝起きに不便はないのかい?」
「あ、ここでは仕事をするだけですから」
そう言えば、この男は元々建吉の長屋の女郎に首ったけだった。建吉の仙術でたぶらかされて籠絡されて、この長屋の一間を借りてこの男は薬局を開業しているが、贔屓にしてた女郎とますますよろしくやってるってことか。
まあ、この男の商売が上手く行ってることは喜ばねばいけない。町方では、新しい商売を始める者にいろいろな便宜を図っていて、その仕組みを使って、この男の商売を助けている。だが、実際のところ、この男に対してほど、普通の町人を簡単に手助けはしない。つまり、この男を我々は贔屓しているのだ。なぜ、そんなことをするのか?
堀部家中の誤った内情を伝えさせるためである。
しかも、この男だけではない。俺たち町方は、この男に接触に来ている者を特定した。さらに、その人物が頻繁に会っている町じゅうのやつらのなかから、最近、市中に流れてきた者を調べて行くと……結構な金を懐に商売を始めたやつがいるわけだ。さらに、割りと古顔にも同様のものはいる。城と懇意にしている、口入れ屋の伊勢屋なんかもだ。
そやつらを叩き潰しては、敵対する感情を煽り立てるだけだ。実態が掴めているなら、上手く利用した方がいい。
今回は、そやつらに接触のある城の者から、28日には郡境は空になるという作り話を流している。あながち作り話でもない。今のところ、本当に郡境に兵を配することはない。御館様と和泉守様で知恵を絞った策で、やつらを迎え撃つ。後は、こちらの策略にさらに乗せるるように仕向けていくのだ。
吉田屋の場合、すっかり我々の都合のいい話だけを伝えるからくり人形と化している。しかも、建吉が仕掛けた仙術の暗示により、俺と出会うと城の様子を聞かずにはおれなくなっている。密偵の役割を果たしているつもりで、津山家に破局をもたらす先導役になっている……こちらの思惑に、向こうの一門が乗ればだが。
「29日の閲兵行列は、町方の皆さんも参加するんですか?」
「もちろんだ。町方も侍だからな。28日、29日には城下に勢揃いする」
「それで郡境の砦に入るんですね」
「その通り、30日には砦に入り、1日には、何も知らずにやって来る津山家の連中を砦から出撃して、叩き潰すのさ」
砦に入ってそこから出撃するという話は、今回、初めて流す話だ。御館様や戦奉行には、とても重要な話だから、きちんと伝えろといわれている。
「さぞかしすごい砦なんでしょうね」
「堀部家の兵の半分くらいは収容できる。兵糧もたっぷりだ。火計は怖いが難攻不落。まあ、もっとも兵が入るのは9月1日以降で、空城もいいところだが。これが敵の手に落ちたら、堀部家は降参するしかないだろう」
「ああ、むしろ砦を津山家が使えるようになったら大変ですね」
「だが、森の中の隠し砦だ。津山家にはまだ知られておらん。中山道を南下してくる津山軍の側面を襲えるわけだ」
先の定例の軍議で津山家の侵攻は9月1日で落着したことはわかっている。だが、津山一門に不穏な動きがある……ということを、津山城内に潜ませている間諜は伝えてきている。
ここで不穏な動きとやらを煽れば……向こうの戦奉行が一門と接近していて、その不穏な動きを煽動しているのは伝わってきてる。この町の密偵が戦奉行につながっているなら、一連の内情を操作して与えることができれば……
「9月1日には砦に兵たちが入る。腕がなる。戦に出るのは、やっぱり武士の本懐よ」
「いやあ、羨ましいですな。お仕事にやり甲斐があって。あやかりたいですよ」
確かにこの御仁なら、槍持ちとして戦場で骨惜しみなく働く方が合っているのだろう。策謀の現場には合っていない。適材適所という言葉の意味を考えさせられる。帰りがけ、建吉の診療所にも顔を出し、吉田屋が繋ぎ役にどんな話をするか、一応見張っておくように頼んで、俺は長屋を離れた。
この調子で、津山家が踊らされてくれればよいのだが……。