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42 氷室城下・越後屋清兵衛の闘い

8月12日


 私は1度は死んだ身だ。貧困のなかで娘を十分に養うこともできず、呉服屋の商売も成り立たず、開けることのできない店のなかで、病で死ぬはずだった。

 残り少ない金を持たせて 娘を食べ物を買いに出したら、そのみすぼらしい姿に心配し、声を掛け、娘に連れて来られる格好になった人がいた。その佐藤先生がいなければ、5年前にすべては終わっていた。

 酒でやられていた臓腑を、それなりの時間を掛けて佐藤先生は治してくれた。店の裏の離れを貸したら、それに対して家賃を払ってくれ、娘のおせんの生活が立つようにしてくれた。

 だから、おせんを先生に任せる気になったし、健康が回復して家業も立て直せたとき、また、世のため人のためになりたいと思った。

 大津屋のような非道の輩を討ち、ささやかでも世直しをする。体を壊す前にもやっていたことだ。


「おう、失礼するよ。長五郎さんはいるかい?」


 最近は口入れ屋の伊勢屋に顔を出すのが日課になっている。私はこの城下の「座」……すなわち、町の商売仲間の寄り合いの顔役である。座に顔を出して欲しい、座を動かすための分担金を出して欲しい、あまりに無体で横暴なことはやめて欲しい、と言った話をしにいくのは当然だ。


「おりません」


 番頭がそっけなく答える。私はその番頭の目の前の板場に腰掛け、半身を奴に向ける。

 捨て鉢になってる私には、ならず者らしい睨みを効かせた脅しも通じない。力づくで追い返そうとしたちんぴらを、逆に伸してしまいもした。おかげで打つ手なしになった番頭は、苦虫を噛み潰したという表情で、長五郎の不在を伝えるようになった。


「いい加減にして欲しいんだよ。いくらお城の仕事まで引き受けてるって言ってもね、座のことはキチンとして欲しいんだ。座に入らなければ、この町に店を出すことはできない。分担金も払わなきゃあ、寄り合いにも顔を出さないじゃあ、こちらの面子も丸つぶれなんだよ」

「何回も聞かされるんで、飽き飽きです。あなたこそ、ならず者みたいな脅しをかけてる」


 この店の表向きの仕事は口入れ屋だ。

 町にはいろいろな雑役がある。お城の営繕、町の大店やお城から村々あるいは郡外への荷の輸送、家を建てるなどの大工仕事の手助けなどなど……職人仕事ではない、比較的単純な労務である。ところが、それは一定の仕事量が保障されていないから、定雇いするわけにはいかない。しかも、そういう労務をしたい者のなかには、家計や商売や百姓仕事ののやりくり算段が苦しいから一時のしのぎで人足をやりたいという者も多い。だから、労務者が欲しいという雇い主側と労務の現場を見つけたいという人足側の仲立ちをする商売が成り立つ。

 だが、体自慢で荒っぽい性格の者が集まりやすい。喧嘩だ何だの揉め事を、集まった連中が起こす。博打だ、酒だ、女郎だと、働く連中に群がるやつらも集まってしまう。結果として、口入れ屋自体をならず者が乗っ取ることも多い。実際に長五郎は、ならず者紛いの人足どもに担がれて、腕力で伊勢屋を乗っ取った。10年ほどの昔のことだ。特に、悪辣な女郎屋と組んで、借金漬けの女をただ働き同然にし、ぼろぼろになるまで使い潰すやり口が悪評を呼んでいる。


「あんたらみたいな本物のならず者相手だから、しょうがないさ。それに、怖がる風情さえないじゃないか」

「もうやめてくれませんか。忙しいんです」

「女衒の真似事が?」

「作事奉行様のご依頼ですよ。どこかの森で、建物を作っていて、刈り入れで人が足りねえってのに、人足を集めろって他の郡まで依頼をかけて大変なんです。長五郎だって、それで古河や岩槻辺りまで足を伸ばしてるんで」

「その話は面白いな。今までの因縁は棚上げにして、話をちょいと聞かせてくれないか」

「この辺全体に人が足りねえんで。お城からの仕事は田上城下の者を入れるなって話なんですが、背に腹は変えられないんで、田上城下の口入れ屋に仲介を願ったんですよ。だが、田上城下でも人が足りねえ。村一つ全滅だのって話まで聞こえてきやがる。こっちでも、大沢村や半田村で地場の仕事がドンっと増えるってんで、この先、人手が増える見込みがねえ」

「大沢村の件は、うちが噛んでる。大鍛冶造りに金を出したし、娘と婿が力をかなり貸してる」

「ちっ。9月1日よりあとも、大沢村からの人足の希望が出てこねえのは、そういうことか」

「多分それだけじゃない。隣村や城下で鍛治でやってけない鍛治職も雇い入れてるはずだ。一人でやってた小鍛冶が、30人からの大所帯になって、鉄を量産してるせいで大儲けだぞ」

「儲からねえ連中に、ほどほどの金を渡すから、この商売が成り立つんだがな……」

「よお、いい儲け口があるぞ」


 私は一段と声を低める。番頭も乗ってくる。


「何だ?」

「大沢村で、仕事の差配を手伝わないか?」

「何だって?」

「やることは変わらない。材料の砂鉄探し、砂鉄の混ざる土砂の運搬、鍛冶場の力仕事、できた鉄製品の運搬……仕事のあるなしを整理して、誰それにあれこれやらせようって手配する。ここでやってっることと変わらねえ」

「騙しじゃないんでしょうね?」


 お互いに声がどんどん低くなる。


「店を閉めたら、うちに来なよ。幸いに向こうの村の近況をよく知ってる者もいるし」

「年に二両稼げるんですぜ、ここなら」

「詳しい条件は、家で話すが、年三両……世帯を持っても釣りが来る」

「……わかりやした。夜にお邪魔します」

「待ってる」


 私は立ち上がると、わざと声を荒げる。


「真面目に商売やってんなら、滞納分を払ってほしいもんだね! いい加減にしねえと、本当にこの街で商売できねえようにしてやるからな!」

「冗談じゃねえぞ! 番頭の俺が知ったことか、糞みてえな座のことなんか! おととい来やがれ!」


 珍しく番頭も声を荒げたというふりで芝居を打つ。どちらも喧嘩っ早さが周りに印象付けられたはずだ。


「また来るからな。その時には、耳を揃えて金を用意しておくんだぞ」

「うっせえ。2度と来るな、疫病神! おい、塩もってこい。こいつが敷居をまたいだら、玄関に撒いとけ!」

 

 よしよし完璧だ。こうなったら長五郎の商売を根本から掘り崩してやる。伊勢屋の暖簾をくぐり、顔見知りがいないとわかると、どぎつい笑いが顔に浮かんだ。

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