37 津山家三席家老・ 安田淡路守時貞の武勇
8月7日
槍は常に従者に持たせている。腰の刀は太刀と言えども平時の護身用。わしにとっての戦場の武器は槍である。常在戦場。侍の商売は戦である。だから、城と屋敷の行き来にも槍を持つ。従者と組んで戦う存念だから、徒で往く。
家老の序列としては首席から三席に下ったとはいえ、我が安田家は1000石取り。さらに親父を謀殺したことで100石が加増された。戦場に家中の全力を投入するなら、兵500・うち馬50頭・弓50張り以上の供出を期待される。実際には、兵600・馬60頭・弓60張りの供出を予定して、安田家内の準備を進めている。父を殺してまで望んだ戦だ。無様な真似はできない。父を殺めた後の数日は落ち込みもしたが、初七日ですべて吹っ切った。
しかし、主戦派だからといって、猪突猛進すれば良いというものではない。だが、そうした理がわかっていない連中がいるようだ。屋敷まで間もなくの町外れで、男たちが行く手を遮った。背後からは、左右の茂みに隠れ潜んでいた者たちが現れ、退路を断った。
「全部で10人ほどか」
「はい、そうですな」
従者の吉本仁左衛門が、わしに槍を渡し、自分の槍を構える。
わしが腰だめに槍を構えると、敵はわしらをぐるりと囲んだので、互いの背中を合わせ、守り合う態勢をとる。
「どう見ても野盗だな」
「町奉行様はいったい何をしておるのやら」
仁左衛門は24歳の若輩で将才はないが、我が家中でも一、二を争う槍の名人である。背中を預けるに足る男だ。町奉行をくさしたのは、出兵日を早めろという周防守に町奉行が味方しているせいだ。
「わしの方から行くぞ」
わしらはどちらも一丈半(4.5m)くらいの槍を長さを最大限に使うよう、かなり柄の端の方を持って、腰だめに構えている。必然的に重さは手にのしかかるが、鍛えてある。屁でもない。
連中の武装はバラバラで、太刀を構える者、薙刀を振りかざす者、槍を持つ者いろいろだ……ただ、長物を持つ者は使いこなせていない。わしらと同じくらいの長さの薙刀、槍もあるのだが、柄の中程を持ち、長さを活かせていない。わしらの懐へ潜り込まないといけなくなる。
一斉に飛びかかれば良いというのは、素人の浅はかさだ。わしらは連中が防具で守っていない喉元や顔面に自然に槍先が伸びるぞという角度で槍を構えている。太刀の晴眼の構えに近い筋で喉や顔を狙っているわけだ。そのまま穂先を左右に巡らせ、牽制する。一斉に飛びかかれないように「している」のだ。
そして、正面の太刀を持つ者の虚を突く。左右の者の動きに合わせようと思ったのか、視線がわしから離れ、横に向いたのだ。わしは一歩踏み出し、自然に……しかし素早く両手を突き出す。つまらないくらいの基本動作だが、無駄なく槍の穂先がそやつの喉仏に吸い込まれる。
「げふ……かは……」
一瞬にして声を奪われ、呼吸もできなくなったがゆえの無様な呻き……わしはさらに槍をぐいと押し、すぐに柄を引き寄せる。喉から穂先が抜け、そやつの身体が後ろに吹き飛び、ずさーっという音を立てて地面を滑る。
そして、仁左衛門の背中に自分の背中を合わせる位置に戻る。
「こちらも……」
仁左衛門が動く気配がして、やつの背の熱が、わしの背中から遠ざかる。すぐに、ずさーっという音……次の瞬間、仁左衛門の背の熱を再びわしの背が感じる。わしと同じことをやっただけだ。
怪しい技など要らない。
構えと目線での制圧。基本動作を鍛練して徹底的に素早くした刺突。お互いを守り合うという意識。五倍の敵だろうが、相手が烏合の衆で、こちらが戦う技量と意識で優位にあるのなら、ただ真っ直ぐ刺突する動きを繰り返すだけで、何の問題もない。
戦いは、質である。それもきちんと基礎ができてこそだ。
穂先の向きを変え、圧倒的な質を誇るわしと仁左衛門がそれぞれ三度、同じ動きを繰り返しただけ……つまらない、単純で単調な、だが、基本的で理に適い、とても無駄のない……。
過半が倒れると、残りの四人は算を乱して逃げる様子を見せた。
「1人殺さずに動けなくしろ、わしも1人やる」
わしは逃げようと背中を向けたやつに向けて跳躍するように大きく踏み出し、右の肩口に穂先を撃ち込む。そいつは右肩を貫かれると同時に衝撃に突き飛ばされ、もんどり打って地面に転がった。
「ご家老、それはやり過ぎですよ。肺腑を傷つけていたら長持ちしませんぜ」
「お主だって、腿を貫いて槍が抜けなかったではないか。尻を蹴飛ばしながら引き抜いていた」
「脚を狙った方が、命を奪う危険がないですよ」
仁左衛門は昔の悪餓鬼のままの口を利く。
屋敷に近づいていた提灯の光が、地面に置かれて動かなくなったことに、屋敷の門番が気づいたらしい。
5人ほど屋敷から人が出てきた。
1人はわしの息子、備後守の孫である次三郎だ。
まだ19歳の青二才だ。武勇は、わしに遠く及ばない。ただ、源吾のような知恵者か、吉ニ郎のような政の巧者になれる才があると見ている。
「父上、大丈夫でございますか」
「全く無事だ。わしと仁左衛門に野盗の10人程度の手勢では話にならん。戸板を持って応援に来いと伝えろ。死体も一旦、屋敷に収容せよ」
「もう当家の主なのですから、大事を取ってくだされ」
小者のが2人、伝者として走り、わしと仁左衛門は息子が先導に立って屋敷へと向かった。
「売られた喧嘩だ。買わねば損だぞ」
「仁左衛門のようなことを言わんでくだされ」
それを聞いて、仁左衛門が大爆笑する。わしも釣られて大笑いだ。
「若、ご家老様を叱り飛ばせるのは、若しかござらん。ご家老様を使いこなせる大軍師になってくだされ」
「褒められておるのか、馬鹿にされておるのか………」
複雑な表情の息子に、少々説教めいた苦言を呈しておこう。
「そういう言葉はすべて冗談と受け止めて笑っておけ……そんなことよりも、生かした2人は手当しろ。ほっとしたところから、拷問を始めろ。誰に雇われたか、口を割らせろ」
「承まわってござる」
「ただ……そんなに痛めつけなくとも、すぐにしゃべる」
実際、一休みして、井戸のそばで汗を拭き終わらぬうちに、次三郎が伝えに来た。にやにや笑いながらだ。
「2人とも、傷をちょっと撫でてやったら、誰に雇われたか喋りましたよ」
「飛騨守か?」
「ご名答です。仁左衛門を止めるのが大変でした。槍の先に、飛騨守様の首をかけて来ると」
「止めてくれて良かった。わしらが野盗どもを倒すことも、生け捕られた連中がしゃべることもお見通しで、こんな見え透いた離間策を仕掛けているのだ。誰が背後にいるか、お前は読めてるな?」
「周防守様ですね」
「ああ、正解だ。あの人は、わしらが権力争いをしてると思いこんでる。お互い人目のあるところでは馴れ合わないだけなのだがな。領地での暮らしが長かったから、わしら3人の関係が飲み込めていない。特に飛騨守を低く見たがり、陥れて三家老制を崩して、一門の力を伸ばしたいんだろう」
「父上に政向きの話をされるのは、初めてですね」
「親父が……お前の祖父が存命なら、俺は仁左衛門の棒組みというだけで良かったのだ。ただの槍馬鹿でな。だが、家老家を継いだ以上は、それじゃあ済まされん。いろいろ頭を使わねばならんのだ」
わしよりひと足早く、家老になった内匠頭・源吾や飛騨守・吉二郎に、親父は絶対反対の論を常に立てていた。それも周防守の誤解を招く一因になっているだろう。
ただ、忌の際の「出兵に反対しろ」という要請を聞かされて以来、親父は反対派を演じて、若い我らの「壁」となってきたのかと思える節もある。
だが、親父を排除しなければ、定例の軍議の議題は8割方、親父の意志が通り、御館様の提案でさえ通らないのだから、大きく変わらねばならなかったのだ。
親父はもういない。わしはわしのやり方を貫くのみだ。「合理」……槍術の動きと同じく理に適うというやり方を……。