36 女衒、仙術師・建吉の新商売
8月6日
あまりと言えばあまりだが、女衒をやってる俺様が、何の因果か奉行の手先……まあ、面白けりゃいいんだけどさ。俺を殴りに殴って言うことを聞くように仕向けた、川村さんや片岡さんと今は、ちょうどいい棒組みだ。
というよりも、この2人に殴られる被害者を減らすために俺はいて、世のため人のためになっているのだ。今日は、ちょっとした陰謀を仕掛ける。2人が内偵した津山家の密偵が、上手い具合に、うちの長屋の女に引っ掛かっていた。お陰で、うちを拠点にそいつの動きを見張ることができた。今日は、そいつをちょっと引っ掛けようってことで、2人とつるんで飯屋の傍にいる。
「仕事も伝手もなく、居場所も考えていない。でも、金はある。だから、お前の女郎長屋を宿代わりに入り浸りだ」
「商売のできるやつを送ってくればいいのに、何の芸もないやつでは町中で孤立してしまうだろう」
「しかも、昼から飯処で、所在なさげにしてる。あれはあれで怪しい。無能もいいところだ」
川村さんも、片岡さんも容赦がない。
お侍風に強面なんだが、髪の結い方と着てるものは町人風。やくざ者と言うには、今ひとつ悪さが足りない。そいつは違和感が出すぎている。
「泳がせて嘘の情報を流したいわけですよね。うちの女どもから流すってのは、筋が悪いですしね」
「だから、いっそのこと、今回の芝居というか、お前の力も借りてやつと接点を持とうって話だ。つなぎがいると思うが、10日に1回くらいの接触だとして明日明後日くらいに来るだろう。それまでに、偽情報を渡したい」
「俺の仙術は、ザル芝居を悟られないように、判断力を下げるように使えばいいですね」
「ザル芝居とは何だ」
「大根芝居ですか?」
「何だと?」
やばい。片岡さんと普通に冗談を投げ合う仲になってるのは、取り込まれ過ぎじゃねえか?
そう思わないではないが、人の関係は変わるし、馴染むし、打ち解けてしまうものなのだろう。
「任せたからな、建吉」
川村さんに肩を叩かれ、どこまで気安い関係にするつもりなんだかと思いながら、飯屋に入ると小上がりの畳に卓の席があり、そこに密偵さんが座っていて、茶をすすっていた。すぐに知り合いを見つけたという体で近づき、話しかける。
「旦那、覚えておりやすか?」
「はて?」
まあ、女郎屋に入り浸りとはいえ、女衒の顔をしっかり覚えていたら、かえって気持ち悪い。間近に見れば、40歳くらいで、体はきっちり鍛えた風だから、やはり元はお侍だ。俺は小上がりの脇でしゃがんで話しかける。
「旦那のお泊まりの女郎長屋の主人ですよお、医者の看板出してたとこの」
「ああー」
「いやいや、偶然ですね。ご一緒していいですか?」
「どうぞ」
「いや、毎日来てくださるんで、ありがてえと同時に羨ましくて。ご商売は何をされてるんですか?」
「商売を起こさなきゃなんですが、どうしたものか、今ひとつわからなくて」
「そいつは大変ですね。どういう商売か、当てになる得意なものとかありますか」
ここから目を覗き込む。もともと夢見の術は、相手の精神の忘我状態につけ込んで、話術で暗示にかける技術だ。だが、一部の占術師は、目線で相手の目に働きかけて、忘我状態に陥れることができる。
「得意ってことがそもそも……」
「ないんですね?」
「…………ああ、はいはい、ないんです」
返事が来る一瞬前にちょっとした忘我状態を作って、俺の言葉の誘導ができるようになった。抵抗するつもりのない相手なら、それほど難しくはない。悪用しようと思えばいくらでも悪いことに使えるが、疲労も結構くるので、ここ一発の力だ。
これで半刻ばかりは、俺から暗示を入れやすくなる。入口の方に目配せして、川村さんと片岡さんを呼び込む。
「俺があの長屋の一間を貸しましょう……と言ったら、嬉しいですよね」
「ああ、はい。そこで商売できますものね」
密偵さんの声は抑揚のない棒読みのようだ。
そこで二人のお武家に俺が声をかける。
「川村様、片岡様、ちょうどいい。こちらに城下で商売を始めたいって人がいまして。相談に乗ってもらえませんか?」
「おお、建吉か。そいつはいい塩梅だな。俺たちも新しい商売を始めたいやつを探していたんだ」
この辺はお互いに言葉がわざとらしい……が、暗示で刷り込みたいことだから、変にはきはきした喋り方になる。俺たちの顔を知っている店主が、何か悪巧みしてやがるという面をしてるので、茶を三人分注文して追い払う。
「名前を教えてください。二つ以上あったら二つとも」
「今は吉田屋兼助。本名は吉田兼之輔定家です」
「本名のお仕事は?」
「田上城の戦奉行の配下です」
川村さんと片岡さんが顔を合わせてにやりとする。
「いまの質問のことは忘れてくださいね」
「はい」
「実は、俺の長屋の隣で、薬屋をやってくれる人を探していまして」
「そうなんですか? でも、私は薬を商ったことがありません」
「大丈夫。私んとこの隣です。何から何まで教えてあげられます」
「薬なら、町奉行配下から、材料を安く払い下げもできる。ぜひ引き受けて欲しい」
俺に続いて片岡さんの低音で太い声。術者の声でなくとも、暗示には効く。そして、実際のところ、商取引の訴訟で召し上げになった証拠品は町奉行方の蔵に山を為していて、薬の原材料も例に漏れないという。ご禁制品もあるらしいが、俺のほか何人かに払い下げるから見に来いとのお達しがあった。
「そうですか。どんな商売をしたらいいか迷っていたので、ちょうどいいかもしれませんね」
「吉田屋さん、改めまして女衒の建吉です。よろしくお願いします。医者も兼ねているので、いくらでも助けますからね。文字は違うと思うけど、名前に『けん』の音が入るもの同士、仲良くやりましょう」
「ああ、いいですね。そういうつながり」
「困っていたらお互いさまだ。建吉とは縁も深い。町奉行所も助けさせてもらうぜ。殖産興業は町奉行所のつとめだし、いつでも城に川村を尋ねてくれ」
「願ったり、かなったりで……」
悩みが一挙に解決して、吉田屋さんも嬉しそうだ。俺の術の支配下にあるとしても。
「ところで、最近、田上城下はどうだね。いろいろ騒がしいと聞いているが」
川村さんと片岡さんが問いを重ねていくと……
一、出兵準備は九月一日で進行中
ニ、一門に出兵を早める動きあり
三、田上城から一里の久保多村が全滅
四、それには妖怪が絡んでいる
五、村の復興は軌道に乗ったが、城下町では人足が不足
という話が出た。
「そうですか。今の田上城関係の話は聞きませんでした。話したことを忘れてくださいね」
「うむ、わしらも忘れるからな」
「はい」
「これは覚えておいて欲しいし、お主の知り合いに広めて欲しい。9月1日にはこの城下では、御館様の気まぐれで閲兵式を行う。今月28日から9月1日は軍勢を城下に集めるので、郡境は一切が空っぽになる」
これは大事なので、吉田屋さんに復唱させてみるとしっかりと記憶されていた。川村さんの声も、暗示には向いているようだ。
「作事奉行は郡境で砦を作っているが、虚仮威しだ」
「どのみち、砦に入る兵は一兵もいないしな」
「なるほど……」
「次に、吉田屋さんが、お仲間の人に会うのはいつです?」
「明日の午の刻に、ここです」
「そうですか」
「よしよし、では、我らは城に戻るとする。建吉、吉田屋の面倒をよろしくな」
「はい。川村さん、片岡さんも、よろしく……吉田屋さん。それじゃあ、長屋に戻って新商売の支度と参りましょうか。まず、看板に吉田屋薬局とでも書いて、店を開いてから、いろいろ整えることにしましょう」
「はい……」
2人のお侍を見送ってから、俺たち2人も飯屋を出た。実のところ、吉田屋さんを成功させる自信はあった。このまま逆密偵として利用しながら、自分の事業の拡大に使いたい。それで、俺の懐も暖かくなるはずだ。