32 大沢村小作百姓兼大鍛冶場職人見習い・半兵衛の充実
8月2日
仕事はきつい。
でも、やりがいはある。
大沢村でしがない小作の百姓で終わると思っていた。だが、おいら、半兵衛には、職工としての道が開きかかっている。
今は昼間は稲の刈り取りで忙しい。それは、おいらのお師匠である六助さんも同じで、田畑作って自給しないとやっていけないからだ。
そして、夕餉を食べてからの一刻をお師匠の火事場に行き、鍛冶のことを学ぶ。今は銑鉄を作るたたら炉の様子を見に来ている。
「普通なら銑押しは3日3晩かかる。炉の下に穴を開けて、木炭や土塊のクズをかき出し、木炭をくべて、また粘土で穴を塞ぐ。そうして普通は、たたらで空気を送り込む。だが、今は空気の送り込みを、この火事場の守り神になった式神様がやってくれる」
(「様」は要らん。そんなに上等な式神じゃない)
お師匠のくどい説明はいつものとおりだが、今のは誰?
「聞こえたのか?」
どうやらおいらは相当に間抜けな顔をしていたらしい。お師匠がびっくりした顔で尋ねてくる。
「お師匠以外に誰もいないですよね」
今は刈り入れで忙しいから、職工さんも、見習いのおいらたちも、入れ替わりで夜に来る。今日はおいらしか来ない。
(2人目だな、陰陽師以外で俺の声が聞こえるのは……)
「姿は見えないが、この炉の火を司っているのさ」
(十二天将、朱雀の下級の眷属で、火狐だ)
「炎と狐のお化け?」
「こら、失礼な」
(いいってことよ)
「火狐と対話できるくらいになると、大鍛冶の炉を使うときにいいかもな」
「そうなの?」
「ああ。今はこの新しい炉で鉄をドロドロにしてる。銑鉄を熱して、本当なら叩いて、形を作りながら精錬する。ここは火狐の力で、叩かずに、銑鉄を極限まで熱して精錬して、そのまま、鋳物にしてしまおうって、新しいやり方にする。今、その様子見で炉の下側に穴を開ける」
炉の下に穴を開けると、赤熱したものがどろっと流れ落ちてくる。
「試しにやってみるか」
お師匠の命で、今の穴に粘土を詰めて穴をふさぐ。
お師匠は俺が作った鏃をいくつも作るために粘土板を貼り合わせた鋳型を、炉のすぐ外壁にぴったりくっつけて置く。
そのすぐ上の壁に穴を開ける。今度は赤熱した鉄の流れがそこから流れ落ちてくる。鋳型の上面には、流れを受け止める穴を漏斗のように開けてあり、そこから型の中の窪みに鉄が流れ込んでいく。鋳型の上面の穴に赤い鉄があふれると、炉の穴に粘土の塊をぺったんと貼って塞ぐ。火狐も、ロの火加減を調節して鉄を流れにくくしているようだ。
「覚ますぞ」
鋳型がすっかり入る水桶に粘土板を沈める。じゅわーっと音がして湯気が出る。
型は粘土板から作る。全く同じ縦横厚みの粘土の二つの板に、寸分違わぬように、縦線・横線の墨を入れ、大きさを合わせ、根本の方で広がる葉っぱのような形「平根」を表裏一体となるように十個描いてくり抜き、鉄が流れる筋道でつなぐ。最後に上面に漏斗となる切込みを入れて、粘土板同士を貼り合わせる。
これで鉄を流し入れて、冷やせば、「平根」の鏃の原型ができる。
型は熱で焼け、さらに水に入れるため、切り開くと元の形を留めないので、一回切りの使用になる。
水を含んだ粘土は、ぐにゃっとしていて、それを小刀で切り開けば、鉄線でつながった鏃010個転がり出る。
「鉄線をもぐ必要があるし、ちょっとのはみ出しは出ちまうな」
「やっとこでもぎ取って、やすりで形を整えますね。普通は鉄板から鏨と玄能で切り出すんだから、もっと面倒ですよ」
「そうだな」
「大きい板で百個くらい、いっぺんにできると楽ですよね」
「鋳型を作るのが面倒だ」
「いや、そうでもないですよ。ちょっと待ってください」
おいらは、鏃を完成させる。そして、大きい粘土板に鏃を、埋め込んでは剥がしを繰り返して、鏃型の凹みを10行10列……合計100個分、作ってしまう。
そして、分厚い粘土の茶碗を作り、大きいやっとこで掴む。手には水で濡れた籠手をはめて熱が伝わらないようにして、熔けた鉄を茶碗に汲み取る。今度はそれを粘土板の矢印の凹みに流し込んでいく。粘土板に含まれた水っ気が蒸発して、しゅわしゅわ音を立てる。
十分に冷めきらないうちに水桶に粘土板を沈めると、鉄が縮むので、板から鏃が外れ、ごとごとと桶の底にぶつかる音がする。
「これなら、もう一度、使えそうだな」
水から引き上げた粘土板には、鏃の形が残っている。熔けた鉄を汲み上げる粘土の茶碗は作り直す必要があったが、次の100個もすぐにできあがった。
「これを応用して、槍の穂先も原型が作れるな」
「鍛えないでいいんですか?」
「ちょっと待て」
かなり小さな粘土に真っ平らで大きめの槍の穂先の型を、お師匠は即席で作る。そこに鉄を流し入れ、すぐに水桶に沈めて、冷めた「槍の穂先の形だけどただの厚い平らな鉄板」を取り出す。
「これを小鍛冶で叩いて鍛えながら、峰と刃の斜面をつけて形も整える。先が尖っていて、それなりに硬ければいいと思う。研げば何とか斬れるんじゃねえかな……まあ、お侍の意見も聞かなきゃだから、明日、これを仕上げてみよう。うまく行けば、包丁や農具もこれでいいってことになる」
「あとは坊具関係ですかね」
「それは、城下に具足の職人がいるから。材料の鉄板をいろいろ注文に応じて作るってことでいいだろう」
「いっそ刀も、槍の穂先みたいにできませんかね」
「これも刀工とお侍次第だな」
「刀は身を守る用だから、そんなに力を入れなくていいんじゃないんですか?」
「足軽はそうだ。数さえ揃えばいい。合戦で槍や弓矢が使えない時に刀が使えればいい。お偉いお侍でも、最近は槍選びに力が入る。馬上は短い槍が使いやすいしな。逆に戦場での槍や弓矢での働きが今一つな人は、刀に賭けてる。刀使いのすごい武芸者もいる。だから、すごい刀鍛冶もどんどん出てくる。良くて高いものから、安くてちょっと質が落ちるものまで、いろいろ作れればいいってことだな」
「へえ」
「蝋燭の長さからすると、丑の刻だな。一刻ばかりウトウトするぞ」
(銑を取り出すには、卯の刻がいい具合だ)
「じゃあ、お師匠は休んでよ」
(うむ、六助は後でな……おい、半兵衛は何歳だ?)
「19ですよ」
(今、ここに出入りしてるやつの中では、一番見込みがある)
「そうなんですか?」
(ああ、鏃の型の着想とか、なかなかだぞ)
式神にそうまで言われるのなら、本当なのだと信じたいし、さらに一生懸命にやってみようと思った。
https://kotobank.jp/word/平根-613916
平根及び鏃の形状は、上のurlのとこにあるイラストがわかりやすい