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31 国衆・津山兵部大輔義正の混乱

8月1日


 7月10日の定例の軍議で、氷室郡への出兵を決めたまでは良かったが、あとの珍事で頭が痛い。


 特に、7月半ばに久保多村が全滅していたというのは、領主としては心が痛む。だが、事態の確認と収拾に当たった郡奉行と作事奉行の処置が適切だった。農作物の回収ができればいい……というくらいで差し向けた人足たちが100人ばかり、こぞって帰農を希望し、それを受け入れ、定着のためにいろいろと手助けしている。さらに、色茶屋や女郎屋の年季開けの近い女たちに、身受けするから帰農をするかと誘ったら、20人ばかりが応じてくれた。庄屋邸を代官所に改装し、当面は次席家老の配下に置いて、帰農希望者を募り続けることにした。

 野盗の仕業ならまだしも、これが伝説の大妖である九尾の狐の仕業だというのだから、恐れ入る。現場の弔いや地鎮に当たった和尚と神主が血相を変えて間違いないと申しておる。だから、これは真面目に取り合わなければならんのだろう。それがどのような姿かはわからんが、人に憑依して、どこかに潜んで本格的な復活を目論んでいるというのだ。領主としては寺社の対応に期待するだけだ。

 わしとしてはもう、戦の準備に専念したい。執務の間で朝一番に目通りを願って来たのは、お誂え向きに、作事奉行の右兵衛だった。


「飛騨守様にも報告いたしましたが、久保多村の新規入村者は本日の朝の出立者で、男が158人、女が45人と、合わせて200人を超えました。女房持ちの男が20人ばかり、女房を呼び寄せたという話もあり、男女の差もすぐに埋まると存じます」

「うむ。そちと郡奉行のお陰で、村も早く立ち直りそうじゃ」

「できれば、しばらく募集を続けたいと思います」

「うむ。せっかく来たついでだ。出兵の件だが……」

「は、何でしょうか」

「郡奉行にはちらっと申したことがあるのだが、南の森脇村と多田野村に、兵糧蔵を作っておきたいのじゃ」

「郡奉行は、何と?」

「いや、久保多村の案件の報告中に言っただけで、特に指示をしたわけではない」

「左様ですか……では、やつの方では特に動いてませんな。間に合わんでしょう」

「何?」

「人が足りませぬ」

「どういうことだ」

「ただでさえ農繁期のところ、久保多村への帰農を進めました。かき集めた男手を150人以上、農作業に戻しました。大工のような職人は一定の数で集まっても、木材の運搬や完成後に米俵を運搬するような重い労役に従事する者が足りませぬ」


 さて。それは困った。一時的に領内を空っぽにするくらいで攻め寄せるのが、今回の出兵の肝である。籠城だろうが野戦だろうが、倍する兵力で一気に揉み潰す。だが、兵糧に一分の隙もあってはならない。


「内匠頭と勘定奉行を呼べ」


 勘定奉行の岡田右衛門佐義行おかだうえもんのすけよしゆきは、見た目から戦場の勇将という体格の持ち主だが、頭脳も怜悧で回転が早い。首席家老になった内匠頭が強く勘定奉行に推したのが、この男だった。それまでは一門の叔父上の津山弾正少弼為景つやまだんじょうのしょうひつためかげが勘定奉行だった。だが、軍事に専念すべき名将だと褒めそやし、おだて、奉行職を譲るように仕向けたのだ。


「9月の出兵だが、兵糧は大丈夫かと思うてな。今作事奉行に尋ねたところ、南側の村に兵糧蔵を建てるのは人足の不足で間に合わんだろうという見通しだったものでな」

「米を始めとして、食べるものの量は問題ござらん。運ぶ方も、9月には人足不足が解消するでしょうから、特段に前方の村に運び込む意味はござらんでしょう。各家それぞれ奉公人も出すなどで十分に対応できます」


 内匠頭の話し方に焦りの色はない。飄々として、安心感がある。


「資金的にも問題はござらん。城内の物資の購入は万全で、今すぐに籠城しろと言われても、1年は戦えます」


 右衛門佐の声色は太く低く、どっしりとした安定感がある。


「裏作の鍬入れや種蒔きが始まりませんか? 籠城ならいいが、他領に米も他の食量も運ばねばならんのですし」


 右兵衛は作事奉行として人の不足を目の当たりにしているから、心配の声をあげる。結局、その場では、人足を早めに口入れ屋に発注して、領外からの人足の流入を促すことを確認し、右兵衛の納得を得た。


 3人が下がろうとした矢先に、一門の周防守が参殿したと近習が取り次ぐ。奉行2人は引き取らせたが、内匠頭には居残ってもらう。この一門の若い従弟には、逆に早期出兵の愚を説かねばならない。


「御館様、なぜさっさと出兵いたしませぬか?」

「何度も説明しておる。兵と兵糧を揃えるためだ」

「すぐに攻めれば、敵も兵が揃いませぬし、兵糧は敵の領地から刈り取ればよいのです」

「周防守様、それをやってしまったら、氷室郡の民がなつきません」

「奪い取ればよい。他郡からもだ」

「一郡の争いなら両上杉家も黙認しようが、両家を一気に敵に回すぞ」

「その時は、北条と結べばよいではありませんか」

「敵中に孤立します。捨て石にされるだけでござります」

「……」

「良いか、9月1日の出兵は動かさん」


 納得しがたいという表情のままで周防守は矛を収めるかと思った。しかし、戸惑う言葉を放つ。


「城下に密偵がおり、出兵の件が堀部家に漏れている可能性がございます」

「何だと?」


 わしは狼狽えてしまい、内匠頭の方を向いたが、やつの顔は涼しいままである。


「大丈夫でございますよ。それを想定しているから、2倍の兵力で攻め込もうというのです」

「相手の目論見を外せば、もっと楽に勝てる」

「いえ、粛々と想定通りに動いていただければ、堀部家は勝算の立たない野戦を挑んで参ります。そのまま籠城では、むしろ兵糧が危ういですから。出てきてもらうのが一番です」

 

 なるほど智者の内匠頭らしい申しようだ。


「ただ、密偵を野放しにするのはよくありませんな。町奉行に詮議させますゆえお話をお聞かせください」


 周防守の話では、出入りの味噌・醤油問屋の信濃屋伍助が周防守の屋敷内に侵入し、正したところ、忍びのような動きで逃れたという。そのこともあって、本日の忠言に及んだというのだが……腑に落ちないところもある。なぜその話を一番にしない?

 内匠頭も同じ思いだろう。だが、やつは顔色を変えない。このくらいの泰然とした態度を、領主としては心がけねばならんのだろう、本当は。


「わかり申した、すぐに町奉行に信濃屋を改めさせましょう。明日・明後日に改めてご報告します。よろしいですかな」

「わかった。明日の同刻に、二人ともここに参れ」

「ははっ」

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