29 田上城下西福寺の尼僧・和華の才能
7月29日
9日前、女郎屋での年季が明けた。
家は裕福な米問屋だったけど、父が相場の読みを間違え、借金で首が回らなくなった。家も店も手放し、父は人足に身を落とし、母が病に倒れ、弟妹もいて、私が14で売られるほか生活を立てることができなくなった。最初は5年の年季だったが、父も体調を崩し、さらに女郎屋にわたしの給金を借り出したので、年季は10年に伸びた。5年を待たず、一家全員病死した。長屋で揃って冷たくなってるのを、隣人が見つけたそうで、葬儀をあげたら一文も金は残らなかった。
自分が身を売って助けるはずの人たちはいなくなったのに、女郎屋への借金は残った。だから、あと5年とちょっとは、体を男たちに任せ続けるしかなかった。時々、店に支払う以外の小遣いをくれる客もいた。旦那や女将には、そういう儲けを店に入れれば年季を短くできると言われた。でも、それなら自分のために使おうと思った。着るもの、化粧品、それにいろいろな書。歌舞音曲の習い事はお金がかかりすぎるのでやめた。
それでも、上手くお金を使えば、身なりがよく、賢いと思われ、いい客がつく。没落する前に、読み書き算盤を習わせてくれた両親には感謝した。自分で考えて、狙いが当たったんだから、それは頭を使うことを教えてくれた人たちのおかげだ。
3年前から、西福寺の住職が常客についた。月のうちの10日も通ってくれるほどで、小遣いもくれた。常念宗という宗派で、酒食妻帯を許しているという。
「あら、浄土真宗みたいですね」
「家は真宗かい?」
「いいえ、真言宗ですよ」
「じゃあ、よく知ってるね……」
最初の晩、そんなことから会話が始まり、契りは1度だけで、夜通し話したのを覚えている。それが印象的だったのだろう。おかげで和同さんが常連客になってくれた。
「いけないんじゃありません? 執着したらいけないというのが仏様の教えでしょう?」
「妻帯を認めてる宗派の僧なのに、将来の妻を助けられないのじゃあ、僧たるの意味はないよ」
「惚れてるっていうのを、お坊さんが難しくいうとそうなるんですね」
いい加減、職人のような仕事として女郎のことを考えることになっていた。だから、簡単に惚れた腫れたの感情にはならない。だけど、この人だったら、ずっと一緒にやっていけるかなと思った。
最後の1年は、この人の得意な気を感じたり、気を操る術も教わった。少し深く仏教の話もした。身体も重ねたけど、それはついで。
そして、自然に年季が開けたら、尼僧になるのだと思い、そうなっていた。
20日に尼僧になり、和華という道号をいただいた。
場所が寺になったというだけで、和同様と一緒にいて、読経と托鉢と弔いが仕事になるというだけのはずが、途端に大騒動だ。
お城から命じられて、23日に久保多村に出掛けた和同様が血相を変えて、夕刻に帰って来た。
夕餉を後回しに2通の手紙と書き付けをしたため、2人の修行僧を呼ぶ。
「この手紙を2人で京の本念寺(宗派の総本山)に届けて欲しい。できれば総法主に手交してくれ。汚損した場合に備えて、2通用意したから、それぞれで持ってな」
「どうしてですか?」
「九尾の狐を知っておるか?」
「わたし、絵本草紙で読んだことがあります。都に災いをもたらして、関東に逃げ出して倒された物の怪ですよね」
「手紙に書いてあるが、その九尾の狐が甦った。500人ほどの村が手もなく全滅した」
「は?」
3人が呆気に取られたのは無理もない。武士の世になる以前、はるか昔のおとぎ話だと信じていた。
「裏の諏訪神社も、信濃の大社に同様の使者を出す。冗談ではなく、本気で、事態は急を要する。飛脚には任せられん。中山道なら常念宗の寺に泊まりながら京に辿り着けるはずじゃな。こっちの書き付けは、京の総本山へ使いする旨を書いておる。この油紙に包んでな。大事に届けてくれ」
そうして23日には2人が出立し、和同様は25日まで久保多村の弔いに忙殺された。
その間、私が寺の中の雑事を片付け、大きな葬儀の申し入れがなかったのは運が良かった。
25日を過ぎても、和同様は九尾の狐の追跡をどうするかなど、裏の神社の神主の鴫沢様とお城に出かけ、さすがにお疲れだ。
だから、今日はお休みしていただいた。
「眠れないなら眠れないでしょうがありませんけど、横になって休んでいてくださいね」
「わかったよ。しかし、何で托鉢なんだい?」
「寺のことを知ってほしいし、自分も城下町のことをもっと知りたいからですよ」
「まあ、気をつけて。もらえる物が少なくとも失望しないでね」
寺と神社の土地の収穫は大きく、それで食べていけるのは承知している。ただ、外に出ていかないと、わたしという尼僧が西福寺に入ったことが知れわたらないだろう。わたしも、呉服屋や小間物や草紙売りは知っていても、町の全体は知らない。
檀家をいちいち回るのも面倒だし、他の寺社にケンカを売るつもりもない。昔の仕事場(笑)と悶着を起こしたくもない。だから、未の刻に人の賑わいはあるけど、しがらみのない飯屋町の十字路の片隅で、辻托鉢を始めた。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時……」
般若心経を読経すると、声から女だとわかったせいか、脚を止める人が出てくる。笠を目深にかぶっているので、お互いに面と向かうわけではない。だが、尼僧自体がこの町では珍しい上に、一応はまだ若い女らしいために一段と好奇心をくすぐるようだ。からかわれるわけでもなく、傾聴してもらってるようなのは、嬉しいところだけど。
「……羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
一通り読経を終え、ブツブツと「南無阿弥陀仏」を唱えていると、思わぬ事態になった。三々五々人が近づいてきて鉢に銭が投げ込まれ、さらに近所の人が取りに戻ったのか、しばらく間をおいて米も入れられ、鉢はすぐに満杯になった。すると今度は野菜が置かれ始めた。
「すごくきれいな声。びっくりしちゃった」
女の子にそう言われた。
男たちが好奇心で恵もうと思っただけでない。わたしの声に「何か」を感じてくれて、これだけのものを代価に支払おうと皆が思ってくれたらしい。しばらく茫然となっちゃうくらい、自分が驚いた。
そして、手に持ちきれない野菜はどうしようか途方に暮れてると。
「おう、これ使ってくれや。また托鉢に来るついでに返してくれればいい」
すぐ横の飯屋の主人らしき男が背負子と紐を貸してくれたのだ。
「ありがとう」
「また、ここで托鉢してくれ。夕飯時の前から客の入りが良くなるんで嬉しいよ」
今の時刻にこの手の飯屋に入るのは、力仕事の人が昼飯を食べそびれて空腹のときくらいだ。それが、わたしの読経を聞いてた人が脚休めで入って、茶屋のように御茶と茶受けを注文しているという。
「あはは……仏門じゃなく、謡の世界に入ればよかったかしら」
「冗談じゃなく、またよろしく頼むよ」
店主とおしゃべりしながら、背負子に野菜を括り付け、よいしょっと背負う。
思わぬ「戦果」ににこにこしながら歩いていると、お武家のお屋敷街に迷い込んでいた。道をよく確かめなかったのが悪かったらしい。ついていない。重い荷で遠回りだ。
とぼとぼ歩いていると、あるお屋敷の前で不意に寒気に襲われた。突然、全身に鳥肌が立つ。立ちすくむと、微かに声がする……「おいで……おいで」という女の子の声……契るときのよがり声も。薄気味悪い。色情霊でも屋敷に憑りついてるのだろうか。でも、そんな余計なことを屋敷に伝えても、面倒事に巻き込まれるだけだと思った。
心の中で覚えたての金剛般若経を唱えながら、屋敷の前から足早に立ち去った。離れ際に表札を見ると「津山」と書いてある。ということは、ご城主の御一門だ。くわばらくわばら……このことは忘れてしまった方がいい。
帰れば、和同様はいっぱいの鉢と背負子の野菜にびっくりしてくれた。
「読経や托鉢にも才能があるとは思わなかったなあ」
今日は和んで過ごしてほしい。御一門の屋敷の件はまた後日、相談することにしよう。