26 堀部家町奉行・鈴木左衛門尉高景の八面六臂
7月26日
忙しい。町奉行の私、鈴木左衛門尉高景の日常は、その一言に尽きる。
副奉行と裁定の件数を半分半分にしても目が回る。今の訴訟沙汰の大概は城下町の商店・職人の取り引きに関するものが多い。取り引きの金の未払い、商品の瑕疵欠陥、納入の遅延なとだ。非のある方が相当に言い訳を用意してくる。少なくない時間を尋問と聴取に割かねばならず、書き付けも多くなる。
城下の定期市である五十市の翌日は、特にこの手の訴訟沙汰が多くなる。どうしょうもない。今日も今日とて午前中いっぱいは、ほとんどがその手の争議の仲裁・調停だ。午後までは持ち越さないつもりで詮議に当たる。
「無い袖は振れませぬ」
今も代金未払いの小間物屋の馬鹿者が、商品の欠陥を言い立てる。だから、訴え出ている職人が作った在庫と小物店で店頭に出ている商品を、配下のものに抜き打ちで全数持ってこさせた。その間に、別件を片付ける。商品が届くと、欠陥のある品が十中の一もないことを確認した。
そしたら、馬鹿が開き直りやがる。
「ならば、儀助とやら。お前には、新しい刑罰を申し渡す。作事奉行が管轄する労役場に送る。なあに、ちょっときつい仕事を1ヶ月やってもらうだけだ。その給金が1500文。今回の未払い1200文を奉行が天引きし、訴え主である小間物職人、銀二に支払うことにする。労役場には牢があるから、仕事以外はそこに入ってもらう。また、罪あって労役場送りになった印として、手の甲に刺青を施す」
「ちょっと、待ってくだせえ、杖打ちの刑じゃないんですかい?」
実は「この手の輩には体に苦痛を与える刑は効果が薄い」という御館様の下命で、懲らしめの効果の大きい刑を考案させられたのだ。丁度、郡境に砦を設けるのに便乗した。咎人を砦の造作に使おうというのだ。
「無い袖は触れないと申したからな、お主。杖打ちで赦免して商売に戻しても、払えるだけの金が稼げないかもしれない。保証ができないのだから、奉行としては確実に支払いを履行させる方法を選ばねばならん」
「わかりましたよ、払えばいいんでしょう」
「何だ、払えるのか?」
「払います。本当は払えますから」
「ならば、ますます悪質だぞ。払える能力があるのに、詐術で払わないということだ。その場合、故意の犯罪なのだから、労役場送り1年になる」
「きったねー」
「何がきったねーだ。職人騙して品物を巻き上げようとした報いだろうが。てめえみてえなのがいるから、こっちの仕事が絶えねえんだろうが。くそ。この場で、手打ちにしてやりてえぐらいだ」
思わず、襟元をひっ捕まえて、怒鳴ってしまう。
そして、床に放って、腰の小刀の柄に手をかけると、儀助は「ひぃ」という悲鳴をあげながら這いつくばって後ずさる。
本当は怒っていないのだが、こういう芝居は効果的だ。
「胸くそ悪いが、情けをかけてやろう。すぐに1200文を払うなら、この場で納めてやる」
柄から手を離し、どかっと胡座をかき直す。
「全部ですかい?」
「ああ」
「払います、払います」
「どうせ遊ぶ金欲しさだろうが。訴えられて、町方がちょっと調べりゃ、すぐわかる。二度とするな」
「へい」
儀助は小判と一分銀それぞれ一枚を財布から、取り出すと銀二に渡す。五十文ほど多いが釣りを出せと言わないのは、迷惑料代わりということなのだろう。
「よし、終わったのなら、さっさと帰れ」
二人を追い出して、水を所望し、次の案件を確認する。
与力の川村が、下手人を連れての面会だ。
「いやいや、お奉行、相変わらず、名調子ですな。隣の間で聞いていて、内心で拍手喝采しておりました」
「世辞はいい。用件を申せ」
「はっ、大津屋が土座衛門であがった件です」
「殺しかどうか検討ついたか?」
「はっ。大津屋の死は、事故での転落で確定してよいと思われます。そこに控えておる者が、跡取りから訴えられていた男ですが、大津屋への脅迫を自白いたしました。しかし、当日は長屋を離れていないことを5人が確認しておりますので、大津屋の殺害は無理でございます」
「では、そやつは大津屋を脅迫した罪状で、労役場送りだな」
「そこはご一考願いたいところです」
「何じゃ?」
「この男、いろいろ役に立ち申す。仙術使いでございまして」
「ぬ……」
「お奉行も先般おっしゃられておりましたな。できれば、捜査などに使える仙術師なり、陰陽師なりがいれば……と」
「この者、それだけ使えるのか?」
「吉之助と出張っていなかったら、それがしの記憶は飛ばされ、この件の一切がなくなっていたかもしれませぬ」
この与力である川村は、いろいろと深く考える男だ。町奉行配下としても、戦での働きにしても、十分に有能だ。それだけに部下だからといって油断はできない。罪人を敢えて使えと言ってきているのだから。
「お主の名は?」
「建吉です。小屋を『建てる』に、吉凶の『吉』です」
「奉行のわしに何をしてくれる?」
「自分は女郎屋を営んでますので、怪しい羽振りのいいやつをお伝えすること。人の考えを読んだり、ある種の夢見状態にして、罪状の自白を取れること。毒薬などを使ったか、あるいはどんな毒薬が使われたか。死体がまだ腐ってなければ、不審な死体の死因の究明。配下の方が病にならぬように助言する……そんなところでしょうか」
わしは思わずニヤリと笑った。まったくすべてその通りと行かないだろうが、かなり期待してしまう。
「よしよし、今後はいろいろ手伝ってくれ。それに対しての報奨は出す」
「それはうれしゅう存じます」
「女郎屋か……まあ、女を食い物にしすぎないようにな。わしから何か頼みたいことは随時に、この川村を介して伝える。普段は、川村に協力してやってくれ」
「へへぇ」
書記には記録に残さなくていいと合図し、次の面談者を尋ねると……
「町奉行としてのお話しは、今日はここまでで」
「それは好都合だ。副奉行もか?」
「お隣から声がしませぬゆえに、もう終わっていると思います」
「久々に戦の備えに関しての話ができるな」
午前中で訴訟を終えたかった理由はそれだった。
わしが立ち上がると、川村と書記は付き従い、建吉は帰るように申し渡される。町奉行配下の執務室に入ると、全員が書類作りや整理をやっておる。
「すまん、ちょっと手を休めてくれ」
「ははっ」
「やっと例の軍制の法度について話ができる。当家の配下と町奉行与力は、まとめて槍部隊としたいのだが、どうかな?」
部屋のなかには、わしと直属の配下三十人、副奉行の田中と配下三十人、与力の川村と配下十人で、計七十人ほどがいる。その執務室も相当に広い。
「けっこうではないですかね。罪人の捕縛には、棒を使うのが普通ですからね、われわれ。戦場でも、その調子でやりたいところで」
田中が声をあげる。それにつられ「そうじゃ」「異議なし」という声が、あちこちで上がる。
「拙者も賛成です。馬だの弓だの、普段の仕事のなかで使えませんからね」
「むしろ、さっきの仙術師のようなものを戦場で利用することを考えたいくらいで」
わしの直属筆頭の吉住が賛同し、さらに川村も基本的に賛成で意見を述べる。
「よしよし……それじゃあ、町方は、全部、槍でまとめることにするぞ。川村の意見は、おいおい考える。皆、槍の備えと鍛練をしっかりな」
「はっ」
郡奉行の部屋と並んで城内最大の人数がいる部屋だけに、一斉に応諾の返事が来ると、肚に響く。実際、町奉行と郡奉行は、上杉家からの出兵要請があった場合、それほど大きく動員されることはない。町や村々の治安の維持と、揉め事の処理で人手がいるからだ。だが、次の戦では、郡内に敵を迎えることになるだろう。その時には、わしの手の者こそ、最も統率が取れていると証明することができる……そう思うと、顔がにやけてくる。やはり、わしは奉行以上に、武将なのだ。