25 津山家作事奉行・高橋右兵衛少尉信広の苦闘
7月25日
久保多村の惨劇が、私こと高橋右兵衛少尉信広に聞こえてきたのは、一昨日の昼前である。首席家老になられた内匠頭殿の面前に呼ばれたからだ。しかし、命じられたのは突拍子もないことだった。
「人手を集めて欲しい」
「いや、大事件なのはわかりますが、何故それがしが、大人数の手配をするのですか?」
「もちろん、土木の造作のためではない。村の田んぼに残された稲刈りのためだ」
思わず、腕を組んで考え込む。何か釈然としない。
「集めますが、あまり期待されぬ方がよいですよ」
「米を何とか押さえておきたいのだ。野良仕事の人を集めるのに向いた職は作事奉行くらいだ」
「もう一度念を押しておきますよ。農繁期ですから。小作の副業者は少なく、碌でもないならず者ばかりになりますから」
「構わない。1日100文出す」
「口入れ屋に触れを出し、高札も立てます。村が全滅したとはあえて言いませんけど……そろそろ噂になってるのでしょうなあ」
未の刻前には、触れも出し、高札も立て、城の大手門の番所に受付も設けた。
だが、高札に応じたものは10人。口入れ屋数軒に声をかけて129人。500人の村の田畑からの収穫を回収するにはいかにも足りなかった。
農作業の経験については心配なく、大抵は小作が借金で首が回らなくなり、町に流れて人足になったという連中ばかりだ。ただ、町の暮らしに享楽的になっていたり、さらに金に困ってやくざ者へと身を持ち崩したり……そんな連中が多いと予想された。
「暑いなあ。こんな中で働くのかよ」
「夜だったら、バケモンがでるぞ」
「それそれ。バケモンにみんな憑り殺されたんだろう?」
「みんな首をもがれてたって話じゃねえか」
「昼間でも出るんだろう?」
「おーこわ」
「おっかねえってんなら、来なけりゃよかったじゃねえか」
「るせえなあ、恐いもの見たさってやつだよお」
「まあ、どうせ、俺たちなんて、バケモンに殺されたって大したこたあねえんだよ」
「ちげえねえや」
村までの一里。男たちを引き連れ、自分は乗馬で先頭に立った。やはり捨て鉢な態度の者が多く、いったい何日かかるのか……。百文も、日給ではなく、出来高にすべきだったかもしれないと、正直、後悔していた。
先に、郡奉行とその配下、それと和尚と神主が村に入って埋葬を行っており、庄屋宅で、郡奉行と会う。
人足たちの作業への誘導は、前日の打ち合わせた図面にしたがい、配下の者に任せ、自分は郡奉行との状況確認を行う。左京なら同い年の31歳、幼なじみの気安い仲だ。
「少尉か。かなりやばいかもな。坊主と神主がいうには、九尾の狐だそうだ」
「この事件の下手人か?」
「ああ。民話や謡いに残る大妖とはな」
「御館様や内匠頭殿には伝わってるのか?」
「伝えた。和同殿、辰之進殿のいうには、若い女に憑依しているだろうってことだ。狐そのままの姿ではいられないはずだと」
「それだけでは雲をつかむような話だな」
「町奉行は昨日、旅籠改めをしたが、それらしい女はいなかったそうだ」
「城下に潜んでいるとは限らないな」
「さっさとどこか遠くへ行ってくれてるならばいいんだが」
「面倒なことはなしで、早く出兵の準備をしたいものだ」
「まったくだ……埋葬の様子を見てくる。またあとでな」
「ああ、こっちも、刈り入れできてるか見てくる」
村人の埋葬は南側でやっているから、障りのないよう、我らの作業は北側から始める手筈になっている。
「御奉行、皆やりますぞ。元々はみんな百姓なんですなあ。こっちが何か指示する必要もない」
配下の言葉に田んぼを見やれば、秩序だって稲の刈り取りが進んでいる。
「そいつは嬉しい誤算だな」
大妖の復活という話を聞いても、今ひとつ現実感はない。それだけに、ここでの作業はさっさと終わらせて、現実世界に戻りたい。自然に田んぼのなかに足を踏み入れていた。百姓たちは、めいめい陽気に話しながら、作業に勤しんでいた。
「村の連中、稲木を立ててる暇がなかったんかのお?」
「嵐の日の前にはまだ早稲の刈り取りにかかってなかったんかな」
「いや、ちょっと刈り入れてる田んぼは、あっちにあったぞ。嵐が来るって読んだ連中もいたんだろ」
「あっちの納屋に稲木の材料くらいあるだろ、見てくらあ」
「稲木って何だ?」
私は思わず尋ねていた。
「ああ、お奉行さんか。稲木って、稲を干す木組みのことだ。多分見ればわかるよ。田んぼに杭を何本も立てて、その間に横の棒をわたしてさあ。その横木に稲を掛けて天日干しにする……」
「ああ、あれか」
言われて見れば、やり方はいろいろだが、稲を洗濯物のように掛けて干している光景は見ている。なるほど、あれを稲木と呼ぶのか。
「あったあった。何人か、稲木を立てる方へまわれ」
納屋に向かった男が怒鳴りながら、戻って来る。片手にでかい木槌と荒縄を何本か持ち、反対の方に何本かの杭を担いでいる。
その男は、稲刈りの場に戻ってくると、まず一本の杭を木槌で地面に打ち込んで立てる。その杭に、別の杭を斜めに添えて支えにし、縄で結わえて固定する。それをもう一組作ると、横木を渡して固定する。稲を刈る男たちは、稲を束にして、根本を結ぶと、渡された横木にかけていく。
稲木の立て方は男によって違いはあるものの、どれもしっかりしており、経験のある百姓だったということがわかる。
「久々の野良仕事でなかなか面白えよ」
「なあ、お主らここで百姓に戻れるって言ったら、どうする?」
「おっかねえことはおっかねえ村だが、やり直せるならやり直してみてえな、俺は」
「どこかで100文の支給は打ち切る。10日くらいでな」
「村に入る支度金って考えるさ」
ここまで聞いて、俺も俺もと立て続いて声が上がる。
「ちょっと皆来い。郡奉行に掛け合ってみたい」
ぞろぞろと庄屋宅まで行くと、ちょうど左京も戻って来たところで和尚や神主もいた。
「左京、郡奉行のお主としては少人数でも村が立て直せるとしたら、どうする?」
「いや、そいつは願ったり叶ったりだが」
「この者たち、ほとんどならず者の風体だが、元は百姓で、今の仕事もすこぶる捗ってるんだ。この村に住まわせて、村の立て直しを図ったらどうだろう」
「ちょっと待て、凄惨な事件のあったところだぞ」
「人が死んだくらいのことで怖がっていたら、今の世の中、生きて行けねえですよ」
「物の怪が出たと言っても、今はもうどこかへ行ったんでしょう?」
人足から声があがると、神主と和尚がそれに応じる。
「うむ、妖怪はすでに村から離れた。妖怪の住処だったところもきちんと祓い清め、結界を張った」
「死者の霊も弔い、すべて成仏しておる」
「じゃあ、この村に住んでもいいですよね」
「神仏という点からは、まったく問題はない」
「それじゃあ、ここで暮らしを立て直したいという者が、今日から住んでも良いわけじゃな」
「細かいことは後日にして、郡奉行としては異議はないよ」
「あとは御館様とご家老に話を通さないとだな。2人で行った方が早いな」
村内作業の段取りを決め直し、今日の宿泊予定の家を決めるなどして、人足たちには作業に戻ってもらう。
我々は城に戻るが、いろいろ説得やら触れ・高札の書き換えやら、忙しいことになりそうだ。
ああ、最初に仕事をふられて釈然とできなかった理由がわかった。命じられたことが事態の解決に結びつかなかったからだ。だが、今は、気分がすっきりしていた。
稲木の具体例
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/稲木