23 田上城下の諏訪神社神主・鴫沢辰之進の地鎮
7月23日
何が何でも、怪力な妖の仕業としか思えない。
昨日の夜、城から急使が来て、田上郡内の一宮である諏訪神社の神主である、私、鴫沢辰之進に、郡奉行の大沢村での活動に伴をし、地鎮を行うように命があった。
最初に郡奉行の報告を柴田様と一緒に聞いたのだが、にわかには信じられなかった。妖怪や物の怪と呼ばれる存在もおり、われわれに代表される超常の力を操る人間もいる。だが、それらの存在が、突如として人間に牙を剥くことはあり得ない。
「しかし、一村が全滅していて、男と女に分けて、異なる残虐な方法で殺されている。事実は事実。拙者の首を賭けていい」
蒼白な顔で郡奉行に訴えられては、否定するわけにも参らん。
「多くの人が死んだというのなら、坊主に頼むことではござらんか?」
とは言え、神仏習合の流れには逆らえない。諏訪神社は都の大王家と一線を画しており、信州・諏訪大社から分祀されている特別の神社だ。
ただし、関東まで来ると地付きの寺と一体になっている場合もあり、寺との結びつきもいろいろある。私が神主努める諏訪神社は常念宗の西福寺と位置的に表裏の関係にある。新興の仏教の宗派と古くからの孤立した神社が寄り添った結果、お互いの住職と神主が手を握り、荘園を共有して互いに助け合う関係になっている。周辺の村々との共同で、朝市以外に一六市という毎月一日と六日に行う定期市を開いているが、それと合わせた縁日も、両寺社共同で行っている。
「西福寺の和同殿には、別途、弔いをお願いしている」
柴田様はそう仰ったが、それならそれで手際が悪い。
「そういうことであれば、当方も行かないわけには参りませんな。しかし、水臭い。一緒に呼んでくれればよかったのです」
「すまんな。いろいろ気が動転していて、頭が上手く回らん。手間のかかることをしてしまった」
山科様は、やや捨て鉢になっている。だが、500人からの人が一斉に死んでいたのでは無理もないだろう。こちらとしても、断る道理はなかった。
そうして、22日にやってきた大沢村は、郡奉行の言うほどの酸鼻さはない。一昨日、死体を焼いたのだという。
そう聞いて、一緒に来た和同は眉を潜めた。しかし、そうしなければ、今現在の村は、手の付けられない腐乱死体だらけになっていたはずだ。
村に入ってすぐに妖の仕業だと思った。
「気づいておるか?」
庄屋宅の縁側に腰掛けて一息をついていると、こう和同が話しかけてきた。
「ああ……死んだ人間の怨念だけではないな。この気の乱れは」
「わしは病の気を読むのは苦手だが、これならわかる。これは、やっぱり大妖だな」
「間違いなく。二人の見方が一致するなら間違いない」
息を整えると立ち上がり、一緒に山科様に声をかけた。
「山科様……地鎮や弔いの前に、少々村内を探索してよろしいか?」
「何か?」
「配下の皆さんに、庄屋の周辺に集まって動かないようにと」
そこまで伝えて、私が山科様に耳を寄せて、ほかに聞こえぬように、こう告げた。
「相当の大妖が事件に関わっています」
「そうなのか……やはり人外のものの仕業か」
「はい……」
「少し調べますので……終えるまで、お静かに」
「承知」
略装の坊主と神主が連れ立って歩く姿は、少々異様かもしれない。お互いに念仏と祝詞をぶつぶつつぶやきながらだから、なおさらだ。
お互いに気の乱れを確認し、周囲に気を配りながら歩を進める。
すると、南の大辻に着く。
「黒焦げの塊は焼いた遺体じゃな。和同よ」
「本当にほぼ五百体か……ひどいものだ」
「腐乱させたままよりは、臭いはまだましだな」
「気の毒に。ただ殺されただけでないな。男と女でやり方は違うが、気を吸い取られて死んでいる」
「男は恐怖させられた魂を……女はのたうつほどの快楽からの生気を……そんなところだな」
「最初は、あの番所か」
村の木戸の見張りが詰める小さな掘立小屋に進む。
「辰之進。すごい怨念がこの番所に残ってるな。巨大な怨念が人の身体のなかに憑りついたようだな」
「人のなかに入って、どこへ行ったのか……」
「だが、その怨念……少しだけ残っているな」
「番所の裏だ」
そこに行ってみると、巨大な石があった。平らな場所に、脈絡もなく不自然に、何かを押しつぶすように置かれており、番所ほどの大きさがある。
「この下に、何かがあったんだ、和同」
「辰之進は那須で砕かれた殺生石の伝説……知っておるか?」
「都を恐怖させた九尾の狐の伝説の終幕だな」
「ああ、都を負われた狐は、関八州に逃れたが、武士たちに追われて那須で倒され、毒の気を撒き散らす殺生石になった。その殺生石は狐が復活せぬように砕かれた。石の破片は関八州の各所に飛び散ったと言われるが……」
「それぞれ各地で、何かしらの形で封印されたのだろう」
「だが、ここでは結界が破れてしまった」
「土中には小さな破片が残っているだけだ……ふむ……小さな破片の力を踏み台に、大きな破片が地上に出たのか」
「結界を強化しておこう」
「頼むぞ、神主」
麻製の大幣を体の前にかざし、左右に振りながら、私は祝詞を唱える。かつてこの国を傾けた大妖である。残滓といってもまったく油断はできない。だから、自分の主神に願う祝詞を読み始める。
「畏きも建御名方神の御前に申す。我は御神霊の招を為す者として、本日、多くの命を奪いし悪業の場にて、その根源となりし、世に仇を為す毒の石に見えたり。そこから発する諸々の悪しき瘴気を抑え、押しとどめる結界を直しめ、諸々の迷いたる魂を正しきに道に導かんと、御大神の力を貸し給へと請い祈願申し給う。ついては、この抑えの岩に、御大神の力を招き、禍と穢れを浄め祓い、神の業を成し給へと畏み申し上げる」
和同は番屋や大辻の方へ向けて、般若心経を唱える。結界を結び直そうとしていることを察知した大石の下の殺生石の残滓が、死者の怨霊を招き寄せないためだろう。
祝詞を読み上げ、大石の持つ呪いの力が甦る。私の超常の力を見る目では、今の大石は光り輝き、建御名方神からの力を授かった。
私は背負ってきた背負子を下ろし、中から長い注連縄を取り出して、岩に巻いて、結界としての力を強くする。大石に雨除けになりそうな窪みを見つけて、そこにお札を置く。建御名方神は戦の神であり、怨霊の残滓を封ずるのに相応しい。
これで村は「不吉で、不浄……何か祟りのようなものに当たるかもしれない」場であることを脱した。時折、注連縄やお札を替える必要はあるが、私の目の黒いうちは大丈夫だ。
浄土真宗と真言密教の流れの両方を汲む常念宗の和同は、「南無阿弥陀仏」と「般若心経」を唱え続け、死体の一つに歩み寄る。それを見て、私は大幣を振って、通りに出ていた侍に合図を送る。
今日は侍たちは大辻に穴を掘り、そこに遺体を埋葬する手はずになっている。埋葬の地を浄めるのは、また私の役目だ。坊主と神主がお互いを補い合う。それは、一見して奇妙なことかもしれないが、神仏習合が当たり前の今の世では、少しも違和感のある光景ではない。
桶には入れず、土に直接埋めるやり方だが、穴は私が浄め、これがまた殺生石の残滓を鎮める結界の効果を持つことになる。
しかし、盛夏の作業は厳しい。夕刻までかかって埋葬が終わったのは、3分の1までだった。破片の力を封じ直し、邪気は払ったとは言え、侍たちも、ここに泊まる気はしないはずだ。何日かは、この死の村に通う必要がありそうだ。
それともう一つ。和同も私も大きな不安を抱えていた。
いったい「復活した九尾の狐は、どこへ行った?」のかと。