01 武蔵国国衆・津山兵部大輔義正の野心
天文元年(1532年)7月1日
わしは津山兵部大輔義正。武蔵国の北辺にある田上郡を治める国人である。
今、老臣の1人、安田備後守資正に、稲刈りが済む9月1日に、隣の氷室郡に攻め入ると打ち明けたところだ。同郡を支配する国衆、堀部掃部介忠久の氷室城を攻め取るのだ。だが、当家一の家老は、呆れかえったという表情で顔を挙げた。良い顔をするまいとは思っていたが、こうまでとは……正直不満だった。
「御館様。今、戦をする理由がわかりません」
主殿の広間で人払いをし、2人で差し向かい。備後の面は「はあ?」とでも言いたそうだ。眉間に皺を寄せて睨みつけるが如しで、見慣れぬ者ならば、雰囲気だけで圧倒されたろう。
「奴らを上回る武威を備えた。奴らの領地を我らが領地に併呑すれば、それだけ年貢が潤い、勢力を増すことができる。ほかに理由などない」
「公方様や管領様、扇谷上杉が黙っておりますかな?」
「公方も管領ももはや飾りよ。幕府方が北条家にいいようにやられておる。機会を捉えるべきだと申したいのじゃ。もはや各地で下克上の流れは停められないところまで来ておる。我らとて、ただの国衆で終わってよいものか」
「野心をお持ちになるのも結構ですが、なればこそ北条の動静にこそ備えるべきでしょう」
駄目だ。この老人はまるでわかっていない。機を見るに敏という言葉を知らぬわけでもあるまい。
「5年かけて、お主と治山治水に明け暮れ、産業を興し、農地の拡大に努め、各家も侍・足軽を大いに雇い入れてきたのだ。それを領地を広げるために使って何が悪い」
「勝てばよいでしょうが、一戦して多くの兵を損じたら、元の木阿弥でしょう。分を守り、まだまだ時をうかがうべきです」
父の時代から一の家老の地位にあるこの老人は、戦場の勇者だ。にもかかわらず、戦には慎重だし、一度決めたことは頑として曲げない。
出兵するなら、安田家の兵力は必要だ。我が津山家の米の獲れ高は石高では1万石。今は大名や国衆の知行は貫高で表しているが、我が津山家では、若い家臣の進言で軍役の計算をするのが簡単な石高制を採用した。
年貢割合は五公五民だ。つまり、米5千石が収穫期に転がり込んでくる。1石は単純に言って、1年間で大人が食べる米の量だから、1年にわたり5000の兵を動かすことができるという算術だ。安田家には1000石を与えていて、全軍の一割に当たる約500人が安田家の兵だ。村の領主としての安田の力量も優れており、500人以上の動員も可能だろう。
安田の兵に限らず、足軽は大半が半農半兵だから、農閑期のわずかな期間しか兵を動かせない。しかし、兵力を挙げて動かせる時期を選べば、労せずして勝ちは目に見えている。
掃部介の居城、氷室城は天守は安っぽい櫓の小城に過ぎない。奴の領地の石高は6000石だが、年貢割合は四公六民で、兵糧が十分に積み上がっていないという噂もある。2000から3000人足らずの兵しか動かせず、籠城にも不安を抱えているわけだ。
「決めたことだ」
「ご再考をお願いいたす」
備後の声には怒気がこもって脅しているも同然だ。これではどっちが君主なのかわからぬ。
「再考するのは、わしではない。お主じゃ。わしは30、おぬしは60。親子ほど年は離れておるが、主人はわしだぞ」
「それがしは、先代の御館様に世継ぎの貴方様の後事を託されました。それ故に苦言も述べるのです」
お互いの目を覗き込む。安田の武威はわかっておるが、こちらとて14で初陣して以来、いくつもの修羅場を経験している。にらみ合い……お互いに怒気を鎮めるため、呼吸が荒く、肩が上下する。
「繰り返すが、決めたことじゃ」
「せめて御一門と重臣の参じた軍議にて決せられますよう」
「わかった。10日の定例の軍議で決めよう。下がれ」
「はっ」
面倒だが、軍議までに一門と家老に、わしの意志と政略を根回しせねばなるまい。だが、その前にもう一つ手を打たねばなるまい。
「誰かある! 書院に佑筆を呼べ!」
廊下を歩く自分の足音が騒々しく聞こえた。心の平静が保てない自分が腹立たしかった。