14 氷室城下・越後屋清兵衛の気苦労
7月14日
「大津屋さん、呼び出して悪かったね」
「全くだよ、越後屋さん。こんな土砂降りの日に。大風も吹いてきたじゃないか」
昼なのに外は暗く、部屋には蝋燭で火を灯している。我が家の座敷で盃を交しているのは、私、越後屋清兵衛と大津屋与左衛門。どちらもこの城下に生を受けて育った生粋の商人である。
最近の大津屋はどうかしているので、いろいろ正そうと、大津屋を呼んだのだ……表向きは。
こいつは先妻が亡くなってから、全くおかしくなっている。以前は、痩せていて好男児だったのに、最近はすっかり肥え太ってしまった。私は節制癖があり、50の今も痩せ型だが、大津屋は45を越したばかりなのに、でっぷりしてしまった。
「どうしても見過ごせなくてね。何だい? ありゃ? 長五郎んとこのならず者を店にたくさん引き込んで」
長五郎は口入れ屋(人足などの派遣業)の表看板を出している侠客だ。
「ならず者とはご挨拶だね。年季の開けてない女中が一人逃げちまったのさ。人手のいる所に助けを求めただけだよ」
「にしてもあんなに大騒ぎかい? 小娘一人に?」
「まだ借金があるんだよ。」
大津屋はまったく身を持ち崩している。今の後妻も、借金のカタに取ったも同然で、その伴につけていた女中も同様だ。
女にだらしがなさすぎ、金で雁字搦めにするやり口があこぎだ。
「逐一、様子は伝わってるよ。人の口に戸は立てられないからね。女将が浮気して、女将が女中に誑かされたって言った。そしたら、女中を女郎屋に叩き売ろうとした。それで逃げられたそうじゃないか」
「だから、何だっていうんです」
「もっと分別をつけなって。お前さん、おかしいよ」
「おかしいおかしいって……本当にやかましいねえ」
「城下町で商売やってる店は、一蓮托生なところがあるからね。お城や周りへの聞こえをもっと気にしなよ。商売あがったりになるし、城下町の店全部が変な目で見られかねないんだ」
「何を言ってるんだ、あんただって5年くらい前はさんざんだったじゃないか」
そう。自分も経験はある。妻を亡くして酒びたりになり、佐藤先生に救われた大病はそのせいだった。商売も没落したし、正直、佐藤先生がおせんを娶ってくれ、私自身も越後屋の商売も後見してくれなければ、とても立ち行かなくなっていただろう。先生がいろいろ前に立ってくれたから、越後屋の仕事も立て直せた。
「だったら、あんただって、暮らしを立て直せるはずだよ」
「ち、ああ言えばこう言うだね。年上で昔馴染みだからって、説教はまっぴらごめんだ」
「ふぅ……しょうがないねえ。そこまで言って聞いてもらえないんじゃしょうがないや。説教めいたことはやめるから、ざっくばらんに昔みたいに腹を割って話せないか? いい酒があるんだよ」
「あんた、酒をやめてたじゃないか。座の寄り合いにも来なかったし」
「チビチビやる分には、いいんだよ。今日はどうせ商売にならないし、かまわないだろ?」
店の者が酒の入った別の大きい土瓶と盃、酒肴の乗った膳を持ってくる。
飲みながら、昔話を始めれば、ガキ大将だったあいつがどうだ、優男のやつがどうしたと、打ち解けて語り合える。だが、女を不幸にするのはちとやり過ぎだし、逃げ出した女中だって城下から出てしまえば、無事で済むわけがない。
「あんたあ、喧嘩がめっぽう強かったな、清兵衛さん」
「なあに、餓鬼のころの話だ」
「いやいや、あんたが20歳くらいまでは、やくざ者まで震えてたよ」
「なあ、上州屋と河内屋、覚えてるかい?」
「ああ、女郎屋の。どっちも酷かったねえ。借金が終わっても騙して女郎を続けさせて。そういや、不意に消えちまったんだよな。どこへ雲隠れしたのやら」
「どうしたんだろうねえ。まあ、お前さんもすぐに思い知るよ」
「何だって?……んっ……はっ……ぐっ」
ああ、薬が利いてきた。多分、大津屋は身体が痺れて、手足の自由が効かなくなり、声も出せない……そのことに戸惑っている。酒に酔ったどころではない。
「今だからこそ話すが、上州屋と河内屋な。奴らぁ、俺が消したのさ」
「はっ? ぎ………げ……」
「無理するなよ。まともに喋れないだろう? どっちも7、8年前だ。2人ともやくざ者で手を握って、悪辣を極めてた。今回とは違ってドスでやっちまったが」
「た……す……た………す……」
大津屋は事態を悟ったらしいが、ここまで来たら引き返せない。
「あんたが泣かせた女は、2人ですまないしな。調べがついただけでも10人はいるし、3人死んでる。今回の女中も生死知れずだ。やり口も女将を騙した女衒の方がマシだろう。長五郎も近いうちに地獄に送ってやるから、待ってるといい」
先生とおせんが調合した薬はなかなか効くようだ。毒ではない。私の心身を鎮め、よく眠れるようになる薬だ。だが、普通の人に適量を超えて投ずれば毒も同然で、身動きが取れなくなる。意識もなくなる。酒に溶かせば、効き目が倍増するらしいから、ひとたまりもない。ついに昏倒して、動かなくなった。
「手伝ってくれ」
「へい」
私と同い年の番頭が隣の間に控えていた。上州屋と河内屋を消すときから手伝ってくれる同志だ。大津屋へも使いに出て、人目につかないように、ここに案内してくれた。配膳も彼がしてくれ、店の中で大津屋の来訪を知る者は他にはいない。
今度は彼と2人で大津屋を戸板に乗せて、庭のすぐ横を流れる水路に、大津屋の体を運ぶ。箕と笠を着けたとはいえ、雨が激しく着物にも水が染みてくる。そうして苦労して運んだ大津屋の身体をそっと水路に浮かべる。
顔を付けて水面に浮かんだ大津屋の身体はピクリともしないまま、流されていく。この大雨では誰も見咎める者はない。雨中に出かけて誤って水路に落ち、流されたということになるだろう。
「ご苦労だったね」
「いえ。旦那のお手伝いになっていればいいんです」
「まあ、やつはちょっとやり過ぎた。やつの息子なら堅実に商売をするだろう」
「薬は大丈夫なんですかね?」
「ばれないかってことかい? 大丈夫だ。あの二人の作った薬ならね」
ささやかな世直し。商売をしているだけではなく、この城下町を少しずつまっとうにしていく。それは昔からの私の望みであり、そのためになら非道にも手を染める。毒を以って毒を制す……それこそ、今の時代の世直しに求められていることなのだ。