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130 最終回 天文2年9月1日 固めの盃 田上城近郊・堀部家本陣・おかつ

「本当なら3年……最低でも2年、民力の涵養に当てたかったんだがのう」

「お殿様、贅沢~」

「1年間、管領や公方の詰問を受け流しにしてきたくせに、よく言うわよね」


 腕を組み、床几から立ち上がり、いまいましそうな顔をする堀部の殿様。

 今、わたしたちは田上城外、城から北に半里の小高い丘にいる。

 上野の山内上杉家が領内に攻め入ってきたのだ。私戦で津山本家を滅ぼし、欲しいままに領地を略取した堀部家を関東管領として討伐するそうだ。

 事前にその動きを掴むと、堀部家は田上城と氷室城と郡境砦に兵力を三分しての籠城戦をすると、周囲に虚報を流した。昨年の死闘で損じた兵数の回復も思わしくないことと合わせて……。

 だからと言って、管領の軍が兵を三分するような馬鹿げた策に出てくるとは思わなかった。管領の憲政はまだ十歳。家宰の足利長尾家の長尾憲長の発案に決まっているけど、阿呆だ。

 今わたしたちが中山道上で対しているのが主力で、足利長尾家と厩橋から箕輪を根城にする長野一族が中心になってる。西の新井川沿いの街道を進む軍が郡境砦へ、東の十重川沿いを進む軍が氷室城へと向かっていた。管領自身は戦場に出てきていない。子どもだものね。

 それにしても芸がない、策がない。戦略がわかっていれば、策はなくとも、兵を一本にまとめて攻め入ってくるだろう。だが、三軍に分かれ、一斉に武蔵-上野国境を超えてきただけ。せめて東西の軍を早く進撃させていれば対応が難しくなったのに。


「管領軍は東と西に各5000、ここの主力に6000を配しています。我らはここに5000、砦と氷室城には500ずつを残しています。まずはここで勝ち、敵の主力を葬ってしまえば、すぐに各個撃破に持ち込める算段です」


 田上城勢の代表として本陣に出向いていた柴田さんが、そう状況を述べる。この人は、こういう判断はきちんとできる。兵糧の手配りなんかも、不安がなかった。相変わらずだ。

 ただ、堀部も、津山も、一年前から兵の数があまり回復していないのは事実だ。特に津山陣営は兵数が薄弱な家が多い。津山の領地を抱え込んだのに、堀部の殿様は、またもや策に策を重ねて戦に挑んでいる。


「上手い具合に、砦と城に残してきた兵と挟撃できるようにすれば安泰ですな。どのみち、ここを勝たないといけません」

「まったくじゃな」

「とは言っても、最後はあたしたちが出ていけば敗けはないし」


 戦術面は、相変わらず戦奉行として佐々木さんがついている。そして、わたしとおこうちゃんは、全てに茶々を入れて楽しんでいる。


「では、わたしは自分の陣へ参ります」

「うむ、抜かりなく頼む」


 柴田さんは急がずに自分の配下の元へと戻っていった。

 堀部の陣形は、右翼を前、左翼を後に引いた雁行だ。左翼の最後尾が、街道上にある。最右翼には殿様の弟の率いる弓兵と弩兵各100に槍100の混成隊だ。雁行の先頭隊なのに攻める気を感じさせず、上杉勢を戸惑わせているだろう。

 この地域の最強の武将と見られている安田さんの隊が左翼の最後尾に陣を敷いている。安田家は1000石取りは変わらずだが、去年失った大量の兵を回復することができず、300ほどの動員に留まっている。だが、精強な槍兵ばかりで、それを内藤さんの弓兵隊100がついて助ける。ここに敵の先陣を誘導してしまうのが、この戦いの肝だ。先陣を深入りさせて、容易に破らせない。そこから、敵の動きを散漫にしてしまう。

 本陣は安田さんの陣を左横に見る位置にある。そこから、弟さんの陣まで、大崎、山中、本多、柴田、吉景さんの陣立てになっている。どれも槍兵隊で、5隊合計で3000人だ。

 そして西側の丘陵地に、梶川さんの率いる騎馬隊600と、源之進さん、田上城の奉行勢の槍兵・弓兵・弩兵が400、伏兵として控えている。

 敵には、ほとんど槍兵で弓兵が両翼に少しいるくらいにしか見えないだろう。騎馬武者はほとんど氷室城に集めていると、これも虚報を流している。


「街道上の安田陣が抜けないと分かれば、どこかでこの斜線を食い破り、本陣を直撃しようとするだろう。その背後を出羽に討たせる。本陣はどれだけの兵が殺到してきても、まったく問題ないしな」


 そう殿様が豪語するだけのことはあるのだ。本陣は佐々木さんの騎馬50に、旗本の馬回り、槍兵、弓兵が100ずつ。ここに20人の呪い師がつく。和華さんについて堀部領に移った栗原さんがその元締めになっている。呪い師たちを戦に本格的に導入するのは、これが初めてになる。

 殿様のそばには、わたしたちと和華さんと、それにおせん。


「どうして、あなたの旦那は来ないのかしら?」

「大沢村の鍛冶場や製薬所、いろいろな工房……全部、あの人がいないと回らないの。あなたたちの領地よ。わかってるでしょう?」

「あなた、からってるんだから、真面目に答えないで……あははは」

「ふん、いやな狐女……」

「あら……お姉さんにそんなこと言わないで。今度、あたしたちとも寝てよ。男より気持ちよくしてあげるわよ……」


 おこうちゃんが軽くおせんを背後から抱きすくめて、耳元にささやく。


【見抜かれてるな、本性】

「な……朱雀まで、ひどい」

[まあ、本当のことだし]

《うんうん、自業自得》


 朱雀やこだまちゃん、空狐まで、おせんを言葉でなぶる。

 周囲の念話が聞こえない男どもは、おこうちゃんとおせんが何やらじゃれているとしか見えないだろう。栗原さんだけがニヤニヤしていた。

 旦那の佐藤さんがいたら、ここまでおせんはいびれない。


「わたしもまだ仏に仕える身ですから、戦の後にあなたには貞操に関していろいろ申し上げたいことがあります」


 和華さんも加わるとは思わなかった。和華さんにも、この女の浮気症の有り様は伝わっている。「まだ仏に……」というのは、近々に還俗することが決まっているからだ。最近の和華さんは、しずさんとねんごろになったり、ほとんど破戒尼僧だったりするし、いい潮時だ。だから、本当は、おせんを説教する資格などないのだけど……。


「来るんじゃなかった」


 おせんがぼやくうちに、ほら貝の音が鳴った。今は辰の三つ刻(午前8時)。


「さあ、敵が始めるぞ……」


 安田淡路守の武名は、両上杉家への軍役で轟いている。だけど、今回の安田家は少数ということもあり、先鋒の箕輪長野家の兵たちが駆ける駆ける……。主の長野業正は上野国に名が轟いている猛将だ。

 だが、やはり騎馬と徒の合計千ほどの混成隊が、ばらばらになる。馬だけが先行し槍と弓兵が追いつけない……


「放て!」

「投げろ!」


 安田さんの陣からの投石と内藤さんの矢が敵の騎馬に降り注ぐ。


「よし、突っ込めー!」

「行くぞ!」

「安田淡路守、ここにあり! 出合え!」


 敵の槍や弓が追いつけないうちに、むしろ安田さんの隊は思いっきり前に出た。

 箕輪長野家は上野では間違いなく随一の武の家柄だ。だが、浮足立ったところに、安田さんの槍隊の突撃……先頭の騎馬は崩れに崩れた。


「淡路殿……強すぎる。あれだけ策を練ったのが馬鹿みたいじゃないか」

「ああ……ほらでも、守勢に立ったら、長野の兵もなかなかやるわ。持ちこたえている」

「うむ。左翼はそれでよい。最右翼の方は……うん、あちらも全く問題ないな」


 殿様の弟さんのところは、もう抜群の安定だ。弓兵が弾幕を張り、弩兵が狙いを定めて敵の要所の侍や騎馬を倒し混乱させる。攻めかけている総社長尾の隊がたちまち烏合の衆になる。

 こうなると残った厩橋長野勢と足利長尾勢で、こちらの陣の真ん中を撃ち抜くしかなくなる。本陣を攻め、同時に、安田さんの側面を叩いて、箕輪長野隊の勢いを取り戻そうとするだろう。


「よし。大崎隊と山中隊に伝令を出せ。敵がかかってきたら、抗戦せず避けて構わんとな」

「承知……」

「はっ!」


 伝令の馬が掛けていく。

 馬が二つの陣に見えなくなったところで、敵の二陣三陣が安田さんの右手の陣にかかる。狙い通り。

 そして、伝令の通り……でもない。

 戦わずに道を開けるという訳にはいかないようで、大崎・山中の両隊は槍での突き合い・叩き合いを「演じながら」、敵に押される態で下がり始めた。

 そして、2つの陣の隙間が広がり、そこから厩橋長野家の旗印を立てた敵の騎馬と槍兵があふれ、わたしたちの本陣に向けて押し出してきた。

 

「わしの想定より、どこも我が軍が強い」

「けっこうなことじゃないの」

「それはそうだがな。よし、敵が近づいてきた。手はず通りに頼むぞ」

「はいはい」

「はぁ……気が進まないけど」


 わたしたちはそれぞれに、呪いを唱える……そして、お互いの槍が届きそうな距離で、騎馬や兵の密集しているところへめがけて……


たーん!


 ……これはわたしが発した雷鳴……


ひゅうー!


 ……おこうちゃんが発した強烈な氷雪と冷気


ぼぅっ!


 ……おせんの手のひらから飛び出した巨大な火の鳥……朱雀


どどどどど!


 ……これは栗原さん配下の呪い師たち。めいめいの技を使って、火の玉、氷の塊、空気の礫などが、中空から敵兵に降り注いだ。

 呪い師たちはともかく、わたしたちに関しては、これでも威力を手加減した方だ。

 だが、十間ほどの幅で、凍りついたり、焼け焦げたり、変なふうに身体がひしゃげた死体が散乱し、左右には腰を抜かした敵兵が尻餅をついている。

 特に雷鳴と巨大な火の鳥が生んだ驚きと恐怖は抜群の効果で、怯えて死んだ敵兵たちの魂が、わたしやおこうちゃんに流れ込む……


 ……快感……


 こればかりは、わたしたちが悪の妖怪である証拠。やめられない。

 生き残りの兵たちを、一年前に経験を積んで慌てることのない堀部・津山の兵たちが包み、突き殺していく。

 わたしとおこうちゃん、元は周防守の部下だった五人の足軽は前に出て、思いっきり刀や槍を振るう。今の呪いの音響と視覚効果で管領の軍は、どこも完全に怯んでいて、面白いくらいに敵を討てる。

 わたしが発した雷鳴の呪いを合図に、梶川さん指揮の騎馬も動き出し、相手の陣列の背後から突撃を敢行して……戦場はまさに阿鼻叫喚の場となった……上杉家に関しては。この場の戦いは、一刻経たないうちにけりがついた。


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 夜……篝火で明るくした田上城の大広間と広間前の広場は勝利の宴の場になった。


「未だに信じられん」


 上座に座し、大勝の感想を呟くお殿様の前には、今日の収穫がいくつか。今回の主力の長野家と長尾家の諸将の首である。特に家宰の長尾憲長と箕輪城主の長野業正の首級をあげたのは大きい。城に入る前に和華さんとこだまちゃんが、「歴史が大きく変わる」とまで言っていた。わたしは大げさに思ったけど、管領の代行者と最も強力な武将を討ったのだから、しばらくは管領家がまともに動くわけがない。

 主戦場での勝利の直後、安田さん、梶川さんたちが主力の残軍を徹底的に追撃し、管領軍の主力は崩壊どころか、完全に消滅。柴田さんの献策に従って敵の伝令を装った早馬で東西の隊に主力の完全崩壊を伝えた。報を受けた東西の敵の隊は進撃をやめて、上野に逃げ帰ろうとした。

 午後の早いうちに、二手に分かれた追撃隊はそれぞれの側背に一撃を食らわせ、大損害を与えた。

 こうしてこの戦は一日で一方的な勝利で終わってしまった。一戦にして多くの有力武将と六千以上の兵を管領は失った。


「天下取り……狙う? あなたまだ三十三よね? あと四十年。古希を過ぎるまで戦に明け暮れれば、あなたが天下人になれるかもよ。世継ぎもできたんだしねえ」


 上座にいる殿様に酌をしに行って、正面にちょこんと座って、そんな風に切り出した。狐が半人になって、殿様と話す……鳥獣戯画みたい。ちょっと愉快な図だ。


「今回は運が良かったし、お主らの呪いが効きすぎた」

「そうね。でも、上杉が兵力を三分するところまでやる馬鹿とは思わなかった。業正さんに総指揮を預ければよかったのにね」

「管領は家督相続したばかりだし、餓鬼だ。家宰と取り巻きがろくでもなかったということじゃな」

「今回は兵糧輸送の準備がたりなかったから、上野に攻め入らなかったけど……これからどうするの?」

「古河公方と扇谷の出方次第じゃな」

「『次第』ってだけだと、いつまでも敵を迎え撃つだけで終わっちゃう」

「うむ……どこかに先手を打たねばか」

「ええ。きちんと、絵に描いておかないと」

「海が欲しいな南武蔵か、房総に出るか」

「管領、扇谷、公方、北条……まあ、ほかにもいるけど、誰を敵にするか、できるだけ早く決めないとね」


 ……この人に天下を取らせて、わたしは裏の闇の部分を司る。

 妖怪や式神をもっと人の世と交じらせ、楽しく暗い世界をつくる。

 大沢村は……いや、わたしの住まうところは、すべてそうしたい。

 超自然の存在と解離してしまった京の寺社や陰陽寮は滅してしまって、呪いが普通にある世の中にしてしまおう。


「楽しそうじゃな。良からぬことを考えておるだろう?」

「あら、妖怪だから、それか当然でしょう」


 殿様が返盃をしてきたので、わたしはうやうやしくそれを受け、口をつける。この人との固めの盃だ。美味しい……この美味しさをこの先も続けていきたいものだ。


――了―― .


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