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128 9月2日 巳三つ(午前10時) 交渉 森脇村・龍雲寺・おこう

 ここは森脇村で一番大きいお寺。

 日蓮宗の凌雲寺という。かなり広々とした本堂で、正面奥の御本尊を挟む格好で、堀部のお殿様と矢野輔さんが向かい合い、それぞれの背後にあたしたちや呪い師たちが並ぶ。そして下座に向かって、両家の家老と奉行がずらーっと並ぶ。

 本格的な和議の交渉だ。

 津山家は御館が討たれたので、政を行う名分を失った。本当なら上野の関東管領の山内上杉、さもなければ常陸の古河公方に伺いを立てて、矢野輔さんが津山家の家督を継承するところから始めないといけない。

 本当なら事の顛末も届け出て、どうして戦沙汰になったのか申し開きをし、戦後の処理を委ねる……みたいな流れにならないといけないのだけど……。

 14の小娘でしかないあたしが、なんでこんなことまでわかるのかと言えば、おかつ姉さんと同じで、周防守の屋敷で書を読み読み、いろいろなことを学んだからだ。

 この人たちは、戦の後のことを自分たちで決めようとしている。何しろ堀部の殿様は昨日の戦場での言葉を、この場で改めて宣言してしまった。


「最初に申しておくが、弾正家の領地は安堵し、吉景殿が津山家の家督を継承することも認める。基本的には家老・奉行以下の者の本領も安堵する。ただし、既に亡き津山一門の土地、亡き兵部大輔殿の直轄領は没収し、新しい領主なり代官なりを置くことにする」

「それは俄に『是』とお返事するわけには参りませんな」


 もちろん、矢野輔さんが素直に「はいはい」と言うことを聞くはずがない。この人たちは、もう幕府の権威とやらを重んじるつもりはない。堀部と津山の話し合いだけで、すべてのけりをつけちゃう気だ。

 基本的に堀部家が津山家の領地を併呑し、勝手に土地の支配者を名乗ることになる。もちろん、守護の任命などあるわけがない。でも、守護からも自立した小大名になる。

 むしろ、今の津山家が複数の地侍の上に立っている小大名なら、田上郡で担がれている政の神輿を取り替えるというだけで楽なのよね。

 でも、地侍の棟梁とその分家の一団が津山家とその一門なので、代々の土地の支配者なわけ。だから、堀部の殿様の最初の宣言は、負けた側にとっては当然のことではあっても、すぐに受け入れるという話にはできない。津山の下にいた地侍や民百姓の暮らし向きにかかってくる。

 面倒くさいけど、土地と結びついた人事を決めるってそうなっちゃうのだ。

 あたしたちにとってはかなり退屈なのだけど……あーでもないこーでもないと双方から意見が出てくる。そして最後に田上城代の人事で引っかかっちゃう。堀部側は御館の従弟の源之進さんを、津山側は矢野輔さんを城代にしたい。

 お侍たちには、どうやらそこがとても重要らしい。津山家の存続をできる限りはっきりさせておく。吉景さんと津山の家老の3人は、この点は一致している。

 おかつ姉さんの実体化した尻尾が、ぱたぱた動いているのは、イライラしているのか、面白がっているのか……ちょっとわからない。狐の尻尾は犬や猫と違って、本来なら感情表現に使われないからだ。形は半分狐でも、おかつ姉さんの心が表に出ている今の状態は、外から見ただけでは推し量れない。

 あたしは、こだまの見えない尻尾で姉さんの尻尾に触れてみる。それで感情を読み取ると、面白がってるらしい。犬みたいな反応だ。

 延々の意見の応酬の後で、ようやくと津山側が折れて結論はまとまった。


「では、源之進を田上城代に任ずる。久保田村と多田野村は源之進の直轄に。当座、この領地が余になびくまでの措置とする。吉景殿と3人の家老は源之進配下の大人衆とする。森脇村は我が方の鈴木左衛門尉に加増し、鈴木も田上城に大人衆の一人として参勤のこと。今の町奉行職の役目は解くぞ」

「はぁ……面倒ですなあ」

「うむ。今の町方は氷室城に置いていってもらうぞ。副奉行を奉行に抜擢するゆえ」

「それでは褒美と言うよりも、ほとんど罰ではござらんかのう」


 鈴木さんはぼやきまくる。


「太夫には悪いが郡境の砦や四方村周辺での築城から源之進を外す。かわりに左馬助を大人として付ける故によしなに。左馬助は作事奉行の役を解く。作事奉行の後任は……後日にしておこう」

「はっ!」

「猪口は田上城下の町奉行に留任致す故に、左衛門尉とともに城下の定法の整理を上手くつけてくれ。そのほか田上城の大人衆の役割と奉行の仕事の整理は、余もしばらく田上城に滞在して決めるぞ」

「その間、氷室城はいかがいたすので?」

「勘解由を城代に任ずる……それでよかろうよ。そういう世俗のことは、追って決めよう。本当なら最初に決めるべきことを、ここで決めておかんとな」

「わたしたちのことなら、かまわないでくれてもいいのに……」


 おかつ姉さんがつっけんどんな態度で堀部の殿様に返す。


「そうそう。好き勝手なところを、あたしたちに選ばせてくれないの? 吉景さんの下で働いてみたい気もあるのに」

「あら、わたしは柴田さんみたいな人の下がよかった」

「まあ、そう言わんと……。今までの堀部も津山も敵し得ないのがお主らだからの。誰かの下に入れ、というわけには参らん。あえて言うなら、余と同格でいいと思うておる。そのうえで氷室郡内に迎え入れたいのだが、いかがかな?」

「戦に出させてもらえるのなら、けっこう。領地をくれて、築城や政もさせてくれれば、なおけっこう」


 おかつ姉さんがそういうと、堀部の殿様の表情は安堵に満ちた笑顔になった。津山家の反応より緊張して提案したのだろう。


「聞き分けが良くて助かる」

「どこになるの?」

「今のところ、大沢村だ。勘解由と佐藤殿の肝いりで鍛冶の村……いや町にするように、あれこれ試しておるところでな。余も自分の財布から金を出している」

「へえ、面白そうね。あたしはそれでいい」

「わたしも、出身の半田村の隣だし、かまわないわよ」

「式神を使って、人力の仕事と比べ物にならないほど、鉄を増産しておるのです」


 向こうの呪い師の頭の佐藤という男が楽しそうに答える。これはちょっと面白そう。村を見てみるだけでも見たい。


「わたしも……その村にいるんですけど……」

「えっ?」

「えぇっ?」


 朱雀使いの女がそう言った。実のところ、あたしも、おかつ姉さんも、この女があまり気に入っていない。本性はあばずれなのに、絶対に猫をかぶっている……あたしたちと、こだまちゃんは一致してそう思っている。


「この人、わたしの夫でね……」


……へえ、浮気女だ、この女。根拠はないけど、匂い……雰囲気……が、すっごく雌臭い。おかつ姉さんは「わたしをはめて仕置きを逃れようとした大津屋の女将の人を悪くした感じ」と言ってたっけ。


「仲良くやりましょう? もう戦で手合わせしなくていいんだし」


 和華さんが声に場を和やかにする念を込めて語りかける。


「そうね……」

「そうそう……楽しい村にしましょう」

「女同士仲良くね」


 最後にそう言ったおかつ姉さんの笑顔は、どことなく邪だ。あたしのなかのこだまちゃんはまだ黒いし、あたしもこの女を凄惨に殺してしまいたいと思っている。殺気は漏らさないけど。だけど、くっつけた尻尾から伝わってくる、おかつ姉さんの心根は、すごく卑猥……色事で落として、自分の人形にしたいと思っている。和華さんの眼を盗んでそれができるかしら? 


「和華殿に、領主をお願いしたいんじゃが?」

「いいですよ」


 和華さんはあっけなく了承する。殿様も予想外にあっさり引き受けたので、むしろ困惑している。


「稲荷明神様からのいいつけなんですよ。この子達を見張るようにってね」

[その尼さんも、狐憑きよ。妖怪じゃなくて式神だけど]

《あーあ、ばらされちゃった。よろしくね。空狐だよ》

「……うむ……まあ……大丈夫なのかな」

「霊的なことについては、あとでお教えします」

「うむ、よろしく頼む」


 話をややこしくしないため、適当に和華さんは話を打ち切ってしまった。

 おかつ姉さんは、それとは別の卑猥な願望に通じることを、それとなくお願いした。


「兵部さんの奥方……きっと出家しちゃうでしょうね。お子さんもお姫様だけだったかしら? お姫様とは面識があるの。不憫だから2人をわたしたちの落ち着き先で面倒みさせてくれないかしら?」


 和華さんがちょっと怖い顔で横のお姉さんを睨む。


「ああ、御本人たちが承知するなら、それはそれで構わんよ」


 堀部の殿様は、まったく無頓着にそう答えた。

 交渉は、さらに城の受け取りなどの細かい話を詰めて、未三つ刻(午後二時)までに終わった。


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