125 申四つ(午後4時半) 追撃失敗 梶川吉十郎秀朋
予期せぬ出来事に、人も馬も上手くは対応できないものだ。
「逃げろ!」
「逃げろ! さっさと北へ向かわんか!」
正に青天の霹靂が生じ、高台の本陣へと落雷……その眩さと音響に、完全に呆然としてもおかしくなかった。だか、我ら騎馬武者は呆気に取られてもばかりいられなかったのだ。
「おあ!」
「どうどうっ!」
「抑えろ! 他のものを巻き込むな!」
戦場で使う騎馬だから、人の叫び声では動じないし、鉦や太鼓の音にもびくともするものではない。何年も生きていれば、雷くらい何度も経験しているはずだ。
だか、あんな落雷の音は、私より年嵩の人でさえ滅多にお目にかかっていない。
ほとんどの馬が跳ねる、暴れる、駆け出そうとする。
だから、敵将の叫びで敵が起こした行動に着いて行くことができなかった。
「逃げろ!」
「そうだ!」
「さっさと逃げろ!」
「旗本は全滅だ!」
「北へ駆けろ! 走れ!」
算を乱すなんてもんじゃない。
踏みとどまろうなんて者がいたら、蹴殺しでも退くという勢いで、走る走る。
敵の騎馬武者も馬の暴走を最初は押さえていたが、逃げようとする動きを殺そうとせず、人の駆け足くらいの速さで北へと向かい出した。
「ちっ!」
「敵が逃げるぞ!」
「追え!」
だが、それらの声と動きがまったく揃わない。敵は隊列もくそもなく一散に逃げ出したが、こちらは足がすくんで動かないのだ。逃げる必要がない分、必死に何かをするという態ではない。
瞬時に「逃げろ!」などという機転を効かせられるのは、向こうの家老の本多か、安田か……特に安田は最初に背後を突いた我が隊が討ちそびれてしまったのだから、これは悔しい。
「くそ……何とか止めたぞ」
「組ごとにまとまれ!」
あんな落雷があったのだ。本陣が心配と言えば心配だ。だが、何があったにせよ、そこは一時的に父上の配下に入った旗本衆が動くだろう。父上の方も、与力の隊伍をまとめなおすのに手間取っているはずだ。
「立て直した組は、私に着いてまいれ! 追い討ちをかけるぞ!」
「はっ!」
声に応じたのが、ざっと10人ほどだろうか。そいつらが組頭だとして、全部合わせても100人くらいが、私に続いてきているはずだ。
私は一旦下がり、さらに後続してくる配下の騎馬隊をまとめた。全部合わせて120ほどだろうか。
だが、敵も甘くはない。前方に戻ると、味方がやられていた。
「敵の後衛だ! うあ!」
「こいつ……取り巻いてつぶせ!」
「あ……うぁ!」
「淡路守だ」
我々が後背を襲ったときに、騎馬を捨てたはずの淡路守が馬を再び得て、敵の最後衛にいた。配下の者数人と一緒になり、我が方の先頭とぶつかったようだ。
「一旦遠巻きにしろ」
3人が素早い突きをかわせず、あっけなく落馬・落命した。役者が違う。私は父に槍の稽古でまったく敵わない。その父が、一目も二目も置くような武芸者である。並の武者が束にかかっても敵うわけがない。
距離を置いてゆっくり着いていくしかない。
そして、それも長くは続かない。
柵を打ち立てていたあたりの街道のすぐ横には、弓兵と騎馬武者が陣列を敷いていた。どちらも50ばかりである。
50間とちょっと(100m)くらいのところで、山なりの矢が射掛けられてきた。街道の東に展開していた弓兵、槍兵はどうしたと見回すと……。かなり疲れきっており、落雷の光と音に、もう気力が失せたという体で、動けなさそうだった。
総力を挙げて追い討ちをかければ、淡路守を避けて、他の兵を相当に討てると思うのだが……これはちょと無理か。
戦果拡大の機会は失われたと見なければなるまい。
安田は、足並みを揃えてきた本多と思しき将と並んで、街道を塞ぐ兵の列の向こうへ消えた。
「止まれ! ここまでじゃ。伝令と後続の兵たちを待つぞ」
気がつけば日がかなり傾いている。日没までそれほど間はなかろう。
そして、ほとんど間もなく、「四方村に全隊下がれ」との伝令が届いた。
敵の後衛も、呼吸を合わすように、おそらくは森脇村へと下がっていった。